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「推し」という概念は千差万別

日記として、今日は何か他に書きたいものもあった気がする。しかし、とあるnoteを読んで、思い当たることが多すぎて今日は推しについて書くことにした。

推し活をやめたという杉岡みなみさんの言葉は胸にくる。そんな杉岡さんの「やめた」宣言に対して、周りの反応もまた切なかった。

「推す」というのは確かに才能かもしれない。

私は特に二次元キャラなどに対して「推す」という感情を催しているが、ミュージシャンに対してはほとんどない。だから、特定のミュージシャンを推している人は、きっと私と違う才能を持っているのだろうな、とこの記事を読んで思った。

この曲が好き、というのはもちろんある。しかし、その好きな曲以外の同じアーティストの曲が好きか、と問われると首を傾げるところである。

大抵、曲を好きになる理由は何かのアニメやドラマの主題歌であったことが多い。でもそれって、結局曲単体で好きなわけではなく、その曲を聞くことによって、アニメやドラマのことを思い出して、総合的に好きなのだ。

勘違いしないでほしいが、曲を貶めているわけじゃない。私の好きになる理由がそうである、ということである。

だから、自分の好きなアーティストが新曲を出したから好き!みたいな発想は理解はできるが、あまり共感したことはない。

二次元ジャンルの中にも推しに対して、様々なジャンルがあるように、二次元と音楽グループという枠組みの中で方向性が違うのだろう。

また、推し活の中でもその才能の働き方は違うな、と思った。

私はほとんどグッズというものを買わない。ハマったジャンルのものを中学の時に買いまくって、結果ただの置物になったり、いつかは捨てなければならないことに気付いたからだ。

この捨てる、というのがめちゃくちゃ苦痛でやめた。

だからと言って、私に綺麗に収納し、管理する能力もなかったのである。

しかし、周りを見ればもう推しのグッズが出る度に集め、綺麗に収集している友人もいる。グッズはそこまでだけれど、円盤なら全部持ってる、という友人もいる。かと思えば、友人の推しだから推してる、という友人までいて、「推し」という概念は本当に千差万別だと思う。

推し活をすることによって、生きる活力を得ている人は多い。と同時に、体力気力、金銭だってもちろんかかっている。

推し活は負担にしてはいけない。

0か100でなくても、たまには30とか60くらいで推しててもいいじゃないか。

そしてまた自分が元気になった時に、その愛を全開にすればいい。恋愛でよく聞くが、彼の隣にいる自分が好きになれる人と一緒にいるといい。これは、推し活にも当てはまるのかもしれない。

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