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毎日のコーヒーは憧れのハンドドリップで

コーヒーが大好きです。

日記や勉強は三日坊主になるけれど、コーヒーは毎日欠かしません。

コーヒーを手淹れするようになってから もう随分経ちます。
あのモコモコと湧き立つように膨らむ豆の楽しさが味わえるのは手淹れならでは。
いくら見たって見飽きることはないのです。


私の両親もコーヒーが大好きでした。
専らお湯で溶かすだけのインスタントコーヒーでしたが毎日欠かさず飲んでいました。

実家は朝からラジオがうるさく流れている家でした。
ラジオ番組の中の 「コーヒー好きは遺伝だそうですよ」 という話に、ふうん…それなら私もいつかコーヒーを飲むようになるのかなぁと、小学生だった私はぼんやりと聞いていました。


子供の頃、母に内緒でたまに父と寄り道をする喫茶店がありました。
いつ行ったって小学生なんてひとりもいません。
そこはなんだか特別な、ちょっとオトナ気分になれる空間でした。

落ち着いたインテリア、小さめに流れる音楽、カップが並ぶ棚、コーヒーの香り。
学校や家にはないものが そこにはたくさんありました。
モダンで整った雰囲気に、私はちょっと緊張していたかもしれません。
でも 父に誘われると、心の中では嬉しくて跳ねていました。

小さなカウンター席とテーブル席がいくつかあるこじんまりした住宅街の喫茶店。

店のマダムと話をした記憶はないけれど、カウンターの向こうの優しい笑顔の印象はぼんやりと残っています。
“マダム”という言葉がしっくりとくるような華やかな雰囲気の人でした。

マダムがポットをくるくると操ってお湯を注ぎ コーヒーが落ちていくのを、私はまるでマジックでも見るかようにワクワクしながら眺めていました。

家にある、頭を押すとお湯の出てくる でっぶりと居座る電気ポットとは、風貌からしてどうやら全く違います。
シュッとしたシルバーのポット、その緩やかなカーブの口から細くこぼれるお湯さえも キラリとお洒落に見えました。

父はいつでも 私には何も聞かずに「レーコーとミックスジュース」と注文しました。
“ レーコー ” って…
冷コーヒー、アイスコーヒーのこと。
父のオリジナルの呼び方かと思ってたけど、大阪の方言みたいなものだと ずっとあとになってから知りました。

私が飲むミックスジュースも、家で母が作ってくれるのとは ひと味違って感じられました。
雰囲気のエッセンスとでもいうのか 何というのか。
そこは私にとって、憧れや不思議のぎっしり詰まった場所でした。
店を出る時には いつもふわふわとした気持ちになって、父も私もご機嫌でした。


ラジオが言っていたように遺伝なのかはわからないけど、いつしかコーヒーが大好きになっていました。
中学生くらいからインスタントコーヒーをカフェオレにして飲んでいたかなぁ。
あのマダムのハンドドリップに いつかきっと!と憧れながら。



普段は朝と夜、休みでうちにいる日には昼間も淹れます。
そんな時間は贅沢だなぁと思います。

気持ちが穏やかではない時には コーヒーをわざわざ淹れて飲む気にはなりません。
心と体のバロメーター。


最近はカフェに出かけることもほとんどありません。
ポカポカ陽気の 自由な春が訪れたら、明るいカフェにでも出掛けよう。
たまには誰かに淹れてもらった美味しいコーヒーを ケーキと一緒にのんびりといただこう。

自分の “好き” は何よりの癒し、元気のもとですね。


お気に入りのコーヒーや食器、カフェのお話なんかも
是非いつか またの機会に。
どうぞよい一日を、  よい一週間を





#9.   『 コーヒー 』

⭐︎春なのにアイビーは果て 抜け殻へコーヒーノキをさがす週末

⭐︎第二波のありて生まれしサードウェーブ次を待ったり待たなかったり

         ー ちる ー


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