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思いつきで踏み出した「一歩」は「人生を変える大きな一歩」だった

結婚後すぐ妊娠し、文字通り家事育児だけが人生のすべてという感じで生きてきたら、なんと専業主婦歴25年になっていた。

その間に再就職のチャンスがなかったわけではない。

ただ、就職先が決まったタイミングで、なぜかいつも「引っ越しを伴う夫の転勤」や「自分の病気」などの「妨害」が入り、結局専業主婦のまま四半世紀も経ってしまった次第だ。

で、ようやく引っ越しを伴う夫の転勤がなくなり、私の体調がやや落ち着いたのが50歳直前。老後のお金の心配もあり、また再就職活動を始めた。

しかし、高齢、ブランクありすぎ、まだ体調が万全ではない状態での再就職は難しいどころか不可能に近い。

その現実を目の当たりにして心が折れ、再就職どころか仕事に関係ないごく小さなことへの挑戦すらできなくなった。

それが原因で一時期鬱状態になり、更年期の不調もあってなにもできなくなったこともある。

そんな折、ふと「自営業として家で働く」という考えが私の脳裏に浮かんだ。それはほんとうに思いつきとしかいいようがない考えだった。

しかし、私はその思いつきを実行するべく一歩を踏み出した。その時自分が何をどう考えてそれを行ったのかは覚えていないが、とにかく一歩踏み出したのだ。

結果的には、その「一歩」が25年専業主婦だった私にとって「人生を大きく変える大きな一歩」となったのだが、当時はそんな展開を予想すらしていなかった。

「自営業になる」と一歩踏み出した後の行動は速かった

「自営業になる」と一歩踏み出した後の行動は、自分でも驚くほど速かった。

まず、学生時代からずっと高く評価され、たびたびモニターとして採用されていた「文章」で稼いでみようと考えた。

それと同時に、当時話題になっていたクラウドソーシング会社に登録して様々な案件に応募。その約1年後には文筆業で開業届を出した。

今年の桃の節句には5回目の確定申告を終えた。こんな高齢のライターデビューでよく6年も続いたものだ。

これまではずっと、内心「私はプロとは言えない」と思っていた。しかし、5回目の確定申告を終えた頃から自分がプロのライターを名乗ることを自分の中で認められるようになり、それなりにこの業界でやっていけると思えるようにもなった。

50を目前に突然「自営業になろう」と思った理由

それにしても、思考停止に近い鬱状態の中で、なぜ突然50を目前にして「自営業になろう」と思ったのか?その理由は今でもよくわからない。

ただ、子どもの頃母が業務委託で販売用の洋服を作っていたのを見ていたせいか、「自営業として働く」ことへの心理的ハードルは低かった。

そのことが大きな一歩を踏み出せた大きな要因かもしれない。

また、パソコン通信の頃からパソコンの操作やインターネットに慣れ親しんでおり、オンライン上のやり取りや自分が知らない各種ツールを使うことへの抵抗がなかったのもかなり大きいと思う。

