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「ベビーカー参拝自粛」騒動について思ったこと

新年早々、初詣における「ベビーカー参拝自粛」を要請した東京のお寺を批判している複数の記事を見て、「なんとまあ、子連れに優しくない事よ」と嘆かわしく思っていました。

”togetter”のまとめ記事(前半部分が批判記事)

20170101 乗蓮寺 「ベビーカーご利用自粛のお願い」 ①1/1~1/3

東京都議会議員おときた駿さんのコラム

「初詣ベビーカー論争」相変わらず少子化一直線な社会の不寛容さ --- おときた 駿

ところが昨日になり、そのお寺が元はべビーカー参拝にとても配慮していたことや、なぜベビーカー参拝自粛要請を行うに至ったかについての事の顛末を記したニュース記事を読み、物事を一方から見ることの危険性と、多方面から見て物事を判断することの大切さを改めて思い知りました。

それでは、参加自粛要請までの簡単な流れを記したものの引用と、それに対する私の感想を書いていきたいと思います。

【お寺が自粛に踏み切るまでの経緯(一部抜粋)】

 ベビーカーがあれば優遇される寺ということが知れ渡り、小学5年生くらいの子供をベビーカーに乗せて現れる親が相次ぐことになった。親は優先通路に入るとベビーカーをたたみ、降りた子供は敷地内を駆け回った。そこで寺は優先通路を通れるのは押している1人だけ、という制限を設けた。ところが、ファミリーは2手に分かれて参拝することになり、先に参拝を終えたベビーカー組の中には境内近くで合流のため待機する、ということが起こった。

上記はYahoo!ニュース(ソース:J-CASTニュース)より引用

子育てのベテランでロートルな私ですが、小さい子を抱えた親がありとあらゆる面でいかに大変かを知っていますので「最近の親は…」なんて口幅ったい事は言いたくありません。けれども、これってあまりにも良識がなさすぎはしませんか?「ベビーカーがあれば優遇される」を悪用するなんて、お寺側の優しい気持ちからくる配慮をなんだと思っているのでしょうか?

特に、「小学校高学年の子をベビーカーに乗せてまで優先通路に入ろうとする」親に至ってはもう言葉もありません。その年齢になったらもう参拝のための行列で待つぐらいのことは十分できるはずです。いえ、その時点でできないようでは将来どんな大人になるのだろう?と他人事ながら心配になるレベルです。

また、ベビーカーに乗せるほど小さい子をそのような混雑する場所・時間帯にわざわざ連れていくこともないだろう…と思ってしまうのです。

例えば、もっと参拝者が少ない寺社に行くとか、日時をずらして空いている時の参拝にするなど、親側の配慮も必要なのではないでしょうか。そもそも、そんな人ごみに小さい子を連れていくということはノロウイルスやインフルエンザに感染する可能性が高くなり、子ども自身が辛いのはもちろんですが、なにより場合によっては仕事を休んで看病しなければならなくなる親が一番大変になるわけですから、やはりそのようなリスクは極力避けるべきではないかと思います。

また、小学生以上の年齢なら、参拝までに長い時間待つことが必要な初詣は子どもにある程度我慢する力を身に着けさせるよい機会のはずです。にもかかわらず、肝心の親が子どもにそれを教えるどころか自分自身が待つのがいやで、ベビーカーを悪用してそんなルール違反を行っているとは言語道断です。そんな親の姿を常日頃から子どもはよく見ています。親が平気でそのような事をしていれば、子どもは親と同じように必要最低限の社会規範を守らない大人になってしまいます。それはこれからの社会にとってはとても恐ろしいことです。

そして、なにより腹立たしいのは、そのような一部の心無く大人げないバカ親のために、大多数のそうでない親御さんたちまで肩身が狭い思いをしなければならなくなることです。

良識の「り」の字もないバカ親の比率が現在どの程度かは知りませんが、まじめにしっかり子育てしている親よりもバカ親の行いの方が目立つことは間違いありません。だから仮に実数がそれほど多くなくてもそのバカ親の行為ばかりがクローズアップされてしまい、他の親まで十把ひとからげで「これだから最近の親は」と言われ、世間のバッシングの対象になってしまうのではないでしょうか。

そう考えると、本当に一部とはいえ、そのようなバカ親が存在すること自体が本当に嘆かわしく、何度も言うようですが腹立たしいことこの上なく、同じ「親」だと思いたくないくらいなさけない気持ちになります。まじめな親までそういうバカ親と一緒にされるのはまっぴらごめんですよね!

その一方で、上の年代の人や子どものいない人たちに理解してほしいのは、非常識なバカ親より良識をもって子育てしている親の方が圧倒的に多いということです。決して一部のバカ親だけ、あるいは様々なできごとの一部だけを見て「これだから今の親は…」と思うのではなく、一生懸命子どもをまともに育てている親の努力を認め、温かい目を向けてほしいと思います。私自身が子どもが小さい頃も似たようなことは何度も起こっていましたし、そのたびに肩身の狭い思いをしたからこそ、それは強く思います。

もっと言いたいことがありますが、長くなるのでこの辺にしておきます。

本当に、この騒動では色々考えさせられることがあった。それが私の正直な気持ちです。

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