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土地とつながること、それができる自由(と少しだけ国勢調査の話)

 今回は、素朴に最近思ったことを書いてみるのですが、土地とのつながりの感覚についてです。

 移動が自由にできなくなったり、気軽に会えていた人と会えなくなったりして、つらい思いをしている人も多いと思います。私の場合、「愛着のある土地に行きたくても行けないこと」がつらいです。これは実家であったり、ずっとお世話になっている研究のフィールドであったり、思い出の場所であったり、行先は人それぞれだと思います。

 「土地とつながる」とは、どういうことだと考えられるでしょうか。私もまだしっくりくる表現が見つからず、(仮)のような感じです。土地を踏みしめること、歩き回ること、そこで誰かと話すこと、土地を写真や記憶に焼き付けること、そしてそこに住まうこと。土地とつながる方法は色々あると思います。

 そしてもちろん、その土地に行かなくても「土地とつながる」ことはできます。オンラインツールを駆使して遠くの人と話したり、仮想現実で体験することもできますね。私はよくGoogleマップのストリートビューで里帰りをするので、かなりズームアウトした状態から一気に実家の位置にズームインできます。しかし、やはり行かなければ得られない感覚、感情、体験があるのだなと最近感じました。

 最近、「関係人口」という言葉がよく用いられるようになりました。ある土地に普段は住んでいなくても、その土地に愛着や思い入れを持ち、応援したいと考える人たちがいます。そのような「関係」を持つ人たちも含めて、今後の地域づくりを考えていこうという動きです。この言葉ができる前から、地域の外に住んでいても地域において重要な役割を果たしている人はたくさんいたのですが、この言葉は関係や交流を重視している点では分かりやすい言葉だと思います。

 こうした関係は、地図には描かれていません。また、統計にも表れてきません。だからこそ大切なものであるといえます。もちろん、地図や統計はとても大切です。関係人口の考え方で見ていけばよいから常住人口は無意味であるということはないです。

 ちょうど国勢調査の調査期間ですね。皆さん、地理学を学んだり研究している人間にとって、国勢調査をはじめとした統計の結果は本当に「もう一つの地表」(今思いついた言葉)くらい大切なものです。地図に描かれない人間の分布が統計ではじめて明らかになり、そこからたくさんの主題図によって可視化されることで、土地の多角的な見取図が提示できるようになります。ご協力をよろしくお願いします。こうした調査に答えることも、住んでいる土地とのつながりを確認する機会といえるかもしれませんね。

 話は戻りますが、土地とつながる感覚は、空間スケールによって様々なテーマへと展開できます。国際的な話題では、ある土地に住まうことをめぐる別の立場や考え方の人々の対立がありますし、住まう場所を奪われた人々の移動を巡る問題もあります。また、国際的でも国内の事象でも、土地とつながる感覚は観光やモビリティを巡る議論とも切り離すことはできません。ローカルに見れば、地域への帰属意識や地域活動への参加をめぐる議論でも、この感覚への注目は重要な視点だと思います。

 皆さんも一度、自分がどんな土地とどのようにつながっていられるのか、どのようにつながることを望んでいるのか、どのようにつながるように位置づけられているのか(こうした多義的なものが英語のbe to不定詞の訳にありましたね)、考えてみてください。そして、そうしたつながりを持つことの自由がどのように保証されているのか、あるいはどのように侵害されている世界があるのか、考えてみていただければと思います。本当は近年の地理学での「relational geography(関係の地理学)」の議論も参照してみたかったのですが、まだ勉強中なのでまたの機会にします。お読みいただきありがとうございました。

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