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きみはぼくのともだち(写日記)

特定の一人ではなく、親しい友達を「親友」と呼んでいいのであれば、私には「親友」が数人いる。
みんな優秀で素晴らしい奴ばかりでほんとうに愛してる。あと全員おもろい。
生き方がとかそういうことじゃなくて(生き方もだけど)
単に笑いのスキルが高いという話なんだけどこんな話はどうでもいい。

そう、有難いことに私は友人に恵まれている。困った時に頼れる人が一人もいないとは思ったことがない。本当に幸運だと思う。

私は、元々バンドマンだった。高校時代にバンドをはじめ、いい年になってから解散し、数年ふらふらと過ごしたのち演劇に出会って雷に打たれ今に至る。親しい友人は、大体このバンドマン時代に出会った。

昔の自分とは絶対友達になれないと本気で思う。他人を思いやったり尊重することができなかったのです。そうだね、昔の自分は大嫌いだな。

そんな頭が悪かった頃から、親しい友達はつかず離れずずっと親しい友達でいてくれている。まじでありがたすぎる。お金払いたい。
先日、渋谷の街で写真を撮ってくれた森良太もその一人。

森良太は男で、私の恋愛対象も男性だけど、私たちは親しい友達なのだ。
森さん以外にも男友達はいて、例えばJIJIのたくととか、NO FUNの秋とか、みんな親しい男の友達だ。

親しい友達に男も女もないのだけれど、男友達と女友達という言葉があり、異性の友情は成立しないという人もいる。うーん。現にとっても仲がいいのだけれど。
私にはよく分からないけど、理解できない人がいるらしい。
まあその話は置いておいて、森良太という親しい友人がいてその友人に写真を撮ってもらった日の話をしよう。

4月上旬、春のくせに寒くて、家に置いてきたヒートテックが恋しいと思いながら約束の時間より大幅に遅れて合流。

なんで遅刻してしまったのかいまだにわからないけどなぜか思ってた時間に全然着けなくて「ごめん」というより「なんで?」感強めの舐めてんのかという態度だったけど快く許してくれた森さん。ありがとう森さん。

とにかくおなかが空いていたので腹ごしらえをすることに。
何食べようって話に「牛カツは?」と返ってきたことに対して、普段牛カツが一発目に候補にあがることは無いし、牛カツを食べることも多分初なので盛り上がる私。

森が行ったことあるという牛カツ屋に入り、近況などを話しながら食べる。森は「牛肉揚げた味やったな」と言っていた。意味が分からない。

渋谷の裏道を思う方へ、大阪で言えば中崎町や中津のような、渋谷の人だかりがない静かな場所を求め歩く。誰もおらん公園、シャッターの閉まった店の前、人ん家の前。森が唯一「ここ好きかもしれん」といった場所で撮った写真はフィルムの事情で現像できなかった。

数点Twitterにあげたところ、これまた私の愛しい親友の193が「写真には関係性が出るね」と褒めてくれた。そうなのだ。

この日の私はオンとオフの間のような微妙な顔をしていて、それがなんだかどうして自分でも悪くないじゃないかと思ったのです。
森は以前から「キリっとしてる写真もいいけど、もっと素のちーこの写真撮りたいわ」と言ってくれていた。

その言葉をすっかり忘れていたのだけれど、出来上がりを見て思わず笑ってしまった。勝手にそうなってた。

私はこの日の写真好きだなあ。森さんも気にいってくれてるといいなあ。
フィルムカメラで初めて撮ってもらったのだけど、フィルムってとてもいいね!ちょっと色直すくらいであとはそのままで十分いい感じなのね。
カメラのキタムラへ行って、現像をお願いした。写真屋さんで現像をお願いするなんていつぶりか。

