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親は自分の「失敗談」を子どもに話そう

子どもが自立してから時が経過すればするほど、自分の子育てが非常にまずかったことを痛感している。

はっきり言って、子どもにとっては毒親といっても差し支えないレベルのダメ親だったといわざるを得ない。

それでも彼らが自力でたくましく生きているのは、子どもたち自身の資質がよかったからだろう。親がいなくても子どもは育つとはよく言ったものだ。重ね重ねダメ親で本当にすまん。

しかし、ひとつだけ自分の子育てで誇れる(?)ことがある。恥を忍んで我が子に自分の失敗談を披露したことだ。

結果的に、うちの場合はそれが子どもたちにプラスの効果をもたらした。どうやら親の失敗談から子どもが学べるものは多いようだ。

今回は数ある失敗談の中でも、特に子どもにプラスの効果をもたらした2つのエピソードを披露しよう。いずれも私にとっては恥ずかしい話だが、現在子育て中の人の参考になれば幸いだ。

失敗談1:小3の時に失禁した話

昔から私はなぜか「トイレが近い人」で、休み時間にトイレに行っても授業中に尿意を催すことが多かった。

しかし当時の担任は授業中にトイレに行くことを許してくれなかったため、1度だけ我慢できずに失禁した。結果的に、私は中学卒業までそのことでいじめられる羽目になった。

そのようなしょうもない体質ほど子どもに遺伝しやすいのか、子ども達もトイレが近かった。そのため、授業中にトイレに行くことをとがめる子どもの担任には自らの恥ずかしいエピソードを披露し、決して授業中にトイレに行くことを禁じないように依頼した。子どもたちにも「先生がダメと言ってもそれを振り切ってトイレに行け。何か言われたら私が学校に乗り込んで抗議する」と言っておいた。

それが功を奏したかどうかはわからないが、おかげさまで子どもたちは一度も学校で失禁することなく今日に至っている。また、そのようなことが原因でいじめられなかったことも親にとってはうれしいことだ。

失敗談2:高校の数学で2度0点を取った話

高1の時、数学で2度0点を取ったことがある。

別に白紙で出したわけではない。至ってまじめに回答したつもりだったが、全てことごとく間違えていた。正真正銘の0点である。ちなみにいずれの0点も三角関数メインのテストだったと記憶している。三角関数憎し。

当時高校数学を舐めていた私は、ろくに勉強もせずにテストに臨んだ。その結果が0点なのは当然だったが、返ってきた答案を見た時にはさすがに衝撃を受けたものだ。

(そういや、2度目の0点の時は答案を片手に怒り狂う担任から「お前勉強やる気あるのかぁぁぁ」と追い回されたっけ…)

もちろん、通信簿の数学の成績は赤点。追試を落とせば落第という崖っぷちに立たされた私はさすがに必死で勉強した。その結果どちらの追試も80点以上。やればできるじゃん私(それは違う)。

そこまで追い詰められないとやる気が出ない私もどうかと思うが、それでも人生で詰んだ経験はないのでまあよしとしよう。(だから違うって)

ところで、そのエピソードを話してよい変化があったのは、私とまったく真逆で非常にまじめな性格を持つ下の子だった。

コツコツまじめに勉強するタイプの下の子は、テストの結果が少しでも悪いと気の毒なくらい落ち込んだ。私が「次は大丈夫だよ」と慰めるとますます落ち込む有様。

それで「その程度で落ち込む必要はない。下には下がいる」と披露したのが昔の0点エピソードだった。

その話を聞いた下の子は明らかに軽蔑の目で私を見たが、「私はお母さんよりまし」と思ったのか必要以上に落ち込まなくなった。その結果自信を取り戻して成績もグンと上がった。

一方私とよく似た上の子は0点こそ取らなかったものの、舐めてかかった大学入試で崖っぷちに立たされた。

その時話したのが追試で80点以上取った話。「今からでも必死になれば必ず結果が出るから本気になれ!」と叱咤激励したのだ。そのエピソードが効いたのか、そこから必死で勉強した上の子は、周囲から絶対に落ちると言われていた大学の後期試験で合格できた。やればできるじゃん。(違)

「親は完璧な存在ではない」と伝えることは子どもにとってプラスに働く

話し出すときりがないので他のエピソードは省略するが、私が自身の失敗談を子どもに披露した結果プラスに働いたことは非常に多い。

親の失敗談は「親は決して完璧な存在ではない」ということを子どもが知り、幼いころは全能の存在にも見える親への恐れを薄れさせる効果があるのだろう。

その過程を正しくたどらないと子どもは親に対して委縮したままになり、健全に育たない。今ならそのことを断言できる。

親はいつまでも子どもの「上」に君臨してはいけない

そのように思った理由は、私自身が両親との関係から生じた問題で長く苦しんできたことにある。

私の父親は常に家族に対して高圧的な家長であり、母親はよくできた、いや母と同年代の人からも驚かれるほど完璧な良妻賢母だった。そしていつも子どもより高い位置に君臨し続ける「神」のような存在であり続けようとしていた。

ただし、それは家父長制の思想が残る戦前・戦中世代のスタンダードな考え方でもある。現在80代の親ならむしろそのような人が多いであろう。

それもあり、私はつい最近まで両親を超えられない高い壁のように思ってきた。そして自分の生き方全てに自信が持てず、未だ自己肯定感は低いままだ。

その苦い経験から、親がいつまでも「完璧な存在」として子どもの上に君臨してはいけないと思う。私があえて自分の失敗談を子どもに披露したのもその思いがあったからだ。

もちろん、必ずしもその試みがうまくいったわけではない。結果的には思うようにならない子どもに理不尽な感情をぶつけたことも多い。その罪は死ぬまで背負い続けることになるだろう。

それでも、自分の失敗談を子どもに伝えたことだけは後悔していない。子ども自身もそのことだけは好意的に受け止めている。

決してよい親ではなかった私だが、その点だけは子どもにとって救いとなったようだ。それだけでもよかったと心から思う。

あとは子どもたちが私を見てダメだと思った部分を踏襲せず、私を反面教師として生きてくれればいい。そうすれば、きっと後悔が少ない人生を歩めるはずだと信じている。

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