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藪内亮輔『海蛇と珊瑚』

第一歌集 強い感情を秘めた歌が多い。斬新な比喩で、深く複雑な感情を抉りだす。言葉に遊びながら、言葉に苦しむ。音感に淫する歌も見られる。集中に「私のレッスン」と題する、散文と歌が混然一体となった小編がある。描かれているのは友人たちとの遠出、おそらく吟行のような体験だろう。同音の音を探りながら、ルビを多用して作られるこの一遍は、短歌の新しい形を模索している。

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく

 歌集巻頭歌であり、連作「花と雨」の一首目でもある。上句の観察が一首の眼目だろう。傘をさす一瞬、人は誰しも俯く。そして顔を上げて街へ出て行く。どこかの屋内から外へ出る場面だ。この時は薄い雲から雪が降っており、雲を通して感じられる光が雪に反射して街が明るく映えていたのだろう。「ひと」は特定の人かも知れない。作中主体と深く関わる人かも知れない。この一首ではただ一瞬の光景として差し出されているだけだ。

幾筋か底に轍をしづめゐるにはたづみあり足裏は越ゆ

 地面に車の轍が付いている。幾筋も轍が付くような場所は少し地面が擦り減っていたりする。そこに雨水が溜まり、にわたずみ(水たまり)ができる。水の底に轍が見える。轍が沈んでいるのだ。その水たまりを跨いで越えて行く。自分の足なのに、足裏が勝手に動いて越えていくような描き方が短歌らしい。

雨はふる、降りながら降る 生きながら生きるやりかたを教へてください

 やりかたを知らずにとにかく始めてしまって、続けるのも大変、やめるわけにもいかず、誰かやり方を教えて下さい、と求める。切羽詰まって何かを始めた時によくあることだ。この歌の場合はそれが「生きる」ことだった。生まれてしまって、しかたなく生きながら、上手く生きられない。取り合えず続けているけれども、どこかにやり方があるのではないか、と苦しむ。上句の雨は無心に降ってくるけれど。雑誌掲載時から好きだった一首。

雨粒のひとつひとつに眼がひらく 空に見られぬよう傘を差す

 とても怖い歌。作中主体は脅迫観念のようなものに追われているかのようだ。空が自分を見張っている。雨の一粒一粒に眼を与えて、主体を見続けている。そんな空に見られないように傘を開いて姿を隠す。何に追われ何に怯えているのか。眼が「ひらく」という表現が、雨粒を異様な生命体へと変える。 

人であらば胴のあたりで切られゐつ花瓶の水に挿さるる花は

 土に生えている花を、茎のどこかで切る。商品である場合も、野の花を摘む場合も同じ。花瓶に挿されている花は、必ずどこかで切られている。言われてみれば当たり前だが、なかなか持ちにくい認識だ。今、目の前の花瓶に挿された花は、もし人に喩えるなら、胴の辺りで切られている。美しく部屋を彩っていた花が、突然無惨な様相を呈し始める。

落ちた花はゆつくりと死ぬあなたから教へてもらつたこの花のことだ

 花が落ちる。散るというより落ちるのだから椿のような花か。その花はゆっくりと死んでいく。落ちた時点で死んでいるとも取れるが、腐って土に還ることを死ぬと表現していると取った。あなたから、花の名を教えてもらったか、花の生態を教えてもらったのだろう。その花が落ちて腐ってゆく。あなたと主体の間にあった親しい感情も腐って死んでゆくのだ。

瞑りをり 記憶の泥ゆ引き出だすあぢさゐのごときわれの過失よ

 目を瞑って、過去のことを思う。「記憶の泥」という表現に頷く。記憶は混沌として泥のようだ。また泥団子のように、後から好きなように捏ねて形を作ることもできるのだ。そんな泥の中から自分の過失を引きずり出す。あの時ああすれば良かったという後悔も共に。あじさいは隙間の多い花。そして人の顔のような花。過失の喩えにあじさいがよく合う。

花の眼窩に静電気生れわたくしは記憶をひとつづつ殺したい

 花の眼窩とはどこを指すのだろう。花びらの窪みのような部分か。あるいは花全体を顔と見立てて、その目に当たる部分だろうか。そこに静電気が生まれる。びりっと刺すような痛みが走る。主体の眼窩に痛みが走っているように読める。楽しかった記憶、辛かった記憶、それらを全部消してしまいたい。一つずつ消して、殺していきたい。帰れない過去を恋う気持ちは、過去への憎しみに反転する。

〈役に立ちすぎない方がいい。それは詩だつておなじ。〉むかしよりひと殺め来し火といふを点けたりうまく手懐けながら

 〈  〉内は詞書。第二部初めの連作「愛について」は詞書と歌が呼応し、全体で詩のようだ。おそらく東日本大震災の津波と福島第一原子力発電所の事故をテーマにしているのだろうが、単純ではない。火に殺されてきた人類が、火を手懐ける。そして自らを滅ぼす原子力をも手懐けたと誤解してしまう。そんな読みがまずできる。しかし、自分を滅ぼす、恋愛の相手を原子力発電所に仮託して詠っているようにも思える。圧倒的で抗いようのない、暴力的な関係。人間と原発との、私とあなたとの。

重力を確かめるために置く林檎 小説 水 きみはくつ下を脱ぐ

 部屋に置かれているものを「重力を確かめるために」置くという把握がいい。置かれているものも、重すぎない、少し透明感のあるものだ。本というより小説という言い方で重量感が減じられる。そんな部屋の中で君は靴下を脱ぐ。今から性愛の場面に移ろうという瞬間だろう。服を脱ぐよりも淡く、性愛を想像させる。感情も、場面に比して淡い印象を受ける。

角川書店 2018年12月 2200円(税別)

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