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休学日記①成長とリスクの狭間に:ナイジェリアの実態

このノートは、私が両親(特に父)と私のナイジェリア渡航について3時間程、議論した日についての記録である。

私は父がナイジェリア出身、母が日本人の女の子だ。20歳である。
現在(2023年11月~)早稲田大学を休学し、2024年1月中旬(予定)からアフリカの大国であるナイジェリアにインターンとして3ヵ月間派遣される予定である。

一度も父の祖国へ帰ったことのない私であるが、どうしても自分のルーツを知り、発展段階でポテンシャルのある環境で仕事を経験してみたかった。
危険なことは噂に聞いていたが、ナイジェリアへ行くことには何の抵抗もなかった。

知ってのとおり、ナイジェリアは公用語が英語、金融市場がアフリカで3位(2022年)、2030年には人口が4億人を超えるとされ、経済規模や労働市場も大きい。今後日本人がビジネスを展開する上で益々注目を集める国となるはず。

何社にもメールを出してアポをとり、ナイジェリアに行く機会をやっとのことで掴んだ。
大きな切符である。
日本企業がナイジェリア拠点に有する投資事業のインターンであり、会社から様々に補助もいただける予定である。

私は両親にそのことを話したが、賛同を得ることは出来ていない。
母は私の気持ちを分かっていたし、着々と私が準備を進めていたのを知っていたので、快く賛成はしていなかったが、反対もしていなかった。

しかし、問題は当国出身の父である。
もっと早めに話をしておくべきだった。
私はその日議論をするまで、ナイジェリアがどれほど危ない国か全くわかっていなかった。

その日、私たちは顔を合わせてゆっくりと、私のインターンのナイジェリア渡航について話しあった。

父の口からでた最初の言葉は、"No."である。
"You are not a Nigerian."
訳:お前はナイジェリア人じゃない。
"You don't understand anything."
訳:お前は何もわかっていない。
もちろん、反対されることは承知であった。
どんな決断においても反対は付き物である。
どちらかというと楽観的な私はそれでも心の中でこう考えていた。
「今まで海外を旅したときも大丈夫だったから。別に今回もなにか問題があっても大丈夫でしょ、なんとかなる。」と。

しかし、父の口からでた言葉は全て衝撃的なものであった。

父の身内の子供が誘拐されて、父がナイラ(ナイジェリアの通貨単位)で身代金を払ったこと。
この出来事は一週間以内に起きている。
毒殺されている身内がいること。
(以前から私はこの話については知っていた。)
貧困が故に金銭を求めて自分の家族を土に生き埋めにする者までいること。
指輪をはめて歩いたら、指を切られ、時計をつけて歩いたら腕を切られること。
席を立った矢先にドリンクに毒を盛られること。
誰も信用できないこと。

警察でさえ、信用のならない国

"This is Nigeria."
訳:これがナイジェリアだ。
そして、私はこうも聞いた。
私の親戚に、父の家族に会うことができないと。
"Scattered."
訳:彼らはもうバラバラだ。
そう言われた。
私は、自分の半分の親戚に会うことが出来ない。
会ったところで信用できるかわからないし、会う過程でどんな危険があるのかもわからない。
「愛しているから行かせられない。夜も寝れなくなる。」"So, I say no."
その言葉は、私が涙をこらえるのを許さなかった。

「会社から任命されている訳でもない、家族に会える訳でもない。お前は何しに行くんだ。」
行くべき理由、行きたい理由があるのに、上手く言語化できないからか。現地の親戚に会えないことに対する悲しさからか。反対される真っ当な理由があるが故のやるせなさからか。家族を心配させることへの申し訳なさからか。
久しぶりに声を大にして思いっきり泣いた。

私は日本生まれ、日本育ちであり、価値観や考えは間違いなく日本人である。
血だけ、半分ナイジェリア人であるのだ。

そんな危険な国に行く必要もないし、こだわる必要もないと言う人もいるだろう。
両親いわく、「ちせは人も疑わず、一番ピュアハートだから現地に行ったら一発で危険な目に合う。」とのこと。
(否定したいが、否定はできない。人を信用しやすい一面はある。)
また、期間としては10日程かと思いきや、3ヵ月も行くとは思わなかったそうで、父は余計に呆れて笑っていた。

3時間の議論の末、私は顔をぐちゃぐちゃにしながら黙って父の目を見つめ続けていた。その目から父は私がそれでもナイジェリアに行くということを悟り、頑固さに頭を抱えていた。
"You are a big baby."
訳:頭の固い子供だ。
そのように言葉を残して一旦議論は終了した。

父は私を生んでから20年間、一度も祖国に帰ったことがない。
ナイジェリアに住む金持ちは娘を国外の大学へ送り、国外で生活させる。
国外に住むナイジェリア人の娘はナイジェリアに行こうとしている。

今や私にも、自分のルーツを知るときがきたようだ。
私は自分で足を運び、自分の体で感じ、目でみないことには何も信じられない。自分の感性を生かすこと、体感することが私にとっての学びである。
しかし命の保証はないし、世界で最も危険な国の1つである。
きっと、きっと想像を絶することになるだろう。

一応伝えておくが、私の行くインターン先の企業はVictria Island(ビクトリアアイランド)という、大都市Lagosの中でも最も経済的に発展しており、安全と言われる地域には位置してはいる。

Victria Island in Lagos, Nigeria

今は、現地に住む人の話を聞いたり、調査して情報収集を行っている。
しかし、何が起きるか、ナイジェリアが、私自身が今後どうなるのかはわからない。

今も心臓をドキドキと動かしながらこの文章を書いている。
ナイジェリアに行く理由なんて、理屈をつければいくらでもいえるだろう。
しかし、現地に行くことに、足を踏み出すことに、環境を体感することにこそ、私にとっては真に意義があるのだ。
理由や理屈どうこうでその思いを伝えらるものではない。
そもそも伝えないといけないのだろうか。
「ナイジェリアに行かないと。」ただ、そう感じる。

"LIFE IS MOST IMPORTANT." 死んだら、終わりだ。何もできないんだ。

両親の気持ちもわかる。当たり前のことである。

この手にしたナイジェリアでのインターン機会は、
私にとって変化と成長の切符であり、夢であり、喜びであり、そして命に関係する大きなリスクである。

両親と話したあとは、ガーナ人の父をもつ友達の女の子と電話をした。
アフリカやインドなど比較的危険な地域への旅を経験した彼女の言葉は学びと勇気に満ち溢れている。

日本で自分のルーツを知らずに鳥かごの中で暮らしたくはない。
行った後悔も行かなかった後悔もしたくない。
成長と危険の狭間の中で私は何を選択するべきなのだろうか。
私をよく知っている人なら、きっとわかるだろう。

これからも情報収集を絶えず行い、人と話し、考え続けながら、私はリスクを最低限にするために行動を起こしていく。

また少しずつ物事が進み次第、日記として考えや情報を発信していきたいと思う。

読んでくれてありがとう。

ちせ




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