そのような幸運な条件がたまたま重なっていたからこそ、私自身はまったく未経験だった自営業としてスタートできたのだろう。

かくして、その一歩を踏み出して以来、私は専業主婦時代には絶対に無理だと思っていた大きな一歩を何度も踏み出している。

仕事に関して踏み出すべき「大きな一歩」は3つあった

まず、仕事に関して踏み出すべき「大きな一歩」は3つあった。

1.未知の企業への営業活動
2.金融系国家資格取得への挑戦
3.家族の用事以外で他県に一人で行く

3については「なぜに?」と思う人も多いだろう。それについては私自身の問題として簡単に理由を説明したい。

実は私は同世代の中でも考えが古い人間で、「常に家にいて家庭を守るべき主婦が、自分の用事のために長時間家を空ける」ことに強い罪悪感があった。

そのため、3が私にとって一番高いハードルだったのだ。

同じ理由から、むしろ1と2はハードルが低かった。その理由は以下の通り。

・企業への営業は「オンライン」でできる
・多くの資格試験は自分が住む町が試験会場になる

要するに、私には「長い時間家を空ける」「すぐ家に帰れない距離の場所に行く」ことに強い抵抗があったということだ。

言い換えれば「すぐ家に帰れる」「家でできる」のどちらかまたは両方を満たすことに関しては、初めてやることでも抵抗を感じなかったともいえる。

それは自分でも意外だったが……

しかし、それらの「大きな一歩」は時間の経過とともに「簡単に踏み出せる小さな一歩」になった。

そして、そのことがきっかけで、「プライベートでもずっと踏み出せなかった新たな分野に大きな一歩を踏み出す」ことを容易にした。

それもまた自分としては意外すぎるほど意外な変化だった。

プライベートでも次々と「大きな一歩」を踏み出せるようになった。

以上のことを機に、プライベートでも次々と「大きな一歩」を踏み出せるようになった。

インターネットバンキング&スマホ決済を始める

まず踏み出した一歩は「インターネットバンキング」「スマホ決済」の2つを始めたことだろう。

元銀行員かつ「インターネット老人会」の私は、オンライン上で行う金銭取引におけるセキュリティリスクをかなり理解していたので、その2つを始めることには強い抵抗があった。

ただ、クラウドソーシングの振込手数料(自分払い)の関係で某インターネット銀行の口座を開設せざるを得なくなった。

また、元銀行員ということで金融系の仕事が多く来るので、「スマホ決済をやっていません」は通用しないという事情もあった。

そんなわけで、どちらもしぶしぶ始めた次第だ。

しかし、そこで一歩を踏み出すと抵抗感はゼロに近くなり、現在はほぼすべての口座をインターネットバンキング化。スマホ決済などの金融サービスとの連携で便利に使っている。(もはやスマホを絶対なくせない状態に……)

投資デビュー

何事にも慎重(よく言えば)、悪く言えば臆病な私は投資にも強い抵抗があった。

しかし、金融ライターとして投資について勉強するようになってからは、投資に対する抵抗感がぐっと小さくなった。

また、NISA(「ひふみプラス」やってます)やiDeCoなどの制度も投資へのハードルを下げるのに一役買い、今ではおっかなびっくりながらも割と投資(正しくは投資信託だけ)に前向きになっている。

これについては、単に「無知ゆえの抵抗感」だったといえるかもしれない。

フリマアプリで中古品販売

最近始めたのがフリマアプリを使った中古品販売だ。

これも金融ライターとして節約系の記事を書くために始めたものだが、意外なものが高値で売れたりするのが面白いと感じている。

価格交渉を含めた買い手(候補)とのやり取りが難しいのでは?と思っていたが、実際にやってみたらそうでもなかった。

色々リスクはありそうだが、これも「知る」ことでクリアできそうなので、今では抵抗がない。我ながらびっくりだ。

プライベートな理由で長時間家を空ける

先ほどお話した理由から、私は長年自分だけの用事で遠くに行ったことがない。

また、ライターの仕事で遠方に行くようにはなったが、ごくプライベートな理由で長時間家を空けることには強い罪悪感があった。

しかし、仕事で複数回遠方に行くうちにその罪悪感が薄れたのか、「上野の美術館に行く」などのプライベートな用事でもすんなり遠方に出られるようになった。

夫は今でも私が自由に出かけることが内心面白くないようだが、「俺の飯は?」なんて野暮なことを言わないのでよしとしよう。

(とはいえ、ここ3年ほどはコロナのせいでほとんど地元を出ていないのだが……悲しい)

小説サイトへの作品投稿

「主婦の分際で小説家気取りもなぁ」と思って挑戦を控えていた小説サイトへの投稿も始めた。

まだ数点しか投稿していないし、それがお金になるとは思っていない。ただ、挑戦するのはタダだし、文筆業のキャリアにもプラスになるかもしれないので挑戦している。

ハンドメイド作品販売

まだ準備段階だが、長年たしなんできたハンドメイドの作品を販売することにも挑戦中。

今はコストが安く数時間で複数個作れるレジン作品の販売を検討中だ。

しかし、実はソーイング歴が30年あり、洋裁を生業としていた母が認める程度の縫製技術はあるので、ゆくゆくは布製品の販売もやってみたいなとは思っている。

親戚の子が通う学校のバザーには、レジンやソーイングの作品をすでに複数回出品している。親戚によれば「少々高い値段をつけても即売れしている」とのこと。それで一定の手ごたえは感じているところだ。

