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それは「妬み」だ。自分を蔑ろにするな

筋金入りのいじめられっ子である経験から以前から薄々わかってはいたが、フリーという立場で仕事を始めてから特に思うことがある。いじめとか、バッシングの原因には「妬み」という感情が渦巻いていることが多いということだ。あるいは自分が幸せではないから誰かを叩かないと自分を保てない弱い人であるかのどちらかだ。

妬みの場合はいわゆる「隣の芝は青く見える」ってやつで、実情はそんなによいものでもないのだけど、そういうことを想像する力が欠如しているのか、妬みむき出しでこちらに対峙してくる人が多い。

また、私たちのやっている仕事は割と低俗なものとみられているせいか、実害もなくよく知りもしないのに貶める発言をする人も結構多いが、そういう人には自分の仕事で成功している(傍からはそのように見える)人も結構いたりするので一瞬「なぜ?」と思う。けれどもそちらはおそらく自分の仕事、あるいは私生活が幸せとは程遠いところにあるかわいそうな人なのだろうと最近は確信している。(結局こちらも妬みだったりして)

若い頃はそれがわからず、随分自分を責め、至らない自分を蔑ろにして周囲のご機嫌を取っていたような気がする。そうやってますますいじめられたり嫌な目にあわされたりした。

でも最近はもう自分を貶める事はやめた。自分ではまだ自信など持てないが、少なくとも私は傍から見てある程度はできる人だと思われているようだし、幸せそうにも見えるらしい。そう思うようになったら、そのようなバッシングが段々気にならなくなってきた。もちろんたまに腹は立つけど。

半世紀も生きていれば多種多様にわたるいくつもの経験を重ねているから人を見る目も養われる。たとえば対峙する相手の妬みの感情もわかるし、「この人今幸せじゃないんだな」ってことはもっとわかってしまう。私が知る限り本当に幸せで充実した人生を歩いている人や人格者と呼ばれる人は他人の粗など気にもしない、気にならないという感じで我関せずの人が多い。充実した生活を送っている人は他人のことなど構っている暇などないのだ。

だから、今いじめられたり、不当なバッシングを受けて自分に自信がなくなっている人に言いたい。バッシングにひるんだり腹が立つことがあっても、自分で自分を貶めることだけはやめよう。バッシングする彼らはそれしか能がない実にかわいそうな人たちなのだ。自分がやりたくてもできないことをやっている、あるいはこちらが幸せそうに見えて妬ましいからバッシングするのだ。それは決して励ましの言葉ではない。確固たる事実だ。

50年以上生きてきて、それなりに悲喜こもごもの人生を経験してきた人間が言うのだから間違いない。どうか信じてほしい。そして、自分にもっと自信を持ち、どんどん実力と幸せをアピールしてほしい。そう切に思う。

画像:ぱくたそ様


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