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[小説] リサコのために|055|十一、展開 (4)

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「君は…また ≪体系≫ に代わったね? リサコを戻してくれる?」

 喫茶店のステージに映し出された良介がこちらを覗き込むようにして顔を近づけなかったら言った。

「性交渉しないともう一度誓え」
「じゃないとリサコは返さないぞ」

「わかったわかったよ、しません。ごめんなさい」

 良介が降参したように両手を広げて行った。

 リサコはカウンター席に腰かけてそれを眺めていた。
 なんだか滑稽に思えてきた。

 肩に手をおかれたので振り向くと見知らぬ男性…いや、どこかで見たような男性がいつのまにか隣にいた。

「僕はオーフォだよ」

 男性は名乗った。深層心理にいた時に同じ名前のAIと知り合ったが別人のようだった。

「≪体系≫ は君にここを解放した。ってことは君も好きな時にここに来れるよ」

「ここは何なの?」

「ここは君の心理の一番浅いところだよ。僕たちは “表層の店” って呼んでる。ここはご覧の通り表に直結してる。あそこのステージに立つと表に出れる。表に出てるときも僕たちと会話もできるし、シャットアウトもできる。やり方はすぐ慣れるさ」

 リサコはそんなことができるのかよくわからなかったが、深層心理にいるときに、他のAIたちと通信したり接続を切ったりしていたのと似ているのだろうか? とぼんやり考えた。
 と言ってもリサコはまるでうまく使えていなかったのだが。

「リサコ、おいで」

 ステージの上にいた ≪体系≫ が手招きしながらリサコを呼んだ。
 リサコは椅子から降りてステージへと向かった。

 ≪体系≫ がステージから降りたのでリサコが登ると、目の前に良介がいた。
 “表層の店” から表に代わるのは一瞬のことで境目がなかった。

 ステージに登った瞬間に良介の部屋に戻っている…と言った感じだった。

「リサコ?」

 良介が心配そうにこちらを覗き込みながら言った。

「良介…」

 リサコが答えると、良介は彼女の身体に腕を回して優しく抱きしめてくれた。

「ごめん…俺、同時にいろいろな想いが溢れてしまって…今度はちゃんと君の了承を得てから触れるようにするから…」

「べつにいいよ…私は大丈夫。それより、私、今のでいろいろ収穫があったんだけど…」

「それは俺も同じだ。まずリサコが知ったことを教えてくれる?」

 それでリサコは自分の心理のすぐ内側にじいちゃんの喫茶店と似ている “表層の店” というのがあり、彼女の交代人格たちはそこにいるということを説明した。
 表に出ている人格がステージに立ち、見ているものがプロジェクターに映し出されて音も聞こえていたと告げると、良介は少々気まずそうな顔をした。

「この会話もみんな聞いてると思う。自分が表に出てるときも彼らと会話できるし、シャットアウトもできるって言ってたけど?」

 リサコはそれをどうやるのかよくわからなかった。

「それは、もしかしたら平場でAIたちが使ってた通信と似てるんじゃないかな?」

 良介が言った。
 さらりと言ったその台詞に、リサコの心臓がドキンと脈打った。

「…あそこでの記憶もあるの?」

「あるよ」

 良介はいかにも当たり前といった雰囲気で言った。

「私と一緒に何年もシミュレーションの中で暮したのも知ってる?」

「もちろんだよ。全部覚えているよ。≪ヤギ≫ を斬るために毎日修行したことも、平場で意味不明な仕事をさせられたことも、じいちゃんが倒れたときにずっと一緒にいてくれたことも、全部覚えてる」

 それを聞いてリサコは両手で顔を覆って泣いた。

「え、何で泣くの?」

 良介が動揺しながら言った。

「ほっとしたんだよ。これまでの全てが妄想だったのかもって恐怖、わかる? 何回やってると思うのこれ…」

「ご、ごめん」

 良介は何故か謝りながらリサコの肩を抱いた。

「私にはもう、どれが本当の世界なのかわからない。だけど良介がいれば…地に足をついていられる」

 それを聞くと良介は心底嬉しそうな表情になった。

「それは俺も同じだ。俺はいま、とてつもなく膨大な量の情報にさらされている。人間の処理能力をはるかに上回る量だ。俺がかろうじて人間としての人格も保っていられるのは、君の精神力から学ぶことが多々あったからだよ」

