四天王寺「聖霊会」で舞楽を初鑑賞!
かなり日は過ぎてしまいましたが、4月22日に四天王寺の「聖霊会」へ行ってきました。
12時半からの開始なので、その前に四天王寺西門前の前回見つけたファンキーな店「煩悩のかたまり」で腹ごしらえです。
約半年ぶりの訪問ですが、相変わらずお兄さんは一人で素晴らしい手際の良さで切り盛りしていました。
私たちは一番入り口の端っこの、奥からは衝立があって全く見えない席だったにもかかわらず、全員が食べ終わったころ合いに、「〇〇〇〇円です!」と声を掛けられたのには驚きました。
「どっから見てるん⁉」
「カメラでも仕込んでるやろか⁉」
まるで、食べたらサッサと出ろと言わんばかりの速攻の対応です。
ほとんど開店と同時に入った時は、まだお客さんはほとんどなかったのに、気付けば満席になっていました。
一人で店を円滑に回そうとするには、これぐらいでないといけないのでしょう。
本当にここのお兄さんのキビキビした振る舞いには感心させられます。
店内を奥から入り口までの1往復で、5仕事ほどこなす動作には一部の隙もありません。
それでいて、そばもコシがあって美味しいのですから大したものです。
「聖霊会」
聖徳太子の遺徳を讃える大法要
四天王寺では毎年、4月22日は聖徳太子命日であり「聖霊会」と言われる大法要があります。(旧暦2月22日)
そこで奉納される舞楽を目当てにやってきました。
今回の参加者はミコさん、リンさん、トーコ、私の4人です。
四天王寺境内は多くの出店があり、外国人も含めた多くの観光客で賑わっていて、会場となる六時堂前の亀の池の「石舞台」は、派手に飾り付けされていました。
ただ、肝心の「六時堂」が令和5年4月1日~令和8年3月31日の3年間、修復工事中なのが残念です。
私の高校時代ですでにかなりボロいイメージだったので、そろそろ限界ではあったのでしょう。
舞台の四隅に大きな赤い曼殊沙華が下げられ、赤い柵が置かれた石舞台は華やかに様変わりし、大太鼓も石舞台の南側の左右に設置されて圧巻の存在感を示していました。
亀の池の周りのベストポジションは、すでに人で溢れていて、自分たちの立ち位置をやっとの思いで確保しました。
配られたリーフレットの「次第(プログラム)」を見ても、内容はさっぱりわかりませんが、17時半まで5時間もの間、執り行われる事には驚きました。
とてもじゃないですが、立ち見の状態で5時間も見続けることは無理だと悟り、「菩薩(左方)」と「獅子(右方)」の14時半ごろまで見て、後半はまた今年の秋か来年にしようと早々に思いました。
左舞と右舞
左方と右方???
なんだそれ?
恥ずかしながらプログラムも満足にわからない。
文化デジタルライブラリーによると、元となる舞や器楽の由来の違いが大きく、基本的には中国系を左方の舞、朝鮮系を右方の舞なのだそうです。
その他の違いも簡単にまとめてみました。
今これを見て、初めて知ったので、当日はどの演目の登場が左だったか右だったかなど、まったく着目していません。
一番わかりやすいのは装束の色でしょうか?
確かに「赤」も「緑」も鮮やかな衣装は印象的でした。
蘇利古(右方の舞)
おまじないのように顔を象ったものを描いた長方形の白布は蔵面といれるものです、
そうなんです。一歩間違えれば子供のいたずら書きのようなもので、人の顔のような配置に図形を並べている感じです。
これを5人が顔に付けて、いや正確に言うと額から暖簾のように下げて踊っているのです。
どこかで見たなと思ったら、アニメの「鬼滅の刃」の炭治郎の父が「ヒノカミ神楽」を舞う時にこんな風な蔵面を付けていた事を思い出しました。
作者の吾峠さんは、日本古来の風習や儀式からヒント得たのだと、改めて思いました。
蘇利古とは楉(ずわえ、しもと)の事で、「長く延びた若い小枝」の意味になります。
甘州(左方の舞)
さらに金翅鳥を調べると、ヒンドゥー教のガルーダ、あるいは仏教の迦楼羅の別名になるらしい。
う~んイマイチよくわかりません。
基本からわかっていないので、引用ばかりで申し訳ないのですが
蘇利古も甘州もそれらのエピソードはその舞の内容とどう繋がっているのでしょうか?
それとも舞楽にストーリーを求めてはいけないのか?
このあたりは今後の私の宿題です。
動画に編集
聖霊会の舞楽を1分17秒の短い動画にまとめましたので、どうぞご覧くださいね。
菩薩(左方)と獅子(右方)
「獅子」とあったので、派手な獅子舞を期待したのですが、まったく舞らしい舞はありませんでした。
パンフレットによると、かつては舞がありましたが、現在は失われて石舞台上で簡単な所作をするだけだとありました。
さらに獅子は道行の船頭を務めながら露払いをして場を清める役目を担っているそうです。
社寺にある狛犬と獅子の役割もここからか?
期待したのですが、静かに登場して舞台を少し動き、退場していくのみで
いったい舞台上で何をしているのかがわかりませんでしたので、つくづく舞が伝承されていないことは残念に思います。
「三方楽所」
雅楽の伝統組織
天王寺楽所「雅亮会」
明治の東京遷都により、天王寺楽所は継続が困難になり、四天王寺「聖霊会」も中止せざるを得ない状況が続きましたが、それを惜しく思った多くの有志たちにより、明治12年に念願の再興を果たしました。
そしてその5年後の明治17年(1884)に「雅亮会」が結成され、四天王寺のみならず、「住吉大社」や「厳島神社」などでの奉納舞楽だけにとどまらず、各地劇場での公演などで海外の方々にも鑑賞していただいています。
「天王寺楽所」を名乗ることができるのは、認められた証拠なのです。
日本の伝統組織「三方楽所」
そもそも日本には以下の雅楽組織があり、大切に伝承されてきました。
・宮中方(宮廷・京都)ー大内楽所
・南都方(興福寺・奈良)ー南都楽所
・天王寺方(四天王寺・大阪)ー天王寺楽所
前回に訪れた「法隆寺」も聖徳太子ゆかりの寺院なので、同じく「聖霊会」は執り行われるのですが、四天王寺とはまた違う南都楽所だという事です。
そして法隆寺での「聖霊会」は10年に1度のビッグイベントとなっています。
前回は2021年でしたので、次は7年後の2031年という事なのですね。
聖徳太子信仰の法要として毎年3月22日には「聖霊殿」に安置されている聖徳太子の皇子や兄弟たちの像などと一緒に扉が開帳され、「お会式」という法要が行われています。
お会式は来年、まだ友の会の有効期限内ですので行きますが、7年後の聖霊会もぜひ鑑賞し、南都楽所と天王寺楽所の違いを確認したいものです。
【参考文献】
・聖霊会舞楽大法要 次第
・聖霊会舞楽大法要
・雅楽 文化デジタルライブラリー
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