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私の本史②


「私の本史①」の続きです。


島の中学校で、私は結局2年働いた。
その2年間の間に、私は読みたい本を読んだし、図書館に新しく本を入れるためにカタログを見たり、生徒のみんなにアンケートを取ったり、先生方に生徒に読んでほしい本を聞いて回ったり、他校の図書室をのぞかせてもらったりした。

私がただ読みたいと思っていて、中学生にも読めそうな本も、たまにこっそり頼んだりした。

相変わらず多忙であることは変わらなかったけれど、1年目よりもストレスなく、そして余裕も少しできて家に早く帰れるときがあったから、私はそんなときには本を読んだ。

私の本史①で、その頃恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」に夢中になったことを書いたが、その時は本当にはまりすぎて家ではもちろん読むし、休みの日も部活指導のあと読んでいたし、とにかく読書に没頭した。

時間を忘れるくらい没頭する読書体験を、私は久しぶりに経験し、自分の中にまだ、読書から得られる満足感を感じることができるその気持ちがあったことにうれしくなった。
それから、もっともっと読みたい、自分の時間がほしい、そう思うようになった。

島の中学校はきっちり2年間務めて退職した。

そしてそれから現在まで、エンジニアとして働いている。
前職のことを話すと大体驚かれる、そのくらいの思い切ったキャリアチェンジだった。

本を読む時間は子供の時と比べるとどうしても少なくなっているけれど、私はそれでもここ最近よりは本を読むことができている。

このキャリアチェンジと同時に、私は関東に引っ越してきた。
そして、今までテレビでしか見たことのなかった東京の色んな街に、気軽に出かけられるようになった。
とはいえ新型コロナの流行もあり、そんなに出歩けることはなく、関東に住む高校時代の友人ともなかなか会えずじまいではあった。

久しぶりにその子たちと会ったのは、2020年の秋だった。
本好きの憧れの街、神保町で私達は会い、カレーを食べ、古本屋さんが連なる通りを一緒に歩いた。

そんな中で私は、新たなジャンルの本に出会った。

出会ったのは、チェッコリという新刊書籍を扱う書店。お店の名前の雰囲気からわかるように、そこには韓国文学がたくさん売られていた。

当時からフェミニズムには関心があり、友人たちともそれについて話題にしたり、チョ・ナムジュの「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだことなどを話題にしていたところだったから、韓国の本といえばフェミニズム本というイメージがあった。

でも、棚に飾られている本は、それだけではなかった。もちろんフェミニズム本も多かったが、他にもエッセイや小説などがたくさん棚に詰め込まれていた。
じっくりと色んな本を見ては手にとっていたが、私は、最終的にとても興味を惹かれる本を見つけた。
それがハン・ガンの「菜食主義者」だった。

私を韓国文学沼に引きずり込んだ、ある種「恐ろしい」韓国の小説である。

私は今まで、いろんな本を読んできた。
でも海外文学は少し苦手だった。文化が違って理解と想像がしがたいからだ。
そういう理由から、私は未だに「ハリー・ポッター」シリーズを読んだことがない。
(たぶん、今読んだら読めると思うけど、なかなか手が出ない)

そんな私だったけれど、菜食主義者ははたまたのめり込むように読んでしまった。
そして久しぶりに、読んだあとの満足感と同時に、村上春樹作品を呼んだあとのような喪失感を味わった。
そこから私は韓国文学というジャンルを愛するようになった。

大人になってからもこんなふうに新しくて楽しい本との出会いを経験し続けている。
私はそれがドキドキして、嬉しくてたまらない。

子供の頃に比べたら本を読む時間は減り、本を読むときの没入感はなかなか味わえなくなったけれど、それでも私は本が好きだ。
私の人生を彩ってくれて、私以外の人生も歩ませてくれる本が、大好きだ。

これからも私の「本史」が更新され続けるといいな、なんて思う。


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