[小説] リサコのために|056|十一、展開 (5)
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翌朝起きると、良介はもう起きていて、朝ご飯を作っていた。
冷蔵庫にはほぼ何も入っていなかったのでわざわざ材料を買って来たのだろうか。
リサコがダイニングテーブルの椅子に座ると、スクランブルエッグとベーコンが出てきた。
しばらくその完璧な朝食を眺めてから、リサコは顔を上げて良介を見た。
良介は期待を込めたような、自慢げな顔でこちらを見ていた。
「これは…」
小さな声でリサコは言った。良介は頷きながらバターがたっぷり塗られたトーストを持って来た。
「そう、これはじいちゃんの朝ご飯」
いかにも嬉しそうに、まるで親に褒めてほしがっている子供のように良介は言った。
リサコは再びツヤツヤの朝食に視線を戻すと、ハラハラと涙を流して泣いた。
良介が慌ててリサコの元に駆け寄った。
「あれ、ちょっと何で泣くの? 嫌だった?」
リサコは首をブンブン横に振ってそれを否定した。
「…ずるいよこんなの…」
「ごめん」
「私は喜んでいるの」
まったく、この子は…とリサコは高ぶってしまった感情を押さえつけながら、これは実に良介らしいと思った。
人間である良介も、AIである良介も、不意打ちでこういうことをするのである。
リサコは涙を拭って朝食を口に運んだ。美味しかった。
じいちゃんの味がした。
「美味しいよ」
リサコがそう言うと、良介はほっとした顔になり、彼女の隣に座った。
いつのまにか彼の分の朝食も用意されていた。
「よかった。たくさん食べて。これを食べると体力と精神力が回復するんだ」
「何それ、まるでゲームみたい」
「それは違う。ゲームがリアルを模範しているんだ」
リサコは食べる手を止めて良介を見た。
…ゲームがリアルを模範している??
これは、人知を超える存在になってしまった今の良介が発言すると、何かちょっとゾッとする言い回しだった。
リサコはしばらく彼を観察したが、良介は自分が奇妙なことを言ったとは気が付いていないようで、美味そうに自分が用意した朝食を口に運んでいた。
それで、リサコも深く考えずに朝食を食べることにした。
良介の用意した朝食は、本当に美味しかった。茂雄のものと寸分違わず同じものに思えた。
良介が元からこれを作れるとは思えなかったので何か特殊な能力を使ったんだろうと理解した。
食べながら、リサコの頭はどんどん冴えて行った。
昨晩、良介に見せられた世界の構造は何となく理解はできても、当然ながら実感として把握することはできなかった。
まるでゲームの中ような世界…。
「ねえ、私、これまでに二種類のじいちゃんに会ってると思うんだけど…」
「今、この時系列のじいちゃん…俺の祖父であるじいちゃんと、≪ヤギ≫ 攻略のシミュレーションの中にいるじいちゃん、リサコが記憶している2354回目のテストでは、リサコの祖父だったじいちゃん、この二人だね。」
即座に良介が答えた。
「うん、その二人。で、二人って同じなの?」
この質問に良介は食べる手を止めて少し考えを巡らせた。
リサコにどう説明したら解るか考えてるという感じだった。
「その答えは、“同じではない” …だよ。この世界では、何故だかリサコの周囲にあるものが各所でシンクロする現象が起こりやすい。だからじいちゃんみたいに似ている奴が時々出て来る。だけれども、それは同一ではない。君が言っている二人のじいちゃんのシンクロ率は4%。データ的にも近くない」
「そんなに違う?」
