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発達障害と多様性を認める社会へ*𓈒


先日、友人が主催した
「発達障害疑似体験会」について✎𓂃*𓈒

疑似体験をしてみて、
障害を抱える子どものもどかしさを実感し
いろんな人たちに知ってもらいたいと
強く思いました。

一例として
進行者が言う言葉を
参加者が絵に描いて表す体験

りんご🍎や、おにぎり🍙といった
具体的で誰もが同じものを想像するもの

お弁当🍱や朝ごはん🥞といった
想像はできるけれど
みんな内容が違ってくるもの

しっかり や きちんと
といった絵に描くことが難しい概念

これらのお絵かき体験から、
具体的ではない言葉が
いかに個人によって想像するものが違うという
当たり前といえば当たり前の
でも、とても重要なことを体験しました。

発達障害や自閉症などの障害を抱える人にとって
曖昧な概念は伝わりにくいのです。

だから具体的な伝え方をすることで
伝える方も伝えられた方もスムーズに
やり取りができるようになります。

これは、障害を抱える人に限ったことでは
ありません。
子育てや、仕事を教えるときには
とても大事なことです。
一般のコミュニケーションにおいても
こういった知識を頭の片隅においておくだけで、
伝わらなかったといって
一人で怒ったり、相手を責めたりせずに
すみます。
どう言ったら伝わるのか
相手に伝わる方法を探すことができたり
客観性を持って対応していくことができます。

朝ごはんといったら、
全ての人が和食のご飯と味噌汁を
想像しなくては間違いでしょうか?
ラーメン🍜を描いてしまったら
ダメなのでしょうか?

人間は、個人の特性のほかに
それぞれ違う環境で育っているので
言葉の捉え方は人それぞれです。

それを大多数とは違う答えを
したからといって間違いだと判断するのは
ずいぶんと窮屈な世界です。

朝ごはん、ラーメン🍜いいね
って尊重して受け止めていいのでは
ないでしょうか。
プラスして
大多数の人はこれを想像するんだよ
みんな想像することが違って面白いね
って大多数の人の回答も教えて
いろんな見方があることを楽しめば
いいのではないでしょうか。

私自身が、大多数の正解からこぼれ落ち
試行錯誤しながら、大多数の正解を学び
「普通」の中に収まることが
正解なのだと苦しんで生きてきた人間なので
発達障害は他人事ではありません。

息子も同じような特性を持っていて
大多数の子がクリアできる問題で
つまづくことが多かったです。

その度に、一緒に
つまづいたポイントを見つけて
どうしたら乗り越えられるか
考えてきました。

その過程は大変ではありましたが
私をとても豊かにしてくれる体験でした。
障害や不登校のお子さんを持つ親御さんや
障害支援研究をしている方と
知り合うこともできたし
私の世界を大きく広げてくれました。

普通からこぼれ落ちることは
決してダメなことではない。
普通という見えない社会の境界線から
はみ出すことをそんなに怖がることは
ないのです。
私一人では気づくことができなかったこと。

大多数の人が歩む普通から
はみ出てしまっても道は続いています。

普通からはみ出した人達の方が
自分という人生を自分らしく
いきいきと生きているように見えます。

それは、無理して普通の枠にいることよりも
自分を尊重して生きることを選んだからのように
見えます。

友人が大人になってからADHDを
診断されましたが
仕事もして結婚もして子育てもして
自分らしく幸せに暮らしています。

高校を中退して引きこもり経験のある弟は
自分のこだわりを貫き通して
今では人気店のオーナーシェフです。

今回のセミナーの主催者の友人は
発達障害のお子さんを持つ母親です。
一人でも多くの人に
発達障害のことを理解してもらいたいと
願いで行動されている方です。

いろんな人たちに出逢いましたが
苦労して大変な経験があった人ほど
心が広く多様性を認め人を尊重します。

一般的に不幸とされる経験を乗り越え
その経験を行動の理由として活動している
人の言葉は人の心に響きます。
辛い経験をした人たちは
必ずといっていいくらい何かしら行動し、
その力が未来を変えます。

だから
もし、今、その環境で苦しんでいた人がいたら
希望は絶対にあることを忘れないでほしいです。今、大変な思いをしている体験は
未来の誰かを救うかもしれません。

私自身も自分らしく生きることを
諦めたくはないです。

日本は、多民族国家ではなく島国文化から
みんな同じを好みます。
人と同じことで安心し、違う人を批判する傾向が
ある画一的な社会を作り出しているから
とてもとても窮屈です。

海外の友人と話していると
日本は障害を持つ人と健常者との世界が
まるで違う世界かのように境界線が引かれている
ことに気づかされます。

この窮屈な社会を壊して
多様性を認める境界線のない社会へ𓂃
みんなが生きやすい社会になることを
願わずにはいられない
そんな「発達障害疑似体験会」でした。

まとまりがなく脱線もありますが
少しでもこの想いが伝われば幸いです。

自分に合わない環境で過ごしているが故に
あぁー、なんて自分はダメなんだろう
あぁー、なんでできないんだろう
って考えがちになっちゃうんだよね
もちろんそういった環境で頑張っている
からこそ得られることもございます。
けどね
自分に合った環境を探し続けるという行為も
これまた一つの努力であると
私は考えてございます。

逃げたっていいじゃないか。

人間なんてね
生きてるだけで人様に迷惑かけていくんだから
あんまり細かいこと気にせずに
ご自分が過ごしやすい環境を
ご自身で整えていく
私は基本的にはそれらを悪いことだとは
思わないかな。


ポールダンサー:ブリアナ・ギガンテ

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