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センゴク外伝 桶狭間戦記
仲良くさせていただいているつのだこうじ さんよりご紹介いただいたコミックです。
つのださんとは歴史好き同士という共通点があり、時にはコメント欄で史実内容についてやり取りして下さり、日頃からとても参考になるご意見をいただいております。
私の拙書・「奥の枝道」も読んでいただき、おまけに感想記事まで投稿してくださいました。
本書中の「誤字」を見つけてくださり、こっそり教えてくださったり、その心遣いには感謝の念が絶えません。
そんなつのださんから、レキジョークルの名古屋紀行の記事「④熱田神宮」でいただいたコメントで次のようなのがありました。
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それがコチラです! ↓ ↓ ↓
毎日ログインしながら、なんとか最後まで無料で読み切りました。
作者である宮下英樹氏による歴史観に添って、私の思うところを書かせていただきます。
名君・今川義元
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一言で感想をいうと、今川義元、かっけぇ~!!
こんなに美しく、強く、賢い義元の描写は初めてでした。
義元に対しての誤解
たいていのこの時期の歴史ものは織田信長中心のストーリーが多く、どうしても今川義元の事は、大した才覚もないくせに思いあがった傲慢な武将として描かれる事が多いように思います。
というのも、1560年の「桶狭間の戦い」で、まだまだ未熟な信長にあっさり負けて討死してしまったからです。
私も若い頃は、そんな風に思っていたのですが、この時代の小説を色々と読み解いてみると、どうもそうではないな…と思い始め、義元は優れた武将だったと知ると、この「桶狭間…」の敗因がどうもわからなくなったのです。
以前から思ってはいた事ですが、先月、熱田神宮で「信長塀」を見てから、再度その思いが大きくなりました。
特に今川義元について知りたくなり、優秀な戦国武将であった彼が、どうして敗戦したのか?
その理由を探りたくなったのです。
私が持つ「桶狭間の戦い」の印象は、大まかに以下の通りでした。
・信長は圧倒的兵力差であるため、今川軍を分散させるように仕向けた
・信長は最初から、今川軍を窪地で休憩させるよう、地元の百姓に命じてタイミングよく酒肴を差し入れした。
・突然の天候の変化を察知して、豪雨になる事を予想した。
・義元は丸根砦や鷲津砦を陥落させても信長軍は無反応だったため、勝負を諦めたと完全に油断した。
・義元は太っていて短足で、馬にも一人で乗れなかった。
あの戦いは、始終信長の計画通りに進んだと思っていました。
しかし、本書では上記の事にはたったの一文字も触れていません。
正々堂々としながらも、信長の器量を見抜き、認めているという義元が描かれています。
そして家臣たちも、心の底から義元を信頼し、強い結束力で守ろうとするのです。
認め合っていた二人
時代は 我を選ばぬか
最期を迎えようとしている義元が悟ったセリフです。
そしてその瞬間には義元の視界に、信長の姿らしきものが入り込むのですが、そのシルエットしか確認できず、やげてぼやけて、死の間際に残念に思いながらこと切れてしまいます。
とうとう、義元と信長は一度も対面する事はありませんでした。
義元は信長を幼少の頃から知り、分析し、彼をとことん理解し、
信長もまた義元の優れた統治や知恵を敬い、十分理解していたのです。
会わなくても、お互いを知り尽くしていた両名は、それぞれの聡明さを完全に見抜き、敵を侮ることなく決戦に臨んでいるのです。
もしこの二人が、何らかのカタチで対話する事があったなら、歴史は大きく変わっていた可能性があります。
2人がまみえた時は、まさにこの決着の時しかなかったのです。
義元の首を前に、深々とお辞儀をする信長の姿は、心の底から尊敬しぬいた気持ちが表れており、その深い礼節を尽くした姿は感動ものです。
戦国随一の軍師・太源雪斎
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陰謀家だったのか?
義元の父・今川氏親より強く請われて、当時、今川家五男・義元の教育役として奉公する事になります。(正室同母で考えると三男)
今川家にはすでに嫡男として氏輝が決まり、次兄の彦五郎もいたので、義元が家督を継ぐ可能性はほぼなく、4歳から仏門に入れていたため、優秀な僧侶を教育係としたのです。
しかし、雪斎はこの少年の名将としての器に気付き「戦国大名」として育てる事に後半生を費やす事になります。
やがて、今川の歴史を変える事が起こります。
二人の兄、嫡男の氏輝と次兄の彦五郎が、同日に急死するのです。
同日ですよ!
