人を撮る・・つれづれに・・
あるとき、善福寺池という風光明媚な池があり、カメラをもって撮影に行った。
たまたま保母さん達が、池を背景に子供達を並べて記念撮影をしようとしていた。もちろん私はカメラを肩からぶら下げていたのだが、私の横に見知らぬ別のカメラマンが来て、整列している子供達を撮影しはじめた。
保母さんの1人が慌てて駆けだしてきて、私の横にいたカメラマンの撮影を中止するように説得しはじめた。
その時、初めて、文章の中では無く声で発声された『肖像権』という単語を耳にした。
まぁ、そうなるだろうな・・と予想していたので最初からカメラを構えなかったわけだが、私も昔は結構スナップ写真を撮りまくっていた時期があった。最近は、いちいちめんどくさい事になるのもイヤなので国内では極力人物の撮影はしないようにしている。
「写真を撮られる」という事に関しては、その時代や国によっても異なる反応がある。
アジアの多くの国では、「写真を撮られる」という事に関して好意的に
受け止められいる様だ。時には、なぜか御礼を言われたりする。
逆にフランスのパリなどでは不特定多数の人々の撮影も含めて忌避される傾向が強い。
ある日、パリ市内を散歩していたとき、マラソン大会に遭遇し、撮影をはじめた。
私はシャッターを何回も押した。
警備の警官がいたのだが、私の方を見て何か言いたげな表情をしていた。
そして微妙に私のカメラとマラソン集団の間に入ってきた。
もし私が東洋人では無く欧米人なら、何か注意を受けたかも知れない。
エトランゼだから見逃されたのかも知れない。
フランスでは無いのだが、同じEU圏のオーストリアはどちらかと言うとおおらかである様に思う。ラテン系とゲルマン系の点からも本来逆の様に思うが、フランスでは人権意識が多くの面で高いのであろう。
だが、公人になると話は別となる。
ある日、ウィーンのブルク門あたりをカメラ持って散歩していたら式典が行われていた。TVクルーもいたし、カメラマンも多く、それに軍楽隊まで出ていた。それで式典をのぞきに行ったら略綬をいっぱい付けた将軍さんなどが何人もいた。
私もプロのカメラマン集団の中に紛れ込んで式典を撮影しはじめた。
当時のオーストリア首相、セバスティアン・クルツ連邦首相だった。
写真の誰かって??
左の紺色のスーツを着たイケメンです。
熊の様なMPのガードがにらみを利かせていた。
カメラのファインダー覗くと、なぜか物怖じしなくなる。
公人の場合の撮影は、ルールさえ守れば自由に撮影は出来る。
モデルの撮影なども昔はしたが、今は断っている。
だって、大変だから。
メイクは誰がやるの? ヘアーメイクは? 衣装は? コンセプトは? 屋外なのか、スタジオなのか?
海外でのモデル撮影もしたことがあるが、これはもっと疲れる。
モデルのもっている自然な表情がほしい為、声かけをするわけだが、英語圏ならいざ知らず、私の知らない言語の場合、ある程度勉強していく。
本当は撮影そのものに全神経を集中したいのだけど、判らない現地語で声かけしたり、ポーズの指示したり・・もう、クタクタになる。
もし、時間があれば撮影前に一緒にお茶をして世間話をしたりする。
これは、相手にリラックスをしてもらうのと、そのモデルの表情や笑い方、どの角度からの撮影が一番撮影に良いのかをチェックする為である。
まだモデル経験の無いある方からの依頼の時、一途最初、カメラを向けたらピースして笑顔になった・・・・orz
で、一時小休止して少し打ち合わせをした。
ルールを2つ作った。
① ピースはしない ②笑わない
①は当然として、なぜ②なのか?
笑顔が全くカメラ映えしない方だったから。その女性の本当に美しい表情が判ると作られたかりそめの美はジャマである。
この撮影依頼には、撮影した写真で彼女のHP作成まで含まれていた。
そのデザインまで任されていたので、作成して公開した。
2週間ほどしたら依頼者から連絡があり、一時HPを閉鎖してほしい、との事。事情を聞くと、ものすごい反響がありすぎて、大量のメールが来て大変だとか。HPのカウンター見に行ったら、ものすごいアクセスで自分でも驚いた。それよりも頭にきたのは、私の蝶関係の知人が、その彼女の電話番号教えろ、とか、紹介しろとかうるさかった。
以後モデルの撮影は断っている。疲れるから。
もし撮影するならそんじょそこらのグラビアなんぞより遙かに高いレベルの絵を撮る気概はある。
モデルでも職業として、生業としている方々の撮影は、楽である。
なぜなら自分がどのようにレンズに向けば良いか知っているから。
自然と見栄えのする絵が撮れる。
これは撮影しているのでは無く、撮影させられている、のだ。
では、訓練を受けたプロの女優のカメラ目線を紹介しよう。
以下の写真は、ある中学校の卒業アルバムの中の1枚である。
この中の1人が、女優の佐藤万里である。眼の部分にボカシの入ってない女性である。他の方は私人なのであえてぼかしを入れた。
既に中学生の時に公人であった。いや、彼女は10歳の時、映画「戦争と人間・第一部」に子役として出演し、その後、映画「どぶ川学級」やNHKの大河ドラマ、その他多くの時代劇にも出演している。そもそも母親が女優だったので、子供の頃からカメラの前で自分がどのように映るのかは、仕事として学んでいたわけだ。
上記写真の一番下の列4人の女性は座っている。左の先生と一番右の女の子の膝は、足先が向かって右斜めに流している。これは足を美しく見せるテクニックであるが、佐藤はしてない。
さらに佐藤以外は、膝の上に置いている手が、右手が上となっている。通常、利き手の右が上になるからこれが普通だが、佐藤は左手を上にして更に、指先を美しく伸ばしている。確か彼女は右利きであるが、「左手を上に添える」のを正式な作法として教わっている。足先もあえて向かって右に流さないのも、卒業写真という正式な写真撮影である為だろう。そして背筋を伸ばして両肩が水平となり吸い込まれるようなカメラ目線で口元もややアルカイックスマイルをしている。
これは自然な姿では無い。明らかに訓練され意図的に作られた姿勢である、が自然な美しさを演出している。「公式な場所での姿勢」の定石を実践している。
中学生であっても大人であってもカメラレンズに対して訓練された者は、撮影する側からするととっても撮影しやすい。
逆に、その「撮影しやすさ」に甘えて撮影していると、『撮らされている』事になる。
そこでオリジナリティを重視するカメラマンは、女優本人も知らない魅力を引き出そうとする。時々巷でそのような写真集を観る時、そのカメラマンにリスペクトを感じる。
いろいろと準備しなければならないモデル撮影は別として、スナップ写真における人物撮影は面白い。
上記5枚は、バリ島のとある海岸を歩いていた時、漁村に迷い込んでしまい。そこでの撮影である。
人間が本来持っている自然な笑顔。作られた表情では無く、内側から出た自然な表情がいい。
スナップ写真でも動きのあるものの撮影も好きである。
これはベトナムは、フエの世界遺産の前でのお祭りの光景である。
上の2枚は、カンボジアはシュムリアップの伝統的舞踏。
表情が良かったりすると撮影を申し込む事もあるし、スナップ撮影の場合もある。
人の撮影は、表情があるから面白い。
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