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就職活動ー言葉からのアプローチ

 最近、「休学」をテーマに卒論を書いている。残念ながら、休学に関する先行研究はなく、ゼミの先生のアドバイスをもとに、卒論を書いている状況だ。具体的には、「モラトリアム論」という概念を参照し、就職と関連付けて執筆している。

 そのような状況の中で、最近はほぼ毎日、就職に関する論理と向き合うことになっている。実は、いろいろ考えたくて、まだ動いていない。今、具体的なことはいえないが、一応、卒論と、ブログの勉強のようなものの2つのタスクに追われる生活をしている。どちらも、大した期限はないが、しっかり進めなければならない。それとともに、10月まで、CMSPという大学生のプログラムに参加することになった。実は今、やることが結構多い。それでも、いろいろ考えている。就職活動に関しては、何かもやもやする。そう思い、最近はぼんやりできる時間があれば、ぼんやりとそのもやもやの正体について考えている。

 もやもやの正体を考える上で、前提となる知識については、人並かひと以上にあると思っている。そのうえで、偶然にも、卒論の第1章の内容が、自分の答え探しの材料になっている。社会学は科学や歴史とは違い、実生活と結びつきやすいため、自分の考えを言語化するうえで、少し役立っているように思う。それでも、言語化しにくい状況だった。このもやもやの正体はいったいなんだろう。そう思ったとき、複雑に考えるのではなく、シンプルに考えることにした。そこで、目を付けたのが、「言葉」だ。

 就職を考える上で、嫌いな、というか、苦手な言葉がある。それは、「終身雇用」「年功序列」「新卒」「新人」「新入社員」「一生安泰」「社会人」「社会人基礎力」「常識」「マナー」などだ。これは、大企業の代名詞的な言葉と言っても過言ではない。あと、これは言葉ではないが、「スーツを着たくない」というこだわりもある。

 一方で、好ましい言葉がある。それは、「自由」「フラット」「クリエイティブ」「思いやり」「個性重視」「人や社会の役に立つこと」だ。こちらは、ベンチャーに近いかもしれない。

 今挙げた、苦手な言葉と好ましい言葉は、そこそこ対になっているような気がする。と言っても、これだけではわかりにくいため、順番に見ていく。

 まず、大企業が苦手だ。大企業に入る場合、大学にいる間に就活をし、何の個性も認められないまま「新卒」などと呼ばれてOJT(職場での教育)を受けることになり、そのまま定年まで働く。それが一般的だ。とはいえ、近年では、転職という選択肢の存在感が増しており、終身雇用は当たり前でなくなってはいるが、終身雇用や年功序列は残り続けているように思う。では、なぜ、このような大企業が苦手なのかというと、欧米などのジョブ型と比較してしまったからだろう。

 ジョブ型はジョブ(仕事)があって、そこに人を割り当てる。そのため、ジョブ(仕事)に値札(給料)が付いており、一部のエリート層でない限り、人事査定や昇給などない。一方で、メンバーシップ型の日本は、素人をとりあえず会社に入れ、役職をそこに当てつけ、先輩や上司が教育し、優秀な人材へと育て上げる。このことを知った時から、もやもやした。新入社員として入り、「新卒の水口君」などと呼ばれ、自分の個性などはそこまで重視されず、ひたすらOJTが続く気がしている。自分には何の能力もない。才能があるとしても、一日の長がある程度。というより、大企業で生きていくという意味では、一般的なサラリーマンよりも能力が低いかもしれない。そんなやつが何をほざいているのだ、と思うかもしれないが、能力のない、実績のない、学歴程度の資格しかない自分が、「新卒」として扱われることにモヤモヤしているのだ。「新卒」という身分が与えられ、大企業という巨大な組織に保護される。そのかわり、社会の常識や企業内のマニュアルを押し付けられる。その先で、「自分で考えて行動する」という暗黙の了解を押し付けられ、難儀する。こんな未来が見える。おそらく、自分には、常識がない。暗黙の了解も理解できない。しかも、新人という身分が与えられ、大企業という狭い世界に閉じ込められる。そう考えると、行きたくないと思う。ちなみに、ジョブ型も嫌だ。なぜなら、ジョブの内容は変わらないため、変化がないからだ。

