「世界で一番好きな人はだれ?」と聞かれたらかならず答えること
「ねえ、お母さん、世界で一番すきなのはだれ?」
5,6歳の時に息子・スポッ太(スポーツを見るのが好きだから)に毎日聞かれた。
いつもは「あとでね~」と流しがちな私も、この時だけは
「スポッ太だよ」と必ず答えた。
まっすぐ、目を見て。
1日に何回聞かれても
「スポッ太が一番好き」
いつもぷわ~っと広がるような笑顔になる。
「スポッ太はね~、一番好きなのはお母さん。二番目はお父さん」
ちょっと残念そうに、
「お父さんに聞いたらね、一番目はお母さんで、二番目がスポッ太だっていってた」
夫はわざとそういっているのだ。いずれ息子は出ていくんだから、パートナーを一番といおう、と。
私は息子が一番、と答える。
毎日聞くのは不安だからなのか。確認したいのか。
毎日聞かれても、茶化さないで答えるのは、哀しい思い出があるからだ。
ひとつはよく聞く話だ。母は何度もいった。
「お前は橋のたもとに捨てられていたのを拾ったんだよ」
それを聞くたびに悲しかった。
小さい時は「私はここの子じゃないんだ」と思ったし、少し大きくなって嘘だとわかっても聞くたびに寂しくなった。
どうしてそんなことをいうんだろう?
かつてよくいわれていたことのようだが、真意はわからない。
民俗学的なことを知りたいのではなく、母がなぜそんなことを小さい自分の娘にいったのか知りたい。
あまり物事を深く考えない母だったにしても。
聞いたとしてもあっけらかんと笑って、
「昔はみんなそういったのよ~」というような母なのだが。
小学生の時、父は一時的に石にはまった。コレクターとなった。
娘たちを川に連れて行き、石を探す。
家にはゴロゴロと石が置かれ、母は「もう持ち帰らないで」と本気で怒っていた。
いくつか購入した石もあった。濃い赤茶色で艶のある、まるで桜か川の流れのような斑点の模様の入った石。
父が特に気に入り、よく磨いていた。
「これは高いんだぞ」
「そんなにこの石が大事なんだ」
少し呆れた気持ちで、父にいったら
「お前よりもこの石の方が大事だ」と。
冗談だっただろう。
娘の態度も不満だったのだろう。
でも今もはっきり覚えているほど、ショックだった。
子ども部屋に入って、膝を抱えて一人で泣いた。
8歳か、9歳になっていたのに。
愛情表現のヘタな父だった。
酔っぱらって帰ってくると、いつもはしないのに娘を抱っこし、ほっぺを擦り付けてくる。
「ひげが痛い」と本気でいやがっても、何度もするような。
今は父の不器用さがわからないでは、ない。
でもあの悲しみは忘れられない。
胸がギュッと固まるような。
いってはいけないことが、ある。
だから息子に聞かれたときは
「世界で一番好き」と伝える。
今なら当たり前のことかもしれない。
でも。
私にとっても大切なこと。
いつも、できないことばかり、だから。
いつも、焦ってばかり、だから。
何度でも。
一番伝えたいことだから。
「世界で一番好きだよ」
そしていつも、満開の息子の笑顔を見る。
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