桜は知っている
花冷えが続き、思ったより満開になるのが遅くなりました。
今日は美容院を予約していたので、その道すがらすべてのソメイヨシノが満開になっていました。
温かくて、お天気も良いので、朝よりもまた一段と開花しています。
私が住むマンションの庭だけではく、町内全体に桜がたくさんあります。
本当はもっと枝ぶりが大きい桜の木だったのですが、数年前から毎年、剪定するので、いまいち迫力に欠けてきました。
桜を見ると思い出す事が色々あります。
節目には常に桜の存在があり、様々な全ての思いを吸収してくれたように思います。
【喜と楽】
春
これらの桜たちは、子供たちの成長を見守ってきました。
幼稚園から大学までの各入学式の当日は、必ず桜の下で写真を撮りました。
幼稚園の時は、初めての集団生活に馴染めるのかどうか、親も子も不安な気持ちでした。
小学校は、背中に背負った真新しいランドセルが重そうでしたが、笑顔の一枚が撮れました。
中学の時は、ダブついた真新しいブレザーの制服がまだ似合っていなくて、苦笑いしながら撮りました。
高校生になった時には、すっかり逞しくなった体格に詰襟の制服が妙に似合って、あらためて感心したものです。
大学入学の時は、親子ともども受験を終えた清々しさと、これからの希望に満ちた気持ちで撮りました。
夏
夏ともなると、蝉が大集合するのが、この桜並木です。
この辺りでは、ほとんどがクマゼミですが、アブラゼミも3割程度生息しています。
それらが、7月の中頃から一斉に鳴き始め、それこそ空から洪水のように降り注ぐような勢いで姦しい大音量となります。
特に長男が幼少の頃は、それはもう毎日毎日、飽きもせず、水筒と虫かごをたすき掛けにして、一日中蝉とりをして過ごし、夕方には虫かごが隙間なく真っ黒になるほどに捕まえて帰ってきていました。
そしてそれを自宅のベランダから、1匹ずつ逃がすのです。
理由は、蝉は一週間しか生きられないかだとか。
蝉取りにいそしむ息子を、優しく見下ろしてくれていたのもこれらの桜でした。
【哀と怒】
桜を見ると、どうしても悲しい出来事を思い出さずにはいられません。
今から15年も前にもなりますが、妹を亡くしています。
3カ月間もの闘病中に、入院中の窓から、近くを流れる一級河川の堤防沿いに、それは見事な桜並木がありました。
3月から入院していたのですが、桜の咲く季節となっても退院の目途が立たない状況に、不安な思いを抱きながら、満開の桜を毎日眺めていました。
春の青天の下、眩しいぐらいに輝くその桜の大軍たちを見ながら、
「どうか、一日も早く笑顔で退院できますように」
と願い続ける毎日でした。
妹よりあとに入院した人も、どんどん先に退院していくので、不安ばかりが募り、それでも希望は持っていました。
しかし、私の願いは届かず、妹は他界しました。
その後、しばらくは桜を見るたびに、哀しくなり、怒りさえ湧いてくるので、まともに観る事ができないような辛い春を何回か過ごしました。
桜は何でも知っている
子供たちの成長を見守ってきた桜。
私の喜びも哀しみも知っている桜。
怒りを受け止めてきてくれた桜。
振り返れば、桜は全ての事を知っている。
その花はすぐに散ってしまう運命だけど、私の思いを全て受け止めて、散らしてくれる。
そして、来年にはまた新たな花を咲かせてくれる。
毎年。
毎年。
新しい芽を吹いて、
新しい花を咲かす。
桜を見ていて、辛い時もあるけれど、
やはり目を逸らせる事が出ないのは、そういうところだろう。
そしてまた、花を散らす。
毎年。
毎年。
人の喜怒哀楽を見守って、吸い取って、
散らせて、
去年とはまた違う花を咲かせる。
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