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渡部泰明『和歌史 なぜ千年を越えて続いたか』

 和歌がなぜこれほど長く続いたか、その謎に迫った一冊。タイトルから、歴史重視なのかなと思って読み始めたが、個々の歌人の歌の読みが重視されている。その読みも、よくあるような、古典和歌の意味を現代語で説明したものとは全然違う。古典和歌も現代短歌と同じように深く読み込まれているため、古典から現代へ、一本の「史」で繋がっていることが実感されるのだ。

 歌を読み込むポイントになるキーワードは、「祈り」「境界」「演技」「連動する言葉」である。それらを中心に思考が深められてゆく。

祈り:〈和歌は理想を表現するものなのである。こうであったらいいなあ、という理想である。現状報告だけでは、和歌にふさわしい「心」にならないのだ。〉

境界:〈作者は(…)理想を抱えて現実を生きる、理想でもあり現実でもあるどっちつかずの時空にたゆたうといってもよい。ここに和歌の作者の居場所が、原理的に定められる。境界的な時空である。歌人は境界に立っている。〉

演技:〈言語表現に対して演技的というのはもちろん比喩的な用法である。(…)一つは、和歌の表現は身体性を帯びる、という理由である。(…)もう一つは、「虚実皮膜」である点である。演技と虚構は同じではない。〉

連動する言葉:〈言葉を、創作と享受の不可分な連関というような行為の側面から捉えるにはどうすればよいか。そこで提案したいのが、連動する言葉、という視点である。〉

 私としては、特にこの「演技」の部分が、現代短歌の「私性」や「虚構」と絡んで大変重要な論点に思われた。繰り返し読んでみたい。

 扱われている歌人・歌人集団は、額田王・柿本人麻呂・山上憶良・大伴家持・在原業平・紀貫之・曾禰好忠・源氏物語の和歌・和泉式部・源俊頼・西行・藤原俊成・定家・京極為兼と前期京極派・頓阿・正徹・三条西実隆・細川幽斎・後水尾院・香川景樹である。

 著者が野田秀樹と共に、劇団「夢の遊眠社」で演劇をしていた経験があり、寺山修司がその舞台を観に来た、というエピソードも、短歌と演劇の関係を考えさせられ、とても興味深いものだった。

角川選書 2020年10月 1700円(税別)

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