実は元々自営業としてやりたかったのはこちらだ。

しかし、「ハンドメイド販売は良い品でも安く買い叩かれて利益が出にくい」と母からいつも聞いていたので、収入に結び付きやすいライター業が安定してから実行に移そうと検討していた。今その時が来たことを感じて実行に移す方向で動き始めている

収益を得られるブログ

これはすでに始めているともいえるし、これから始めるともいえる。

少なくとも、レンタル無料ブログは過去に5回ぐらいやっており、アクセス数もそこそこあった。特に海外生活中の情報ブログなど、転勤で移り住んだ場所のご当地ブログはウケがよかった。

すでに共同で始めているブログのテーマはエッセイメインだが、それとは別に個人的な仕事のポートフォリオとなるブログも開設しようかと考えている。

※ご当地ブログは諸事情により今は考えていない

ライターと同じくらいの収入をブログで稼ぐのは難しいだろうが、これはライフワークとしてのんびりやろうと思っている。

家事の合理化

仕事を始めてからしばらくは、専業主婦時代と同じクオリティの家事を行っていた。そのため、仕事と家事の両立のために寝る時間を削らざるを得ない時も多かった。

「家庭を守る主婦はいついかなる時でも丁寧な家事をやらなければいけない」という「ジェンダーの呪い」が私にかかっていたからだ。

しかし、それによる無理がたたって低音性難聴を繰り返す羽目になったので、ずっとためらっていた家事の合理化に踏み切った。いや、踏み切らざるを得なかった。

ずっと苦痛だった掃除機掛けはルンバにまかせることにした。

料理は調理済み食品や加工済み食材などの活用で時短化を実現。健康上の理由もあり作るのも片付けも面倒な揚げ物は一切やめた。

そして、毎日行っていた家の掃除は週数回まで減らした。

もしずっと専業主婦のままだったたら、おそらく高齢になって体が弱っても泣きながら丁寧な家事をやっていたと思う。今、誰が止めても母が無理に丁寧な家事を泣きながらやっているように。

でも、仕事をやる方向に一歩踏み出したおかげで「やらなくてもいい家事」が見えるようになり、それが自分の健康を守る手段として機能している。

運動

家で仕事をしていると運動不足になり、年齢的なこともあってあちこち体にガタが出始めた。そこで、ここ数年意識して定期的な運動を行っている。

といっても、毎日の散歩または自転車、全身ストレッチ、スクワットなどの軽い運動だ。それでも最近は一定の効果が出て、一番太っていた頃の体重マイナス10㎏を実現できた。

これも、間接的には自営業の仕事を始めたおかげで得られたメリットだ。

人生を大きく変えた「大きな一歩」。これからも「新たな一歩踏み出す」ことを続けたい

こうやって書き出してみると、自営業の仕事を始めると決めてからどれほど多くの「大きな一歩」を踏み出してきたことか。

そのおかげで、当時の自分が想像もしなかった人生が展開している。明らかに私の人生は大きく変わっているのがわかる。

専業主婦のままだったら一生見ることのなかった景色が目の前に広がっていることも自覚している。

そう考えると、鬱状態の中、ほぼ思いつきで踏み出した一歩がどれほど大きな一歩だったかが今になってわかる。

そして、踏み出す前はとてつもなく大きく見えた一歩がやがて小さな一歩になり、また大きな一歩を踏み出すべきテーマが目の前に現れることもよくわかった。同時に、それで自分の人生がよくなりつつあることも今更ながらわかってきた。

それを考えると、どんなに怖くても常に新たなゾーンに一歩踏み出し続けることが必要なのかもしれない。言い換えれば、いくつになっても進化が必要だということか。

お迎えが近い高齢期になってもそれを続けるのはある意味しんどそうだが、それをすることで人生が良い方向に向くのだろう。それなら、これからも新たな一歩を踏み出し続けていきたい。最期の時に「よい人生だった」と笑えるように。

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