 そのうえで、そんな大企業の象徴的なものが「スーツ」だと思う。スーツは不自由の象徴であるように思う。もし自由な会社なら、服装も自由なはずだ。心理学に、「ドレス効果」というものがある。これは、服装によってモチベーションなどが変わるというものなのだが、自分自身はスーツを着ると、その効果で、逆に息苦しくなり、仕事ができなくなるように思う。スーツ着用は避けたい。

 とはいえ、ここまでは本質的な問題ではない。なぜなら、もし、大企業で大きな目的や野望があれば、このような世界でも生きていけるはずだからだ。だが、大企業には、自分のやりたいことはない。なぜこのようにはっきり言えるのかというと、企業は基本的に、「自分たちの利益の獲得を目指す集団」だからだ。一般的な企業は、資本をもとに設備などを整え、営業やマーケティングを行い、売り上げを獲得する。そして、その売り上げは、大体、給料と設備投資(ここでは社員への福利厚生も含む)と貯蓄に振り分け、また商売をする。これの繰り返しだ。ここに、社会貢献の要素や、人の役に立つためにという要素はない。一般的な労働者の考えたかはわからないため、もしかすると人や社会の役に立つためという論理のもとで働いている労働者がいるかもしれない。だが、トップはそうでないように思う。すべての大企業がそうであるというわけではないかもしれないが、多くはそうだと思っている。とはいえ、企業は、社会にとって、インフラのような存在だ。衣食住などのシステムを築き上げる組織がなければ、社会は成り立たない。大企業は重要であり、必要不可欠だ。それでも、自分がそこに加わりたいかと言えば、加わりたくない。ただでさえ、メンバーシップ型が苦手なのに、その環境に耐えた結果が、内集団の利益確保のための労働をしてきたということであれば絶望的だ。もちろん、最近では、ESGやCSRという概念があり、社会貢献のようなことをしている企業も多い。しかし、これは、大企業にとって、広告のようなものだろう。これも、結局、イメージをよくすることで得られる利益が目的だ。働くなら、「社会の常識」ではなく、「人への思いやり」をベースに働き、「仕事が出来るようになる」ではなく、「やりたいことを追求する」という風にしたい。そう考えている。

 このような中、着目したのが「ベンチャー企業」だった。ベンチャー企業は、基本的に、「自由」「フラット」「服装自由」「個性重視」をうたっているところが多い。これが十分に信頼できるかどうかはわからないが、大企業よりは自分に合う。そう思った。日本のベンチャーは、ジョブ型でも、メンバーシップ型でもないような性格を帯びていて、その点も好ましかった。そして、ベンチャーを見ていた時に、たまたまたどり着いたのが、「ソーシャルビジネス」だった。ソーシャルビジネスは、社会課題解決のビジネスなのだが、社会課題を利用してビジネスをするのではなく、ビジネスを利用して社会課題を解決するビジネスなのだ。これはすなわち、ソーシャルビジネスをしている企業は、お金を稼ぐことを目的にしているわけではなく、変な表現だが、解決したい課題を解決するというビジョンを達成することを目的にしているということだ。これは、良い。これなら、就職してもやりがいを持てそう。そう思った。そして、最終的には、「ボーダレスジャパン」という企業にたどり着いた。この企業は、言ってみれば、「ソーシャルビジネス専門店」みたいな企業だ。世の中で一番信用できる企業だと思った。ちなみに、ZOOMの説明会には参加したが、選考には進まなかった。通年採用と聞いていたため、受けずに残しておいたのだ。