森さんは元々ライブのために東京へ来ていたので、コーヒーを飲んで一旦解散。森さんはリハーサルへ、私は推しブランドのサンプルセールへ。

コーヒー屋一つ選ぶのも友達とだと面白い。
私はあまり冒険したくない派なので、一人だと無難なお店しか選ばない。
森が「ここでええやん」といったお店が、中華料理屋風フォントの看板に「珈琲」「スパゲティ」とかいろいろ書いてある店だった。

反射的に「ええー」と言った後で「いや。せっかくやから一人やったら絶対入らん店に入ってみようではないか。」と思い直し入ってみたところ、コーヒーも美味しく人もまばらないい店だった。いい思い出で済んでよかった。

森のライブを見た。

森のライブはもう何回見たかわからんくらい見ている。なんせ知り合ってから今まで奴はずっとミュージシャンだから、歌ってる森を見るのは特別なことではなく日常だ。出会った時からそうだった。きっとこれからもそうなんだろう。

新曲が良かったと伝えたら、俺もあの曲好きやねんと言っていた。
自分の作ったものを即答で好きやねんと言えるのは最高だな。

それから箱打ちに混ぜてもらい、いい出会いとお酒を楽しんだ。森さんのおかげだ。ありがとう。本当に、何も気をつかわずどんちゃんできる日はいつ来るのか。

こうやって箱打ちに出ていると、大阪は寺田町のfireloopを思い出す。fireloopはまだあるけど、私が思い出すのは今は無き旧店舗の方だ。

森たちと出会ったのもfireloopだ。青春だったな。社会性が無い大人から社会を学んだおかげで、社会性の無い大人になってしまった。ライブを観てライブをして。飲んで吐いて。ろくでもないけど本当に楽しかったな。

あの頃fireloopへ行けば会えたみんなは今どこで何をしているのでしょう。

こんなに森のことを書く機会はそんなに無いだろうから、ついでに思い出してみよう。我々は学校こそ違うけれど出身地が隣町で、使っているスタジオも同じだった。

お互いがだっさい名前のバンドをやっている時に知り合った。今休止中の森のバンド「Brian the Sun」の前身バンドだったころ。
私がやっていたバンドの名前も大概ださかったが、森のバンドの名前もむちゃださだった。私は好きだったが。
そして私のバンドはシャカラビのコピバンだった。時代を感じる。

当時高校生のバンドの中でオリジナルをやっているバンドは森のとこくらいだったんじゃないかな。うまかったし、界隈で有名だった。その中にはすでにBa.はるきもいた。はるきは自分とこの高校の方が偏差値高いからってマウント取ってくる嫌な奴だった(冗談だよ)。

ある日、仲のいい高校生バンドマンばかりで集まり修学旅行みたいな事をした日があった。

朝になり起きるとまだ他のみんなが雑魚寝をしている中、森だけが起きて静かにギターを弾いていた。確か、戦場のメリークリスマス。

話しかけたのか、話しかけずに聞いていたのか、もともと戦場のメリークリスマスを弾いていたのか、弾いてくれとリクエストしたのか、その辺は全く覚えていないのだけれど、差し込む朝の光と戦場のメリークリスマス。それが私の持つ一番好きな森との記憶だ。

進む道は違うんだけど、私達は今でもこうして親しい友人のままでいる。
森はミュージシャンのまま歳とっていくだろうし、私は俳優のまま死にたいと思っているから、きっとそうなるだろう。

これまでも色んなことが始まって終わった。これからも当然そう。
でも私はずっと君の友達だし、君もずっと私の友達。森だけじゃなくて、私が愛する私の親しい人たち。親友たち。みんなそう。

だから私はできるだけ道を外さないよう、みんなの自慢になれるよう、恥ずかしい人になってしまわないよう今日も生きるのだ。

私が有名になったあかつきには、頭を強めに殴って記憶を失ってもらわなければならない奴が数人いて、森もその一人。奴は知りすぎている。過去の痛い出来事を暴露される前にやらねばならない。

もしくは、私が持っている奴の秘密を暴露することにしよう。そうしよう。

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