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ジェンダーレスでありたいわたしは、いつかスカートを履きたい

母との電話で精神を削られた夜、クローゼットの中の喪服とリクルートスーツを捨てた。去年の今ごろだっただろうか。どちらもたしか就活(と呼べるほどまともな就活はしなかったけれど)の際に、布から仕立てて作ったやつ。大手紳士服チェーン店の既製品のそれをこき下ろし、テーラーメイドでわざわざ注文する行為をステータスとするその価値観が、いかにもブルジョア気取りで反吐が出る。

そういう反吐と一緒にその2着をぐちゃぐちゃにまるめてポリ袋に突っ込んで、マンションの裏手のゴミ置き場のカゴに放り込んだ。生地選びや採寸に2時間弱、それから完成して家に届くまで2週間ほどかかった気がするが、ゴミにするには3分とかからなかった。ばかみたいだ、「スカートは嫌だ」とも言い出せずに大人しく親に従って採寸されていたわたしも、「既製服なんてみっともないで」という台詞をナチュラルに吐く母親も。

スカートは嫌だけれど、メンズのスーツや礼服を着たいとは言い出せなかった。礼服はともかくスーツでパンツスタイルを選ぶという手もあったのだが、着用してみるとわたしの身長の低さに起因する足の短さのせいで、ものすごくみっともなく見えて、諦めた。ぴっちりした実用性に欠ける、あのスカートの窮屈さ。きちんと着用したのは、最初の会社の面接での1回きりだろうか。大学の卒業式は袴を着たし、院の修了式はサボって彼氏──つまるところ現在の夫とニューカレドニアに飛んだからそもそも出席していない。きちんとした式典とか、そういうものがもとより苦手なのだ。

そのときのわたしは、女の子になろうと必死だった。とにかくまともにならなければと焦っていたのだ。社会に出ること、学生ではなくなること、結婚が決まったこと、大人になること。ボーイッシュの隠れ蓑を失いかけて、自分が何を着るべきか分からなくなっていた。ただ、外見だけでもせめて女の子に見えるように取り繕わねばと、それだけを考えて、好きでも似合いもしない淡い色のヒラヒラしたワンピースなんかを着ていた。当時の写真を見返すと、顔も髪型も服装も何もかもが迷走していて、ぜんぶ削除したくなる衝動に駆られる。

結婚後、実家を離れてようやく呪いから逃れたわたしは、今度は逆に必死で女の子から遠ざかろうとした。ピンク色のアイシャドウを捨て、レースのついたブラジャーを捨て、シャネルの5番を捨て、スカートを捨てた。いや、捨てようとした。正確には、3枚ほど残したのだ。

可愛いと思って購入したスカートが、いくつかある。色使いとか形とか柄とか、店頭で/ネットで見かけたものに胸をときめかせて購入したものたち。今現在のわたしや、10代のころのわたしが、ずきゅんと心臓を射抜かれて持ち帰ったTシャツやフーディーやスウェットやデニムと同じ種類の、たしかなときめき。女の子になるために買ったのではなく、わたしの意志で、わたしの好みで、選択したスカートもあったのだ。

それを着て出かけるのは、決まって特別な日だった。ひさしぶりの友達との飲み会、好きな女の子とのデート、夫と出会ったイベントとか。

捨てることも履くこともできず、クローゼットの片隅に3年以上眠らせてあるそれたちを、わたしは最近、着てみたいと思っている。女であることを認めてしまうのではないかという怯えと、スカートは女性のものではないという理性と、それから最近Twitterでよく見かけるスカートを着用した男性の写真への憧憬の、3点を行ったり来たりしている。履いてみようか、どうしようか。ああでもこれに脚を通してしまったら、わたしは母に「やっぱり女の子やなあ」と安堵されてしまうのか。

わたしがぼやくと、「ピンク色もスカートも、女性のものではないですからね。避けるってことは、囚われてるってことですから」とカウンセラーの妖精はいともあっさりそう言い放った。目から鱗が落ちるとはこのことか、と思いながら、カルテのようなものにさらさらと何かを書き込む妖精の手元を呆けた顔でしばらくのあいだ見つめていた。ピンク色が、スカートが、女性のものだなんてだれが決めたのだろう。乳房とヴァギナを持っていたら女性だなんて決めつけるんじゃねえよと長年怒っていたくせに、そんな簡単なことにも思い至らなかったなんて。

今はまだ、勇気が出ない。母のほっとする顔を思い浮かべて、反射的に息が詰まるから。でもいつか、心の底からわたしの偏見が消えたそのときに、母の目から真の意味で逃れられたそのときに、わたしはわたしとして、スカートをまた履きたい。

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「ジェンダーレスメイク」についてのエッセイを、NOISEで書きました。
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