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「子どもでいたい」と思ったことはただの一度もなかった小学生の頃

小学校入学の頃、父親の仕事の都合で東京から今の地に引っ越した。

東京でもハイソで有名な山の手から、ちびまる子ちゃんでおなじみの田舎の港町とのギャップはすごくて、幼い私はもはや異文化間のカルチャーショック並みの衝撃を受けた。

入学早々ただ普通に話しただけでも「なにそのしゃべり方?東京から来たからって気取ってんなよ」と言われ、かなり壮絶ないじめを受けた。教師まで「なにすましてるの?かわいくない」なんて言うものだから、そのいじめには拍車がかかったことは言うまでもない。結局なんだかんだでいじめは小学校卒業まで続いたため、その時期の思い出などひとつ残らず記憶から消し去りたいほどろくなものではない。

かくして、高学年になるころにはどこか醒めた目で物事を見るようになっていた。いじめられてばかりで人生はちっとも楽しくなかったし、そのころから希死念慮のようなものも芽生え始めていたような気がする。

だから児童を差別するような担任教師には小ばかにしたような態度でことごとく逆らい、お金のことで喧嘩ばかりしていた両親を遠目で見ながら「この2人が離婚したらよりお金に困らない方についていくしかないな」なんて、実に醒めた目で大人を見ていた。そうすることでしか自分を守る事ができなかったのかもしれない。

1日も早く大人になりたかった。大人の支配下に置かれてがんじがらめになり、大人の都合に振り回される生活から解放されて自由になりたかった。子どものままでいたいなんて思ったことはこれまでの人生でただの一度もない。

親や教師の負の面から大人は汚くずるいものだと思っていたが、そうなることでしかこの世を生きていく術はないなら自分もそんなずるくて汚い大人になり、自分を振り回した大人に復讐したいとすら思っていた。

何度思い返しても、当時の私は人生を驚くほど斜めに曲がった目で見ていた。また、未来に希望など全く持てないまま生き急いでもいた。

今にして思えば、「何をそんなに馬鹿みたいに突っ張っていたの?」と我ながら笑ってしまうが、おそらくそれが自我の芽生えであり思春期特有の生意気さだったのかもしれない。

ただ、ろくな思い出のない小学生時代を過ごしたからこそ、人生に大きな期待もせずに済み、身の丈に合った穏やかな生活を手に入れられたのかもしれない。そう思えば、当時の消し去りたかった記憶もまた意義のあるものであったと言えるのだろう。

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