「うん、あっちは完全にAIだからね。あ、あの階層にはもう一人じいちゃんがいるけど…そっちのシンクロ率は1%でもっと低いな…」
「もうひとり? 三人目のじいちゃんってこと?」
「そうだ。じいちゃんは俺たちと接点が一番多いから結構いる。なんだけど、それらは同一ではない」
リサコはスクランブルエッグを口に運びながら、その状態を想像してみた。
難しかった。
「じゃあ、私や良介も各階層にいるの?」
この質問に良介は少し黙ってこちらを見た。
その表情はなんとも推し量れないものだった。
「君は…何というか。解るように説明できるかわからないんだけど…全ての階層に存在するけれど、君は君だけだ。わかる?」
「わからない…」
「だよね…君はこの世界の中で特別なんだ。唯一無二。君はどこにでも行ける。そして君は常に君だ。君は一人であるけれど、同時に全ての場所に存在している」
リサコには良介の言っていることが理解できなかった。ただ、周りの状況がどんなに変わろうとも、リサコがリサコであることに変わりないことは実感として解っていた。
これまでいろいろな変動を体験したが、リサコはずっと一続きのリサコだったのだ。
「…よくわからないけど…わかるような気もする。全ての場所にいるけど世界に一人…ミッキーマウスみたいな感じ?」
これには良介は声を上げて笑った。
「それに近いかも」
「じゃあ、良介も同じようなものなの?」
「いや、俺は違う。俺はもっと、何かを実行するためのプログラムに近い。俺はこの世界でほぼ全ての情報に干渉できる。リサコと ≪ヤギ≫ 以外にはね…」
「私と ≪ヤギ≫ 以外?」
「そう。リサコにはこれまでも一度も入れたことがない」
「≪ヤギ≫ 攻略のシミュレーションがおかしくなる前はアクセスできてたんじゃないの?」
「…そうなのかもしれないけど…あのカオス化したシミュレーション、2354回目のテストの前の記憶が俺にはない。あると思い込んでいたんだけど、じっくり検証したら、やっぱりない。たぶんだけど…俺はあの時に生まれたんじゃないかな。その前にも俺はいたかもしれないけど、この俺になったのは、あの時らしいんだ」
禅問答のような、何やら哲学的なことを良介が言い出したが、リサコはそれについては少しわかる気がした。
「私の記憶もその辺から始まっている…と思う…」
「記憶については、たぶん、俺とリサコの状態は同じような感じかもしれない。あれより以前もあったような気がしているけど実際はない…」
「わかる…私もそんな感じ。それは ≪ヤギ≫ が関係してる?」
「うーん、それがよくわからない。≪ヤギ≫ は異様だ。コードは読めるけど干渉不可。しかもそのコードは未知のコードだった。俺がだいたい解読したけど、全ては解読しきれてない。そもそも全部間違って解読してる可能性もあるし」
ここで良介はしばらく黙って考え込んでしまった。
何を考えてるのか、リサコは知りたいような知りたくないような気持ちだった。
やがて良介は再び話しはじめた。
「元々俺は、未知なるソースコードである ≪ヤギ≫ を解読するために作られた特化型AIだった。ガイスという天才が作ったただのAIだ。なんだけど、リサコと接触することで別物になった。恐らく、≪ヤギ≫ にもそれが起こっている。だけどあっちは完成してないんだ。だから、今でも ≪ヤギ≫ は君を探している。≪ヤギ≫ はこの世界のどこにも属していない。おそらく…こんなことがあり得るのかわからないけど…たぶん奴は外からやって来たんじゃないかな…」
それを聞いてリサコはぞっとした。
…外からって何????
