得しようと思っている子どもを見ているともったいない気がすることがある
得をしようと思って、得してないような、子どもを見ることがある。
近所にふたごの男の子がいる。
似ているけれど、性格はずいぶん違う。
ひとりはおっとり、ひとりはしっかり。
小さい時に息子と仲が良くて、ある日一緒に花火をした。
しっかり型のかなとくんは、1本やるとすぐに
「次のちょうだい、次の!」
と花火をもらいに来た。
おっとり型のまなとくんは、息子(やはりおっとり型)とゆっくりじっくり最後まで、消えていく花火を見ていた。
かなとくんがひとりで何度ももらいに来るので「不公平にならないかな?」と少し考えながら渡していた。
でもほしがるんだからいいか。
ほかの二人も気にしていない。
きっと、かなとくんは一番たくさん花火をしたと思う。
たとえば、ほかの二人が10本したなら、かなとくんは12,3本か、もっと。
それって得をしたのかな?
かなとくんはいつも終わるのを、せかせか待っていて、終わったら投げ出すようにして、新しい花火をもらいに来た。
まなとくんと息子は、「すごい色だね」「パチパチする!」などと話しながら、じっくり見ていた。
どちらが花火をよく憶えているんだろう。
次の日でも、翌年でも。
その時間を楽しんだのは、どちらだろう。
終わったあとに、満足そうな表情だったのは、むしろおっとりしたふたりだった。
かなとくんが悪いわけでは、もちろんなくて。
ふたごで、いつも比べられて、その中でがんばっていた。
彼のひとつの解決策が「なるべく、たくさんする」だったのだろう。
かなとくんにも、もっとじっくり楽しんでほしかった。
男女4人の子どもを連れて、遊園地に行ったことがある。
男女2グループに分かれて遊び、中休みに合流した。
一番しっかりして気の強い女の子・しのちゃんがすごい勢いで聞いてきた。
「いくつ乗った!?」「私たちは6つ!」
たじたじとなった、のんびり息子。
だいたい数えていなかった。
「多く乗ったら勝ちというわけじゃないんだよ」というと、賢いしのちゃんは照れたように笑った。
わかって、いるのだ。
でも、勝ちたいのだ。
かなとくんも、しのちゃんも、「たくさん」がよかったのだ。
ぜんぜん悪いことじゃない。
「たくさん」を求めるのは、大人の教えでもある。
大人は、仕事で成果を求められることが多いから。
営業でも、金額でも、記録でも、なんでも。
数字はわかりやすい結果だ。
例えばnoteでも、スキの数やPV数を求めたくなることがある。
数字は数字で大事だ。
数のうしろに、人がいたり、努力があったりする。
でも大人もそうだけど、とくに子どもだと・・・。
「ちがう」
いいたくなる。
子どもの時から「数」を優先し始めると、ひとつひとつを忘れがち。
ひとつ、を大事にしてほしいときがある。
何本の花火をしたかよりも、一番好きだった花火はどれ?
いくつの乗り物に乗ったかよりも、一番楽しかったのは、どれ?
何年かたって、「何本花火をしたか」「いくつ遊具に乗ったか」をおぼえているだろうか?
おぼえていてほしいのは、場面であり、空気。
記憶に残ってほしいのは、数ではないから。
※名前はすべて仮名です。
※イラストはもりもとあいさんからお借りしました。お嬢さんのイラスト、かわいらしいですね。ありがとうございます。
しばしお休みしておりました。
優しいたくさんのコメントをいただいて、涙しました。
ありがとうございます😊
また書いていきますね。
皆さんのnoteも、ゆっくり見に回ります。
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