「薬師寺」ー西ノ京、世界遺産の大寺たち①
奈良の大寺と言えば、まず浮かぶのは近鉄奈良線・奈良駅界隈の「東大寺」や「興福寺」かもしれない。
ここからさらに西へ約6キロほどのところにかつては「平城京」(710~784年)がありました。
これを中央の朱雀大路が右京(西)と左京(東)に2分し、右京である西側が現在の近鉄樫原線・西ノ京駅界隈で、ここに2つの大寺「薬師寺」と「唐招提寺」があります。
今回は、これらの寺を巡ってきました。
薬師寺ってどんな寺?
創建は1300年前
天武天皇9年(680)の創建ですので、今年で1344年を迎えます。
南都七大寺の一つであり、平成10年(1998)に世界文化遺産に登録。
法相宗大本山
同じ奈良の「興福寺」とともに法相宗の大本山で、先に宗派が伝わったのは興福寺で、京都の清水寺も元はその末寺の一つでした。
法隆寺も法相宗の大本山でしたが、昭和25年(1950)に、聖徳宗として独立しています。
玄奘三蔵の教え
あの孫悟空が主人公の「西遊記」での三蔵法師のモデルとなった人物で、ここには彼の教えが根付いています。
彼は中国・唐時代の僧で「唯識論」の経典を求めてインドへと17年もの歳月をかけた末、唐に持ち帰りました。
この教えは、日本から入唐した弟子の道昭に伝授され、国内にも伝わりました。
白鳳文化を今に伝える
「白鳳文化」とは飛鳥時代後半に興った文化。
建築や仏像で言うと、次の順です。
飛鳥文化(法隆寺)⇒白鳳文化(薬師寺)⇒天平文化(唐招提寺)
法隆寺の飛鳥文化の次に全盛期を迎えた華やかで大らかな文化です。
今回は夫と車で行き、下図の南にある駐車場からスタートしました。
主な建造物内は撮影禁止のため、画像は他からの引用です。
白鳳伽藍
休ヶ岡八幡宮や孫太郎稲荷神社を抜けましたが、社務所も閉まっていていて閑散としていました。
(稲荷神社には狐像はありましたが、八幡宮には狛犬や獅子すらありません)
そして突然目前に現れたのが、「南大門」と「西塔」です。
一瞬ギョッとして急激に胸が高鳴り、どうも私はこういう塔と大門という取り合わせが好きなのだと、今さながら確信できました。
気付くの遅っ!
東塔と西塔
東西2つの塔は薬師寺のトレードマークともいうべきもので、高さは東塔・34.1m、西塔はそれより30センチほど高い。
先日見た法隆寺の五重塔は32.45mなので、東塔は1.65m高い事になりますが、見た目では同じぐらいに感じます。
とにかく高さよりも、壮麗な塔が2つ揃って金堂の脇にある事が素晴らしいのです。
どちらも各階の軒下に「裳階」という「庇」が付いて6つの屋根が重なっているようですが、実は屋根は3つの「三重塔」なのです。
その「裳階」のおかげで、デザイン的に動きのあるリズムが感じられ、実に美しいバランスを保っています。
観光パンフレットによると、それぞれの内陣にはお釈迦様の生涯を表した「釈迦八相像」が祀られているそうです。
東塔には「因相四相」人胎・受生・受楽・苦行
西塔には「果相四相」成道・転法輪・涅槃・分舎利
残念ながら開帳は昨年2023年4月28日~今年の1月15日までで終ってます💦
次回の予定はまだアップされていないのでわかりません。
彫刻家・中村晋也さんの手によるもので、千年先を見据えて燐青銅で作られているそうです。
タイミングが合えば、ぜひ見たいですね~
金堂・薬師三尊像
観光リーフレットによると、金堂は「龍宮造り」と呼ばれているそうです。
普通は「楼門」によく使われるデザインで、ご本尊を安置された最も重要な「金堂」にそれを用いているのは珍しいのかもしれない。
軒先が美しいカーブを描きながら大きく広がる屋根は、優雅で荘厳そのものです。
この中にはご本尊である国宝・薬師三尊像が安置されています。
阿弥陀如来の住む西方極楽浄土に対して、薬師如来が住むのが東方浄瑠璃浄土とされています。
中央の薬師如来の像高は254.7㎝、脇侍の日光・月光の両菩薩は写実的で美しく、横から見ると下腹を突き出したようなS字カーブを描くような立ち姿で、法隆寺の「百済観音」を彷彿とさせるものがあります。
697年に開眼法要されたと言いますから、まさしく飛鳥の文化も引き継がれているのでしょう。
ただ、見た目で大きく違うのは、相対的にどの仏像もやや頭部が大きい。
やはりその時代を代表する仏師の感覚の違いによるものなのでしょうか。
さらに中央の薬師如来の台座が見事でした。
上に2段の屋根と下には4段の基壇が重なり、「宣」の字に似ていることから「宣字形」と言いわれています。
ギリシャ由来の葡萄唐草文様やペルシャの蓮華文様が描かれ、四方それぞれにに描かれているのは中国霊獣の四神で、特に正面の「朱雀」は、同じ奈良の明日香村にあるキトラ古墳や高松塚古墳の装飾壁画に見られるものとそっくりで共通した白鳳文化を感じるものだそうです。
大講堂
とにかくデカい!
