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名古屋弾丸日帰り紀行~②いざ入城!
⬇前回の続きです
せっかくの名古屋城を目前に、寄り道し過ぎましたが、やっと正門より入場です。
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「打込接」の石垣がモザイクのように色のトーンが違う事が、かえってオシャレです。
この門をくぐると、情報通り「おもてなし武将隊」がお出迎えしてくれました。
おもてなし武将隊は誰?
名古屋城ではどの武将なのか?
だいたいここ、愛知県は三英傑を生んだ地で、それにともなってそれぞれ配下の有名武将もいて、いろんな武将が関わっているだけに、誰が登場するのか想像できませんでした。
信長?家康?秀吉?
誰???
と思いながら正門をくぐると、なんと、前田利家でした!
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なかなかスラッとしたイケメンな「槍の又左」利家でした。
そういえば、彼も尾張の出身でしたね。
名古屋城の「おもてなし武将隊」は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、加藤清正、前田慶次の6名いて、交代でお出迎えしてくれるようです。
土日には殺陣などの演武パフォーマンスもあるとの事で、この日は金曜だったのがとても残念でした。
名古屋城とは?
名古屋城の城地は、濃尾平野に注ぐ庄内川が形作った名古屋台地の西北端に位置する。台地は濃尾平野に向かって突き出しており、平野を一望に監視できる軍事的な要地にあたる。
本来、城の見学には「坂」がつきもので、たどり着くには結構な体力を要するのですが、この名古屋城に関しては今の所、ほぼ平坦な道程でした。
それもそのはすで立地である濃尾平野は美濃(岐阜)や尾張(愛知)だけでなく現在の三重も含む広大で肥沃な平地です。
木曽川・長良川・揖斐川が流れ、南の伊勢湾へと繋がり、経済発展にも大きな役割を果たす土地でした。
起源は今川氏
年は定かではありませんが16世紀の前半に今川氏親(今川義元の父)が現・二之丸付近に築城。
織田氏の那古野城
1538年、信長の父である織田信秀が今川氏から奪い、「那古野城」と改名。
嫡男の信長はここで誕生したと言われていましたが、実はここより20キロほど西にある勝幡城であるというのが、現在の定説となっています。
1542年頃には信長の居城となり、
1555年頃、信長は本拠地を清州城に移し、その叔父・信光の居城となりますが、没すると家臣の林秀貞がこの城を守るも、廃城となるのです。
今川氏と織田氏は代々、熾烈な小競り合いを繰り返していたのですが、彼らの息子たち義元と信長の時代に「桶狭間」にて劇的に決着する事になります。
徳川氏による名古屋城
尾張の中心地は信長時代から清州でしたが、時代は下り「関ヶ原の戦い」で勝利した徳川家康は、九男・義直の居城として、「名古屋城」の築城を開始したのが1610年。
完成したのが1615年2月です。
という事は、まさしく今にも豊臣が滅ぶ「大阪夏の陣」の終盤に築城された城なのです。
この時期の家康の天下普請での城は名古屋城だけではありません。
伏見城・二条城・彦根城・篠山城・亀山城・北ノ庄城・江戸城・駿府城・姫路城・上野城などの再建や修繕なども積極的に行っています。
これを見ただけでも、まだ秀吉の遺児・秀頼が大阪に健在中であっても、着々と地固めをする家康は、なんとも図太くて、その根回しの良さには感心します。
先ほど立ち寄った「金シャチ横丁」の義直ゾーンの義直は、家康の九男であり、名古屋城の初代城主だったのですね。
その後、明治に至るまで、尾張徳川家17代の居城となりました。
清正石をスルーした
「本丸御殿」に向かう前に、加藤清正の像を見に行きました。
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石垣造りの名人と言われた清正は、天守台の石垣をたった3ヶ月で完成させたと言われています。
私たちはあろうことか本丸敷地内にある「清正石」に全く気付かずスルーしてしまいました。
本丸内に入ったのは「本丸表二之門」からなのですが、確かその正面の石垣に大きな石があったのは気付き、目には留めていたのですが、それではないかったのですね。
その石も、大きかったのですが、大阪城の「蛸石」を見慣れている私たちにとっては、さほどの物ではなかったので、写真にも収めていません。
「清正石」をスルーしてしまったことは、すでに後の祭りなので、ホームページで確認するしかありません。
本丸エリアへと向かう途中、至る所が痛々しいぐらいに朽ちていていました。
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名古屋城では、至るとこで整備が追い付ていないようで、今後に期待したいところです。
今回のお目当て「本丸御殿」
今回の名古屋城訪問で一番楽しみにしていたのは、2018年に再現建築された「本丸御殿」です。
