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日高堯子『水衣集(みずごろもしふ)』(砂子屋書房)

 第十歌集、2019年から2021年の450首あまりを収める。コロナにより日常生活が狭まり、人と会うことの減った暮らしを描く。身の回りの植物を巧みに取り入れ、静謐かつ豊かな歌の世界に浸れる歌集である。
 
「ここにゐて、ここに」と一人を淋しがる母よここからゐなくなるのはあなた
 この歌集の前半の大きなテーマは母の死である。母と共にある毎日を描いた歌の中でこの歌の字余りが目立つ。ここにいて欲しがる母と、ここから去るのは母であるとの作中主体の冷静な判断。冷静な判断だが、早口の破調から心の乱れが伝わってくる。

いのちといふ粘着質のいきものがぼろぼろの身体をまだ死なしめず 
 詞書は「命とは、身体でもなく、魂でもなく」。実際に存在し、目に見え、手で触れられる身体と、人間の想像の産物である魂。命はそのどちらでもない。そしてもうぼろぼろになった身体をまだ死なせてくれず、この世に留めている。その命を「粘着質のいきもの」と把握する。生と死のぎりぎりの間で宙吊りになっている身体。死んで欲しくないけれど、楽になって欲しいという周りの人間の気持ちがこもっている。

みな餅が好きだつたなあと思ひ出づ切り餅のにほひは手紙のごとし
 母の死の後、喪中の正月の歌。昔、親戚の子供も集まって火鉢で餅を焼いて食べていた歌が一連にある。火鉢の火にあぶられてふくらむ餅とそれをわいわいと見ていた子供たち。切り餅の匂いを嗅ぐとそんな懐かしい過去から手紙が届いたような気持ちになる。切り餅の形状も手紙に似ている。一転、親戚の集まりどころか、母もいない、寂しい正月を過ごす我が身に思いが到る。

人を思ふこころが今日のわれを支ふ 崖の水仙みな海をむく
 三句までの情を四句結句の景が象徴する。一連は、少女の頃に思慕を寄せていた叔父が、老残の死を迎えつつあることがテーマだ。一連の終りの四首は、景を詠って時間と人との繋がりを強く心に訴える。この一首は叔父と共に見た海を思い出しているとも取れるし、今実際に海を見ていると取ってもいいだろう。人を思う心に支えられる自分。その心は海に向かって顔を向ける水仙によって表されている。

翅のある生きものにのせ放ちたれば声はどこかで開くだらうか
 豊かな自然を描写した一連より。具体的な樹木、草花、虫を描きながら、背景に仏像写真集で見た仏の姿と、それに被る母の面影が透けて見える。この一首の前には蝶が描かれており、初句二句は蝶のことだと取った。蝶に乗せて放つ声。どこかで声は開かれるだろうか。そして誰か、例えば遠い世界に行った母の耳に届くだろうか。

古めいた灰色雲がねむりゐる夏の身体のしづかな谿間
 この歌のおかれた連作は父母、特に父の思い出と戦争、戦後の記憶がテーマである。その連作中、掲出歌は主体の身体を詠っており、心を惹かれた。灰色雲は何の象徴だろう。古い記憶だろうか。それとも言葉になりがたい何かの想念か。それらが身体の「谿間」に眠っているという感覚に共感する。

やはらかく羽衣(うい)ひるがへし飛んでゆくかなしい快感元日のゆめ
 元日に見た夢としてはかなり吉兆だと思う。羽衣を柔らかく翻して飛んで行くというのだから。しかし主体はそれを「かなしい」と捉える。悲しい、哀しい、愛しい・・・。快感に対する形容詞だから、やはり「哀しい」ぐらいでないと衝撃力が弱い。その夢の快感は哀しいものだった。現実の身体が意のままにならないゆえだろうか。

股関節いたみくる冬 痛む日は透けてみえくるわが白骨図
 これも主体の身体を詠った歌。股関節に痛みがある。一定の年齢以上になるとよくあることだろう。しかし、その痛む身体の白骨図が肉を透かして見えてくるというのは特異な感覚だ。白骨図である自分の身体を見ながら、この辺りが痛む、と確認しているのだろうか。

人生は旅といふ されば旅人の夫に峠の蕎麦を食べさす
 夫との微妙な関係性を描く。この一首前に、隣室から出て来た夫が旅人のような顔をしている、と詠った歌がある。旅人とは通り過ぎて行く人。そして主体は通り過ぎられることを前提に、人生の一つの峠において蕎麦を振舞う。どこかすれ違う、心と心の添わない関係に見えるが、それはもうお互い不問ということなのか。

たわいなく老いてしまつたわが顔を花はふしぎな夢として見む
 この歌のある一連は、主体が不眠ゆえに、近所の梅園を夜に訪れた歌で構成される。夜闇に冴える白梅や沈み込む紅梅、またそれらの香りを描いた後、この歌が来る。今まで主体が花を見ていたのに、突然、花の立場となって自分を見る。自分は老いてしまった。花には過去というものが無い。花は自分の顔を不思議な夢として見るだろう、というのだ。主客の転倒と、時間のずれ、現実と夢とのあわいが混然として、読者を異界へと誘い込む。

 この歌集には、総合誌の初出時とかなり印象の違う連作があった。初出時は壮年以降の性を描いて、強い魅力を放っていた連作が、歌集の中では衝撃力が弱まっている。
わびすけ椿うつむき咲ける日から日へわたしの中に眠りゆく性(『短歌研究』2020年4月号
わびすけ椿うつむき咲ける日から日へわたしの中に膨れゆく死者(『水衣集』)
というように、性の歌から死者を追悼する歌へと、歌のテーマが変えられている例を挙げておく。この歌を含む連作は初出時二十首から、歌集では十一首へと歌が削られている。さらなる考察は今後の私自身への課題としたい。

砂子屋書房 2021.10. 3000円+税


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