前述の「金堂」と同様、屋根は優美な両サイドが緩やかにハネ上がる曲線を描き、黄金に輝く2つの「鴟尾」が美しく際立っています。
ただ大きいだけではなく細部に至るまで手を抜かない繊細な優雅さは見事だと思いました。
中にはご本尊である奈良時代の弥勒三尊像がありました。
中央に弥勒如来、左:大妙相菩薩、左:法苑林菩薩とのことですが、ここで私の頭はクエスチョンマークが💦
弥勒さんは菩薩さまではないの?
それに脇侍の2体の菩薩の名は聞いたことがありません。
弥勒さんは修行を成就することで「如来」に格上げされたのだと想像できますが、この2体の菩薩様は検索しても詳細は出てきませんでした。
そして、あろうことか大講堂の見どころの一つ、「仏足石」を完全スルーで見逃しています💦
(写真はこちら)
東院堂
見るからに古いですが、大きく立派で堂々としています。
これは政変に敗れた夫の長屋王に殉じた正妃・|吉備《きび》内親王が、母である元明天皇の菩提を弔うために、717~724年(養老年間)に建立されたものです。
不思議なことに、現在は西向きなのですが、2009年の防災工事に伴う発掘調査で発見された遺構は南向きでした。
史料から享保18年(1733)に西向きにと移築されたそうですが、その理由とはどういうものか?
平城京跡の散歩道によると、この謎について2つの説があります。
・本尊の聖観音菩薩は阿弥陀如来の脇侍なので西方浄土に向けた
・利便性を考えて入り口を本伽藍である白鳳伽藍に向けた
どちらの説が正しいのかはっきりとはわかりませんが、
「金堂」や「大講堂」には見られないほどの頑丈な造りから、吉備内親王の母への深い思いが感じられるとともに、往時の東院堂の姿がわかる歴史的大発見となったことは間違いありません。
玄奘三蔵院伽藍
北の出入り口からいったん出て、道路を挟んださらに北にある「玄奘三蔵院伽藍」へと向かいました。
門をくぐると本坊を含む広々とした空間が広がり、その奥は閉鎖されて拝観できませんでした。
御開帳は2023年3月1日 ~ 2024年1月15日だったそうで、こちらも次回はまだ未定なので残念です。
なんだか新しいと思ったら平成3年(1991)の建立だとか。
それでも30年以上も経っているのですね。
他、「大唐西域壁画殿」には、日本画家・平山郁夫が30年をかけて完成させた7場面・13壁面の大壁画が祀られているそうで、今後、御開帳の機会があれば、再訪問して鑑賞したいものです。
「唐招提寺」へと続きます。
【参考文献】
・お墓と宗旨・宗派②法相宗
・「千年残る仕事」彫刻家・中村晋也さん(96)釈迦八相像完成 奈良・薬師寺
・祈りの回廊
・平城京跡の散歩道
・薬師寺観光リーフレット
この記事が参加している募集
サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。 どうぞご協力よろしくお願いします。