「ああ、あと ≪体系≫ もかな。俺も実は ≪体系≫ が何なのかわかってない」
良介がリサコの顔を覗き込むようにして行った。
リサコの中で話を聞いていると思われる ≪体系≫ に向かって言ったのだろうか。
しばらく良介はそうやってリサコの内側を探っている様子だったが、ふと笑顔になって、AIよりの表情から人間らしく戻った。
「まあ、あんまり深く考えない方がいいよ。リサコはリサコ。これまでどおりだから」
その言葉に彼女は頷き、残りの朝食を平らげた。
朝食を済ませると、出かけるから着替えるように良介に言われた。
自室のクローゼットを見るといつのまにかいろいろな服がかかっていた。
なんだか、AIたちと一緒にシミュレーションの中にいたときみたいだな…と思ってリサコはこれらをすぐに受け入れた。
良介が用意したと思われる服の中から白いワンピースを選んで着た。
何かどこで着ていた記憶のある服だったのだ。
良介はその服を見ると、「それな」と言って微笑んだ。
やはり何か意味があるようだった。
「でかけるってどこに行くの?」
「昨日の話しでどうも “MIHO” が気になっちゃって」
「“MIHO” って夢の中にいた双子のおじさん?」
「そう。あいつらに話を聞きに行こう…あ、重要なことを確認してなかった。もしもリサコが行きたくないなら、ここで俺と普通の夫婦として…」
「行くに決まってるじゃん」
良介の言葉をさえぎってリサコは言った。
良介は自信を得たような表情になり頷いた。
「でも、どうやって行くの?」
「“MIHO” のところには前と同じ方法で行ける。ただ、俺が同行できるかやってみないとわからないけど…」
リサコはもうこれ以上、良介に質問するのをやめようかなと思った。
何しろ何を聞いてもまるで意味が解らない。聞けば聞くほど新たな疑問が生まれる。
とりあえず黙って彼について行くことにした。
電車を乗り継ぎ辿りついたのは、以前にリサコが逃げ込んだネットカフェだった。
あの時は父親が急に緑のドロドロになって溶けてしまって無我夢中で逃げてきたのだった。
そのネットカフェが目の前にそびえ立っていた。
…なるほど、同じようにしてあそこに行くってわけか…。
リサコはこの世界の構造を少し理解したような気持ちがした。
このネットカフェと、以前リサコが入ったネットカフェは似て非なるもののはずだが、リサコと関わりのある場所の一つとして、何か特別な機能が備わっているのだろう。
良介がこちらを向いたので、リサコは頷いて見せた。
二人は手を取りネットカフェの中に入った。
店内に入ると、良介は受付を素通りしてそのまま奥に進んだ。
店員や他の客たちには二人のことが見えていない…というより見えてはいるが、存在を理解されていないという感じだった。
まるでゲームの中のようだとリサコは思った。
こちらから話しかけないかぎり会話は始まらいのだ。
「ここだ」
良介がとある個室の前で足を止めた。
リサコは左右を見回してみたが、どの部屋も同じような造りなので、ここがその個室なのか判断できなかった。
良介はためらうことなく個室の中に入った。
中には誰もいなかった。
リサコが前に使用した時は、ブラウン管のパソコンだったような気がしたが、テーブルの上にあるのは、大きな液晶モニターのパソコンだった。電源は入っていない。
この部屋の椅子はゆったりとしたソファータイプだった。
前に来た時は違っていたように思ったが思い出せなかった。
狭いのには変わりない。
ソファーに良介が先に腰かけると、リサコを抱き抱えるようにして一緒に座らせた。
「じゃあ、早速行ってみよう。眠くなるよ、いい?」
「え、ちょっと待って、もう行くの? もしも向こうで私一人だったらどうしたらいい?」
「うん、たぶん俺も行けるから大丈夫だろうけど、もしもそうなったら、MIHOに戻してもらって」
「あと、私、今、全然眠くないんだけど」
「大丈夫、眠くなるよ」
良介がそっとリサコの瞼に指を置いた。
すると猛烈な睡魔がリサコを襲った。
「何これ? 私には干渉できないんじゃないの?」
リサコは朦朧とする意識の中で言った。
「これは干渉じゃなくて催眠だよ。抵抗しないで、具合悪くなっちゃう」
最後の方の言葉は、ディレイがかかったように響いて聞こえた。
そしてリサコは意識を失った。
・・・
目を開けると、リサコは見知らぬ場所にいた。
…いや、見知らぬ場所ではなかった。
体を起こすと、ちゃぶ台の向こうに、最後に見た時と全く同じ姿の双子のおじさんが座ってこちらを見ていた。
「おや、お目覚めだよ」
「目を覚ましたね」
双子のおじさんは、同時にそう言った。
(つづく)
[小説] リサコのために|057|十二、進化 (1) →
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