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「絶対にお金で苦労したくない」が夢ではだめですか?

遠い遠い昔、卒業アルバムに「私の夢」について書くことを求められた。

みんなが思い思いの「夢」を書く中、特に夢などなかった私はテキトーに「薬剤師になりたい」と書いた覚えがある。

そう書いたのは、たまたまそういう職業があることを知ったばかりだったから。なんとなくカッコよさげなイメージの職業名を書いたまでだ。

それからすでに数十年の時が経過したが、特にその手の「夢」を抱かぬまま今日に至る。

だからだろうか。今でも「将来何になりたい」などの「夢」がある人は別の星の住人のように思えてならない。客観的に見て素敵だなとは思うが、自分とは全くリンクしない。

ここからはただひたすら夢のない話になるが、何卒ご容赦願いたい。

少しずつ大人の事情がわかるようになったのは小学校低学年の頃。その時点ですでに「夢は寝てから見るものだ」をモットーとしていた記憶がある。

たぶん両親がそういう考えの持ち主だったことが影響しているのだろう。

また、自分は小利口な器用貧乏で、何も突出した才能がないことを早くから自覚していた。

だから子どものころから「将来○○になりたい」という類の夢はただの一度も抱いたことはない。もともと身の丈に合わない夢は見ない性質なのだ。

しかし、別の意味での「夢」はあったかもしれない。いや、それは間違いなく私が子どもの頃から抱き続けてきた「夢」だったと思う。

それは「将来絶対にお金で苦労したくない」という強い思いだった。

子ども時代、リアルに貧困を実感した記憶はないが、よく稼ぎよく使う父親のせいでどちらかと言えば貧乏家庭だった。

それが理由で能力だけ見れば十分進めたはずの進路を早々に諦めたし、両親はいつもお金のことで暴力を伴うケンカをしていた。

私が子どものころから「絶対にお金に困る生活をしたくない」と思ったのは、そんな我が家の現状があったからだ。

また、当時住んでいたところが露骨に貧富の差があり、本当の貧困というものを目の当たりにした経験も大きかった。

昭和40年代当時、私が移り住んだ地域は貧困家庭がとても多いエリアだった。

近所にはまるで戦後のバラック小屋のようなボロ家が立ち並んでおり、ドブ臭いにおいがあたりにたちこめていた。

我が家を含めた父の親族は戦前からそのエリアに昔から住んでいた一族だったが、我が家はバラック小屋ではなかったし生活も貧困な状態ではなかった。

実家は古い家屋だが内部はリフォームを行い、母親が毎日家の中を小きれいに整えて快適ですらあった。

しかし、比較的新しい家屋が並ぶ友達の家のエリアと比べると、バラック小屋が立ち並ぶ中にある自分の家はやはりみすぼらしく見えた。

だから子ども心に「私はスラム街の住人」と感じてしまい、よそのエリアの友達を自宅に招くのをためらった。たまに裕福な友達をわが家のエリアに連れてくるとびっくりする子も多かったのも事実だ。

同級生の家の中にはゴミ屋敷も複数あったし、白昼堂々と我が子やその友達が外にいる状態で窓を開けたままセックスに明け暮れるシングルマザーもいた。貧困ゆえに十分な食事が取れずに栄養失調で倒れた同級生も一人や二人ではなかったと思う。

それは年端のいかない多感な子どもには中々にショッキングな光景だ。ましてや、東京の西エリアに建つ新築の公団住宅から越してきた私にとっては、同じ日本にこんな場所があるのか?というレベルの衝撃だった。

当時の自分に貧困家庭への差別の気持がなかったとは言わない。その人たちと自分を一緒にされたくない気持ちも強かった。近所の人はみんないい人ばかりだったのに、それよりも差別意識の方が先に立ってしまった自分が恥ずかしい。当時の自分を穴の中に生き埋めにしたいレベルで恥ずかしい。

ただ、幼い自分にそれを求めるのは酷だったとも思う。苦い記憶だがそれも自分の人生の汚点として受け止めるしかない。

そんないきさつからか、私は幼いころから貧困というものに強い恐怖を感じてきた。そして自分がお金で苦労しない生活をするにはどんな大人になればいいかを真剣に考え始めた。