これは完全に雪斎が一枚かんでいるのではないのかと思わせる怪事件だと思うのです。
雪斎が義元を武将として育てる決心をしたのと、
二人の兄が急死したのと、どちらが早かったのか?と思ってしまいますが、これにはなんだか陰謀めいた匂いはします。
あと5年寿命があれば
今川家の家督を継いだ義元の右腕となり、軍師として活躍するも、自らの寿命を悟ると、世を去った後の憂いを残さぬよう今川家の行く末を指南します。
そもそも、信長の父・織田信秀との熾烈な戦いを繰り返し、尾張を熟知した雪斎は、どこよりも尾張の織田氏を抑える事に集中すべきと唱え、そのためには必須であるのは武田氏と北条氏とを大人しくさせる事でした。
そのため、人生最後の大仕事として甲相駿三国同盟を成立させて60年の生涯を終えます。
来年起きること。
— 新田 友作 (@Commander_Nitta) December 13, 2018
●今川義元公誕生500年
●伊勢宗瑞公没後500年
●甲府開府500周年
●三遠南信道路開通
正に追い風か。#甲相駿三国同盟 pic.twitter.com/LvybGKjGb0
あと5年雪斎が生きて「桶狭間…」に参戦していたら、彼はどんな采配を提言したでしょう。
もしかしたら織田家はここで滅亡していたかもしれません。
というのも雪斎は、息子の信長の器量を見抜き、尾張にには早急な対処をとかねがね危惧していたからです。
一番の愛情を注いだ義元の討死を心の片隅で予見したのかもしれません。
しかし、人質として預かっていた、もう一人の弟子の徳川家康は、戦国の世をしたたかに生き抜き、260年もの平和な時代を築いたのを見ると、雪斎の教育は日本史に大きな影響を与えたのは間違いありません。
登場した女性たちについて
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寿桂尼
父・氏親の正室であり、義元の生母です。(諸説あり)
義元の死後、8年間今川家を采配し、「女性戦国大名」と称されるほど、見事な外交政策を見せた女傑です。
私のイメージは大河の「おんな城主 直虎」で演じられた浅岡ルリ子さんが、とても印象に残っています。
彼女が存命中は何とか存続した今川家も、他界した後には、滅亡の一途をたどりました。
本書は、彼女で始まり、彼女で終わるという形です。
それぞれのシーンもなんとも印象的でした。
生駒吉乃
信長の寵愛を受け、嫡男の信忠はじめ、信勝、徳姫の母です。(諸説あり)
しかし、彼女の記録は乏しく、詳細はわからないのですが、
本書では信長が美濃から正室を娶る以前から妻としての立場にありました。
信長母の土田御前が、吉乃に信長と別れるよう進言するシーンがあるのですが、この時代は「側室」を持つのが当たり前の時代なのに、これは考えにくいと思われます。
側室を持ち、一人でも多くの子を成す事が家の存続に繋がることなのですから。
1566年に死去したとありますが、享年は39歳なのか29歳なのか、生年が不明のためはっきりしません。
本書では信長より4,5歳年上という設定なので、39歳説をとったようです。
吉乃もそうですが、他の側室を見ても、一度は嫁いだ経緯がある年上の女性が目立ち、信長は”熟女好み”だったようですね。
その後、多くの側室を抱えた信長は、一時期は吉乃と疎遠になりますが、
彼女が徳姫を生んだ後、ずっと体調を崩し数年もの間寝込んでいた事を後になって知った信長は、小牧山城に正室扱いで入場させ、家臣たちにも初めて披露したとあります。
身分が低かったため、ずっと影の存在だったのですね。
信長正室・濃姫
本書には名前だけで姿はチラリとも登場しません。
信長の正室であり、あの斎藤道三の娘でありながら、何も記録がないというは、とても不思議です。
確かなのは1535年に生まれ、1549年の数え年15歳で信長の正室として嫁いだこと。
いったいいつ没したか?
側室の吉乃でさえ没年がわかっているのに、なぜ記録がないのか??
それには、様々な憶測が飛び交っていていまだに解明されていません。
だいたい彼女の呼び名も、於濃、帰蝶、胡蝶、鷺山殿、安土殿と複数存在していることが、混乱している要因のようです。
彼女に関しては、妄想のし甲斐ありますので、後日にまた記事にしたいと思います。
本編も読みたくなった
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この作品は、あくまでもスピンオフです。
本編の「センゴク」「センゴク 天正記」「センゴク一統記」「センゴク権兵衛」のシリーズがあります。
戸次川の戦いでの大敗などから余り好意的な評価を受けてこなかった美濃出身の武将仙石秀久を戦国史上最も失敗し挽回した男として、主人公に据えて戦国時代を描く異色の作品である。タイトルは戦国時代と主人公の姓「仙石」を引っかけたもの。
仙石久秀という人物は全く知らず、信長、秀吉、家康の三英傑に仕えたという彼の目から見た戦国時代にもとても興味がわきます。
是非また読了して、後日、感想の記事投稿をしたいと思います。
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