 だが、課題があった。それは、就職活動が上手くいっていなかったことだ。ベンチャーに絞っていたので、スーツを一着も持たず、コロナ禍ということもあり、ZOOMでひたすら説明会に参加したり、面接を受けたりした。だが、上手くいかなかった。面接練習などをしていなかったのだ。しかも、「がくちか」のようなことを語るのがストレスだった。何の能力も資格もない、ただの大学生の自分が、学生時代の下らない経験や能力を、少し盛りながら話す。ただでさえ、自分の得意なことを自分から言うのは嫌なのに(最近は少し変わってきた)、くだらなくしょぼい能力や経験を盛って話すのはもっと嫌だった。メンバーシップ型の弊害だ。大学生なんて、しょせん、小指の爪のような存在でしかない。そんな大学生が労働市場に出て行き、少ない資源で自分をブランディングしていく…。そんなの嫌だ。そこで、インターンシップなどで、経験を積もうと思った。実は、インターンシップをしたことは一度もなかったのだ(企業の体験的な、数日間のオンラインのやつは唯一あった)。それとともに、社会課題に関わる経験もしたかった。もう一つの課題として、社会課題に関わる原体験がないということが浮き彫りになっていたのだ。そのため、休学して、長期インターンに参加し、途中、海外ボランティアにも行く計画だった。ちなみに、なぜ海外なのかというと、海外に関心があったからだ。

 だが、ここで思わぬ出会いを果たした。それが、CMCだ。休学に関するより具体的な情報が得られると思い、普段は使用しない、Twitterを使用した(水口は、SNSは基本的にLINEとインスタグラムしか使用しない)。
その結果、CMCを見つけ、興味を持った。そして、CMCに参加することを決めた。だが、一つ問題があった。それは、CMCに参加している期間、当初の目的を果たせなくなることだ。そこで、目を付けたのが、学生起業だった。学生起業をすれば、インターンよりもスキルが身につく。しかも、面白いに違いない。田舎にビジネスの種があるはずだという考えもあり、興味関心があったのもあり、起業に挑戦しようと考えた。しかし、実際には実行しなかった。その後、CMCのクラスの中などで、食に関する対話や人間関係や感情などとの向き合い方、自然、創作活動などに触れ、新たな価値観が輸入された。それは、今まで身近にあったはずのものかもしれない。

 そんなこんなで、CMCの期間は楽しく過ごした。仲間も思い出もできた。だが、CMCが終わると、(これを言うと申し訳ないが)広田での生活は破綻しかけていた。CMCのメンバーが去っていき、イベントも起こらず、まるで祭りが終わった後のような気分になった。おまけに、車も運転できず(これには2つの要因がある)、好きに動くこともあまりできない。そんな中でも、夜は酒を飲み、楽しんだ。そして、参加しようと思っていたイベントが終わり、その数日後に広田を去った。さみしい気持がありつつ、休学の後半に対する期待もあった。

 そんな中で、次はケニアに行くことにした。これは広田での残留期間に決めたことだ。ケニアに行こうと思った理由は、前半は田舎で生活したから、後半はケニアで生活しようと思ったからだ。しかも、ソーシャルビジネスの問題は、なおざりにしたままだった。興味関心がどこへ向かっているかわからず、自分にソーシャルビジネスがあっているかわからない中、答えを出しに行こうと思った結果、ケニアのインターンに参加することにしたのだ。このインターンはアルファジリという企業が行っているものだ。このアルファジリは、外部から加わった会社ではあるが、ボーダレスジャパンのグループ会社だ。ボーダレスジャパンの中で、海外でのインターンを探していた結果、アルファジリにたどり着き、ケニアに行くことになった。

 面接を受けたとき、強い危機にさらされた。あまり詳しいことは書けないが、2次面接で嫌な落とされ方をされたのだ。また受からなかった。このようなことは一生続く。しかも、自分はへコへコ面接をしているだけだった。情けないし、悔しい。そのような状況であったため、whatappで「納得いきません」とメッセージを送り、その結果、いろいろあって、インターンに参加できるようになった。実はこの時、他の選択肢に気持ちが移りかけていたが、そのタイミングでケニア行きが決まった。