そのためには地に足をつけ、身の丈を超えた夢など抱かずに地道に生きることが必要だという考えに至った。

どんな仕事につけば、どんな人と結婚すればお金に困らずに生きていけるか。どうすればこのスラムから抜け出せるか?などのことを真剣に考え始めたのは中学に入るころだったと思う。

高校に行く頃には己の才能の限界を知り、平凡な自分がどうやったらお金に困らずに生活できるか?についていつも考えていた。大学や短大に進学するのもより高い収入を得るための手段でしかなかった。

また、当時は慣例だった結婚退職で仕事を辞めた場合、どんな職業につく人と結婚すればお金に困らずに生きていけるか?ということまで考えた。

それを進路相談で担任に言ったら「お前はなんのために進学するつもりなのか?」と呆れられたものだ(笑)。

銀行を就職先に選んだのも、就活当時は銀行の給料が高く安定の象徴みたいな就職先だったからだ。また、すぐ仕事を辞めないまじめな人と結婚すれば少なくとも食いっぱぐれることはないだろうとも思った。

将来の夫がDV男である可能性も考えた。しかし、昔気質の実家の父によく殴られていた(手加減はあった)ので、暴力から身を守る術は心得ていた。だから多少夫にDVがあろうとなんとかなるだろうと思っていた。今考えれば非常に浅はかだが。

結婚生活は山あり谷ありで夫は家事育児にノータッチだった。とはいえ、今日まで暴力は一切振るわれていない。実家で父親のこぶしが飛んできた頃よりはるかに穏やかな結婚生活が過ごせている。

また、家計がカツカツの時もあったものの、現在まで貧困レベルではお金に困らない状態で暮らしてこられた。こんな世知辛い世の中でそれ以上の幸せはないだろうと思う。

まさにそれこそが、私が小学生のころから抱き続け、追い求め続けてきた「夢」だったと今になって感じている。その「夢」を子どものころから執拗なまでに追ってきたからこそ、私は曲がりなりにも幸せだと言える人生を歩んでこられたのだろう。

世の中では、「将来の夢は?」と聞かれると、純粋に「〇〇になりたい」と将来の職業などに絡んだ「夢」を語ることがよしとされている。

それに比べると、「絶対にお金に困らない生活がしたい」という即物的な私の「夢」はなんか不純で薄汚れた感じもしないでもない。

しかし、どんな形であれ夢は夢だ。子どもが抱く夢が「お金に困らない生活をしたい」ではダメだろうか?とも思う。

私の場合は子どもの時分に垣間見てしまった世の中の暗部への強い恐怖心が動機になった部分はある。しかしこんな格差社会であればそんな夢を支えに強く生きていくことも必要ではないだろうか。

実は、「絶対にお金に困らない生活をしたい」夢が叶った後、生活がだいぶ落ち着いた私には新しい「夢」ができた。

「自分の得意なことで誰かの役に立ち、そのリターンを新たな出会いやスキルアップ(ついでにお金という形でも)受け取りたい」

人生の後半にしてそんな健全な夢を見るようになったのだ。

その夢はもちろんこれまで抱き続けてきた不純な夢の延長にあるが、それでもだいぶ世間で言われる純粋な方向性になってきたと思う。

残された人生はおそらく30年を切った。もしかすると20年を切っているかもしれない。明日死ぬ可能性だってゼロではない。そんな状況の中、新たに生まれた夢は残りの人生をかけて実現することになろう。それは今後の人生の楽しみになりそうだ。

人は経済的な余裕ができると心にも余裕が生まれ、より前向きな夢が見られるようになるのかもしれない。

経済的に余裕がない中で大それた夢を実現できるのは、ごく一部の才能ある者だけだ。

「とりあえず人並みの生活をしたい」

「自分の家庭を持ちたい」

「お金に困る生活をしたくない」

などの願望を「夢」として抱いてもいいじゃないか。

健全な夢は衣食足りて初めて生まれるものではないか?

そんなことを思う今日この頃である。


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