なんと撮影OKだという事なのです。
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代々の尾張藩主の住居&政庁として1615年の名古屋城と同じ年に建てられました。
1930年(昭和5年)には天守閣と共に国宝指定されます。
しかし、
1945年(昭和20年)の空襲によって完全焼失してしまいます。
大阪城と同じく、戦争による損失はあまりにも大きい。
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想像通り、京都の「二条城」を彷彿とさせるもので、築城当時の書院作りの御殿建築が再現されています。
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2重透かし彫りの欄間の、表と裏で絵柄が違うという見事な職人技も「二条城」と同じく、ここでは当然ですが鮮やかで見事な色彩です。
まるでタイムマシンで当時の物を目にしてるような感覚に捉われます。
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かつて、二条城もこのように絢爛豪華な色彩を放っていたのですね。
当時のまま400年経過した状態も素晴らしいですが、再現されることによって、頭の中での想像が現実のものとして見れるのは、夢のようなことです。
ただ惜しいことに、御殿から眺める庭園がない。
「二条城二の丸御殿」は各座敷から、それは見事な庭園を望むことができ、上段の間に座ると、ちょうど目の高さに庭を眺望できる設計になっています。
御殿と庭園は調和してこそ完成するものではないか?
ここまで、屋敷内を見事に再現したのに、あと一歩という惜しさを感じました。
もしかしたら、「本丸」と「二の丸」との違いかもしれないと、その定義を調べてみても、庭園のあるなしには触れていませんでした。
政務を執り行う一国の司令塔のような「本丸」には、庭園自体がさほど重要なものではないということなのかもしれません。
天守閣はやっぱりデカい!
伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ。
と、伊勢音頭にも唄われているように、天守閣はやはりデカい!
大阪城より大きいのではないか?
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現存天守ではダントツで姫路城ですが、昭和以降に再建された天守の高さランキングを調べてみました。
1位 大阪城(大阪府)復興天守 41.5m
2位 名古屋城(愛知県)外観復元天守 36.1m
3位 島原城(長崎県)復興天守 33.0m
4位 熊本城(熊本県)外観復元天守 29.5m
5位 小倉城(福岡県)復興天守 28.7m
え?大阪城の方が5mも高い???
あらためて名古屋城天守を眺めると、見た目にはこちらの方が高くて全体面積も大きく感じられました。
デザイン的な事での視覚効果でしょうか?
このどっしりとした威圧感は1位ではないかと思わせます。
探してみると、前回の訪問時に同じ角度から撮影したものがありました。
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この日は大雨で視界が悪く、この大きさをちゃんと感じることはできなかったのですが、今回はこの天守の大きさをまともに感じてしまいました。
現在は再建から半世紀が経過しているため、老朽し、耐震性も低いので閉館しています。
早く天守が改築されることを楽しみにしています。
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10年前に見学した記憶では、中は大阪城と同じく、博物館となっていて、様々な展示に加え、最上階だったか?名古屋の城下町がフロア全体に再現されていて、照明効果により朝⇒昼⇒夜と一日の様子が表されていました。
特に夕焼け時の黄昏れゆく様子は、ハッとするほど情緒のあるものでした。
手入れがお粗末なのは悲しい
最後に「二の丸庭園」に立ち寄ったのですが、
随分荒れていました。
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木々は伸び放題、池や川?と思われるところは完全に枯れ、おまけに所々に雑草が見られました。
見学しているのも私たち一行のみで、閑散として、まるで忘れ去られたように放置された一画でした。
城内全体の隅には、石垣用の石が転がっているのをみると、確かにこれから計画的な修繕がなされていくのでしょうが、「特別史跡」と謳う名古屋の名所であるなら、いつ観光客が来ても美しいようにしてほしいと思いました。
古いのはOKですが、
明らかに手入れされていない放置はいただけません。
そろそろ休憩タイムです。
先ほどのランチは「義直ゾーン」でしたが、東門近くの「宗春ゾーン」にて充電する事にしました。
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