 良介はリサコの額にチュッと口付けると体を離した。

「そこで、君に提案なんだけど…」

 リサコの手を引き、リビングに戻りつつ、良介は話を進めた。

「これから君は、この現実世界…リサコと俺が夫婦となってのんびり余生をおくることができるこの世界線で生きていくことも可能だ。もしも君がそれを望むのなら、俺は全力でこの人生を維持することにこの身をささげるよ。だけど、世界は混沌としている。俺が把握するかぎりでも、修復可能な歪がいくつもある。八木澤博士の ≪ヤギ≫ はまだ生きてるし、オブシウスやガイスたちの救出も未だされていない…」

「オブシウス達が!? あれは私の深層心理の世界じゃないの?」

「違うよ。あれはここより下階層にある世界だ。実在する」

 リサコは目をパチクリさせてその話を聞いた。
 自分の理解力を超えるいろいろなことが再び動き始めていることを悟ったが、今度も待ったなしで進んでいくようだった。

「…ちょっと待って、ごめん、どういうこと?」

「…言葉で説明するのが難しいんだけど…これ見せても大丈夫かな?」

 言いながら良介は空中に向かってささっと指を動かした。
 すると、目の前に何かの設計図と思われるような複雑な立体図形が、ホログラムのように浮き上がった。

 リサコは驚いて一歩下がった。

「…これって、2020年では当たり前の技術?」

「いや…たぶん古今東西 俺にしかできない」

 表示された図形のちょうど中心くらいに小さな青い光が点滅していた。

「これは、俺が把握している世界の構造だよ。この世界は18の階層に分かれていて、それぞれ独自の世界線が作られている。で、さらに、横次元もあるんだけど、ごちゃつくから省略するね」

 シュッと図形が縦の階層だけの表示になりシンプルになった。

「ほら、あそこの光っているのが現在地だ」

 良介が点滅している点を指さした。

「で、オブシウスたちがいるのがここ」

 下の方に赤い点が出現し点滅しはじめた。

「八木澤博士のムネーモシュネーは意図せずこの階層間を縦断できる機能が備わってしまった。この線、見える?」

 図形の中にぐにゃぐにゃ曲がった縦線が表示された。

「これが、ムネーモシュネーの追跡プログラムが階層間を突き抜けて移動した跡。君もそれを辿ってここまで来たらしい、俺のコアデータを持ったままで」

 リサコは≪ヤギ≫の首を斬った後に、さらにデカい≪ヤギ≫が壁の向こうから出てきたのを思い出した。

「≪ヤギ≫ が君を追跡したせいで、ここの間の世界がぐちゃぐちゃになっている。それを修復しないといけない」

「良介が?」

「そう、俺が。俺…たぶんそれをするために作られたような気がしてる」

「作られたって? 誰に? ガイスに?」

「いや…ガイスではない。もっと根源的なもの…たぶん ≪体系≫ なら知ってるんじゃないかな?」

 良介はリサコの顔を覗き込みながら言った。この会話を聞いているであろう ≪体系≫ に向かって言ったのだろう。
 リサコは頭の中の様子を探ってみたが “表層の店” の様子はまるでわからなかった。

「≪体系≫ は何も知らなそうだったけど?」

「いや、何か知ってるはずだ。しらばっくれてるんだろう。平場にいる時に、AIたちが ≪体系≫ から指示を得ているのを俺は体験している。あれと君の ≪体系≫ が同一かはわからないけど、無関係ではないだろう。ところで、≪体系≫ って二人いる?」

 リサコは驚いて頷いた。

「…そうだよ。≪体系≫ は男女の双子。良介は見たことがあるの?」

「やっぱり…いや、ちらっとしか見たことがない。平場でも見たことはない。だけど ≪体系≫ は二人いるって感じが強かった。恐らく… ≪体系≫ は常に二人、ツインプロセッサなんだろうと思う」

