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加藤英彦『プレシピス』

浪漫性の果てに

    この作者をまず特徴づけるのは知的な把握に裏付けられた社会詠だ。
咽喉もとまで土砂つめられて狂(ふ)れもせずしずかに息を吐きて辺野古よ
立入禁止のむこう破片はひかりいてその回収の素早さを見き
浸みわたる汚染土(セシウム)に白根さし入れて百万のひまわりが首あぐ

 沖縄の基地移設に伴う辺野古の埋め立てを詠った一首目。「しずかに」人間に殺される海の姿だ。二首目は沖縄の海に、オスプレイが墜落した際の歌。証拠隠滅を図るかのように、機体の破片は素早く回収される。三首目は福島原発事故を詠う。土壌の放射能汚染の浄化を期して植えられたひまわり。人間の見当違いな目的に花がもがいているかのようだ。
どこへ帰ろうとするのか 幾百の花に飾られ、蝶にまもられ
論あまた靡く林をくぐり来ていま一本の幹をうしなう
軽くなりたる父を湯舟に洗いおり触るれば楽器のような肋を

 挽歌が多いのも本歌集の特徴だ。一首目は画家でもあった松平修文を悼む。三十四首に及ぶ力のこもった一連に強い哀悼の気持ちが滲む。二首目は菱川善夫への挽歌。論の人菱川は戦後の短歌評論の太い幹であった。三首目は父の死を詠う。老人の体を楽器に喩える感性が光る。
熱のほのかをきみはうつしぬ移されて海いちまいが昏く響(とよ)める
てのひらのなかにおさまるやわらかさそのかたちよき耳を愛しむ
四ヶ月のメール千通つもりゆく雪、海にふる雪、きみと過ぐ

 Ⅲ章の相聞歌に強い感銘を受けた。この浪漫性こそ作者の本質ではないか。お互いの身熱を移し合う一首目。二首目は「耳」と「愛」の字がひらがなの中で目を射る。三首目の句割れ句跨りからなる韻律の美しさ。句の始めに「雪」の語が強く響く。
 こうした資質を持つ作者が現実の世の不条理や醜悪さに直面した時、寒々とした社会に対する強い批評性が生み出されるのではないか。
いつかわたしも消える日が来むその日まで騙しつづけてゆけわたくしを

ながらみ書房 2020.8.   2500円税別

2021.3. 『歌壇』公開記事

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