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「夫がいる女性」へ向けたコピーで、わたしは何人殺したのだろう

6月末まで勤務していたWEB広告代理店では、化粧品を扱う部に所属していた。そこでわたしはライターとして、商材のコピーや記事、LPなどの執筆業務に当たっていた。

以前書いた通り、勤続は1年にも満たなかった。ゆくゆくはフリーランスに戻ろうという考えがあったし、そのための実績作りだったから、もともと長く勤めるつもりはなかったんだけれど、こんなに早く辞めたのにはもちろんそれなりの理由がある。

2歳年下の直属の指揮命令官のことを生理的に受け付けなかったからとか、単純にわたしが人嫌いすぎて毎日特に親しくもない誰かしらと顔を合わせるのが苦痛すぎたからとか、いろいろあるけど、突き詰めて言ってしまえば「ここにい続けているといずれわたしは書く仕事そのものに誇りを持てなくなってしまうだろうな」という確信に限りなく近い予感がしたからだ。

そこではわたしは、「女性」を求められ続けた。「女性」目線でのコピー、「女性」目線での記事、そして「女性」をターゲットにした広告戦略。

わたしはごく親しい人にしか、自分のセクシュアリティについて明かしていない。宙ぶらりんの性自認はもちろん、男性にも女性にも恋をすることも。そんなことは何もとくべつなことではなく、わざわざ声を高らかに主張するほど重要なことだとは思っていないから。そう言い聞かせることで、異質な人間になることを避けていた。気づかれたくなかった。悟られたくなかった。理解してもらうつもりもなかった。

だから直属の指揮命令官――Aがわたしに「女性」を求めるのも仕方のないことだ。彼は知らない。わたしも、知らせる気などない。けれど、「化粧品を購入したいと思っている人」のことは? 

Aの設定したがるペルソナは、決まって全員「夫や彼氏がいる/今はいないが欲しくて焦っている女性」だった。ペルソナの1人や2人に、そういう女性を設定したっていい。心と体の性が一致して、かつ男性に恋をする女性、彼氏が欲しい女性、結婚願望のある女性、好きな男性を振り向かせるためにきれいになりたい女性。

でも、心と体の性が別の人は? 同性に恋をする人は? 寝る相手が性別を問わない人は? そもそも、誰にも恋をしない人は? セックスしたいと思わない人は? パートナーを望まない人は? 結婚したくない人は? 他の誰のためでもなく、自分のためにきれいになりたい人は? そして、女性以外の人は?

仕事に慣れてきたころ、わたしは我慢ができなくなってとうとう彼に訊いた。「これを購入したいと思う男性だっているんじゃないですか」と。するとAは、「でもターゲットに男性は含んでないんで」とこちらをちらりとも見ずに切り捨てた。それでも何度かめげずに、わたしは問い続けた。「きれいにならないと彼氏ができない、肌が汚いと彼氏に振られる、みたいな、そんな脅すような広告って、インスタとかでけっこう炎上してるの見ますよ」とも。彼にはわたしの発言の意図がわからなかったのだと思う。失笑しながら「あのコメントって実は消せるんですよ」と答えた。そんなことも知らないの、という含みを持たせて。

そういうことをいちいち気にしていると、社会ではやっていけないのだ。慣れてしまえば良い。蓋をして、見ないふり気付かないふりをし続けて、わたしは言われたとおりのコピーを、記事を、ただ書けばいい。それだけだ。

派遣社員として勤務し出して1ヶ月も経たないうちに、わたしは2時間に1回は喫煙所に行くようになった。昼休憩は部のみんなで外に食べに行くのがお決まりだったが、わたしは弁当を持参して「作ってきちゃったんで」とあいまいな笑顔を浮かべて毎回断った。

それでもわたしは、「夫/彼に褒められる肌」なんて文句は絶対に採用しなかった。「触ってみて!って言いたくなる肌」とか、「自慢のモテ肌」だとか、抜け穴を必死で探して、言葉を綴った。でもそれは、逃げ道を作っただけに過ぎない。“誰”に触って欲しいのか、“誰”に自慢したいのか、“誰”にモテたいのか、その匂いは消せない。死臭のように言葉の端から漏れ出てくる。

そして、ある日とうとつに、「辞めよう」と思い立った。

登録先の派遣会社に契約継続をしない意志を伝え、わたしはフリーランスに転向した。もう疲れてしまったのだ。蓋をし続けることに。その蓋から漏れる死臭に、わたしは耐えられなくなってしまった。その臭いは、静かに、でも確実にわたしの心を腐らせていった。

誰が蓋をしようとも、わたしだけはそうするべきではなかったのだ。Aは仕方がない。知らないし、知るつもりもないのだから。これからも彼は、そうやって生きていくのだから。それで彼の人生に支障はないのだ。でもわたしは? 知っているくせに。わかっているくせに。なにより自分自身だって、「女性」じゃないくせに。

「女性」のふりをして、「女性」として言葉を紡ぐことは、わたしにはできない。化粧品は好きだ。スキンケア用品もコスメも、手に取るとわたしの心は踊る。でもそれは、わたしが「女性」だからじゃない。単純に、純粋に、化粧が好きだからだ。

これは懺悔だ。世の中に放ったわたしの言葉で、「ああこの商品は自分のためのものではないんだなあ」とがっかりさせてしまった、傷つけてしまった人、殺してしまった人――殺したわたしへの。二度とあんなコピーは作らない。あんな記事は書かない。わたしはそう固くここに誓う。

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