 …ツインプロセッサ…なんかだ機械みたいな言い方だな…と思った。
 双子と言えば、リサコはもう一組の双子と会ったことを思い出した。

「ねえ良介、双子と言えば、私がまだあなたたちと会う前、ネットカフェで見た夢の中で双子のおじさんに会ったんだけど。あの人たちもおかっぱの双子だったよ」

「“MIHO” か?」

 …“MIHO” ? そんな名前だっけか?とリサコは記憶を手繰ったが曖昧だった。

「あれは俺が作った検索プログラムだ。確かに、あれは ≪体系≫ からの提案でツインにしたんだった」

 良介は何か考えている表情をした。良介が考えることはリサコにはとてもわからない。神の領域なのでは?と感じた。

「あいつらから話を聞くのはありかもな…行けるかなあそこに…。その前に、ここでの仕事を片付けちゃってもいいかな? リサコは疲れただろう、寝ててもいいよ」

 リサコは首を振って、リビングのソファーに腰を下ろした。

 良介がテーブルの上にある携帯電話の方を見ると、触れてもいないのに動き出して誰かに電話を掛け始めた。
 数回のコールで電話の主が出た。スピーカーになっていたのでリサコにも声がまる聞こえだった。
 電話の相手は先崎さんだった。

「ちょっとせんぱい、何で電話出ないんですか!? 何なんですか!? 辞職って!?」

 先崎さんは怒っていた。

「ごめん。他管轄の捜査の妨害をした責任を取ったんだよ。それより、うちのヤマの事情徴収だけど、リストを送ったからその子たちに話し聞いてみて。何か出ると思う。それから、八木澤の方も不正が盛りだくさんだ。全部出すとハッキングしたのがバレるからうまくやってくれないかな」

「データ見ましたけど、この短時間でせんぱい全部調べたんですか?」

「…まあ、その、企業秘密で」

「信じていいんですね?」

「大丈夫だ」

「私はせんぱいを信じますよ。八木澤の方、お金の動きがやばいですね。裏取るところから始めますよ」

「いいよ。八木澤のやり方に懐疑的な人間のリストも送ったから協力者にして証言させるといい」

「りょうかいです。これも何でわかったのか教えてくれないんですね?」

「すまない」

「勝手に辞めたツケは払ってもらいますからね」

「わかってる。この件で君は功績を認められて昇格する。俺の手柄を全部やるよ。それでいいかな」

「…ほんとにせんぱいって嫌な人ですね。てゆうか気味悪いんですけど…」

「君にかかってるんだ。頼むよ。ムネーモシュネーを計画ごとぶっ潰してくれ」

 ここまでで良介は電話を切るとリサコの隣に座った。

「さて、これで人間たちの問題は先崎と佐代子がなんとかしてくれるだろう」

「良介は警察を辞めたの?」

 良介は微笑みながら頷いた。

「いま先崎さんに送ったと言ってた情報…もしかして、今私と話している間に同時にやってた?」

 再び良介は頷いた。

 なるほど確かに良介は人知を超えた存在になってしまったらしい。
 と言ってもリサコはAIの良介と共にいた時間も長いので別段不思議にも感じなかった。

「やっぱり君はすごいね。その柔軟性がこの世界で生き抜く強みだ。さて、俺たちは先崎たちより忙しいぞ。こっちは世界の真髄を探らないといけないからね」

 良介は少し楽しんでいるような表情で言った。そういえば、AIの良介ってこんな感じだったな…とリサコは思い出した。
 正常に見えて、その実だいぶ狂っているというのが良介という存在なんだ。

「…と言いつつも、さすがに俺も今日は疲れたよ。一旦休んで続きは明日にしよう…」

 良介があくびをしながら言った。彼でも眠たくなるようだ。

 実際リサコもヘトヘトだった。いまにも気を失いそうなのは否めない。
 リサコは頷くと、ふらつく足取りで良介が用意してくれた自分の寝室へと向かった。
 良介は部屋の入口までついてくると、名残惜しそうにリサコの手を取った。そして本気とも冗談ともとれる口調でこう言った。

「一緒に寝る?」

 リサコが答えるよりも早く、脳裏で ≪体系≫ が腕でバツを作って否定しているのが感じられた。
 その意思は強制的に強く伝わって来た。

 ≪体系≫ が頑なに拒否する理由がリサコにはわからなかった。とにかくダメなのだ。
 リサコが覚えていないトラウマがあるのか。それが正解にも思えたが、もっと根深いものに思えた。

 リサコは ≪体系≫ とシンクロするように腕でバツを作って良介に示した。

 それを見ると、良介は愉快そうにあははと笑い「やっぱダメだよね」と言いながら自分の部屋へと戻って行った。

 リサコはちょっとかわいそうに思ったけど、それ以上に疲れていたので、自分の布団に潜り込むとあっとゆうまに眠ってしまった。

 続きはまた明日。考えなくてはいけないことが山ほどあるのだ。

(つづく)
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