 アルファジリでは色んな発見があった。それは、代表のマインドや、経営方針、文化の違いなど様々だった。それと同時に、アルファジリはCMCとは真逆の環境だったため、精神的にしんどいと感じたことが多々あった。そんな中、ミゴリに行ける機会が訪れ、ミゴリに行った。そこでは、ケニアの自然や人々、伝統などに触れられ、世界観が広がった。すごく引き付けられた。それから、スラムに行き、donationを行い、1週間インターンをして、最後は旅をした。そこで友達ができ、ケニアの伝統的な家に泊まることができ、感動した。その結果、途上国というものや、人種というものに対する見方、考えかたが変わった。詳しくは「ケニア」という記事に書いてあると思う。ケニアでの経験が就活や就職に対するアクションという点で、どういう結果が得られたかということに関しては、意見が分かれるかもしれない。だが、この経験が自分の成長につながったと信じたい。

 このような形で休学を終えたわけだが、休学を終え、余計に就活ができなくなった気がする。とはいえ、将来の進路選択は、自分のペースで行うことにしたい。

  今現在、ベンチャー企業は前時代的なものになりつつある。よくわからないが、会社に入ること自体に抵抗があるのかもしれない。そこにはやはり、「新卒」という身分に対する抵抗が大きいように思われる。それとともに、ワークライフバランスの問題もある。やりたいこと、経験してみたいことも多い気がする。色々考えなければならない。

 こういったことから、会社に入るより、フリーランスの方がよいのではないかと考えてもいる。フリーランスであれば、自分で肩書をつくることができ、自分で自分を売ることができる。仕事も自分で選ぶことができ、ノウハウも自分の力で獲得することができる。一方で、デメリットとしては、生活が成り立たないリスクがあるということだが、それは恐れていない。その理由は、自分の考えが甘いからに違いないが、そんな自分は一度、痛い目にあったほうがいい。そう思っている。

 とはいえ、人生は実験だと思っている。そのため、合わないものに実験として飛び込んでみるのも、将来へのアプローチとしては、悪くない。もしかすると、大企業の存在目的は社会や人への貢献かもしれない。もしかすると、スーツを着ても、息苦しくないかもしれない。OJTは悪くないかもしれない。そういう逆説的な仮説を立て、実験してみるのもありかもしれない。これは大企業出なくとも、ベンチャー企業でもよい。

 一方で、次の1年を使い、スキルを高めたり、経験値を増やすという選択もある。これから生きていくにあたり、世界との関わりも欲しいので、英語のスキルは伸ばしておきたい。そして、何かしらの経験やスキルを獲得すると、自分に「新卒」以外の意味が見いだされるかもしれない。

 ちなみに、人への貢献、社会貢献みたいな話で言うと、NPOなども視野に入ってくる。休学の前半で、NPOというものに出会った。その中でも、SETというNPOとは縁がある。SETに関して言えば、CMCとCMSPの2つでの関わりができたため、SETとの結びつきは強くなった。だが、今のところは、SETに入ることは考えていない。なぜなら、SETに自分の役割はなさそうだからだ。SETの運営には、問題点もあるが、皆の個性を上手く生かし、うまく組織を成り立たせている。みんな優秀だ。そんなSETには当然、自分の役割はあまりない。そういったことから、誠に自分勝手ではあるが、SETや広田町を「人生の避難所」に指定するにとどめている。ただ、SETはおそらく「新卒」という概念がなく、個性が尊重される文化があるため、かなり安全な場所ではある。そして、いずれにせよ、今度ともSETとは強い結びつきを持ち続けることは確定した未来だと思う。

 という形で、いろんなことを書いてきたが、結論、特に「新卒」という立場が苦手であり、人や社会に貢献することを理念にした生き方がしたいということになるだろう。今考えていることは他にもあるが、これ以上長くなるとよくないので、また今度。


 


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