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原点回帰、グリーンズと私。

JFCMIYAZAKIが全国地域サッカーチャンピオンズリーグへの出場にむけて、FC岐阜時代にお世話になっていた方から支援をいただきました。その方が当時の仲間にも声をかけてくださったようで、その声に反応して、また一人、岐阜の仲間が支援を申し出てくださいました。FC岐阜の運営ボランティアの方の一人でした。


FC岐阜の運営ボランティアの皆さんは「グリーンズ」という団体名で活動しています。
私は2008年に入社してすぐにグリーンズ担当となり、以後5シーズンの間、退社まで担当を続けることとなりました。2008年はJリーグに昇格した年で、運営もまだJリーグ仕様とは程遠い状態だったうえに、私自身が初めての経験ばかりで何をどうしたらいいかわからないまま手探りで動いていたところでしたので、グリーンズの皆さんにいろいろとお願いするというよりも、グリーンズの皆さんからいろいろ教えてもらいながら運営にあたっていたと言った方がいいかもしれません。
それでもはじめのうちは私も気負いもあり、スタッフという立場からグリーンズの皆さんに細々指示をしたり、一緒になって見本になったりしなければならないと思っていたのですが、すぐにそれは無駄だと気がつきました。なぜなら私なんかよりもずっと気が利くし、サポーターや一般のお客さんの気持ちがわかるし、様々な経験をしてきているからです。
私はボランティアの皆さんが担当する部分の運営について、細かいことを考えることはやめ、皆さんに任せることにしました。いくつかの役割をお願いしていたので、毎回参加してくださる方の中で何人かに、それぞれのパートのリーダーをお願いしました。細かい運用についてはそのリーダーと相談しますが、基本的な決めごと以外はお任せしました。そもそもボランティアの方々は自発的に参加しているので、その自発性を思う存分発揮してもらうというやり方に変更したのです。

すると、その効果は担当するパートの運用だけにとどまりませんでした。
定期的にボランティア会議を開いてよりよい運営のためのアイデアを出しては次から次へと新しい取り組みを始めていったのです。あると便利なものを自分たちで手作りしたり、エコステーションというゴミの分別エリアを設けたり、アウェイ遠征に合わせて他クラブのボランティア体験に行って運営の勉強をするとともにボランティア同士の交流を始めたりと、活動の幅をどんどん広げていきました。

2009年にU-18を設立すると、U-18の選手も教育活動の一環としてホームゲームの運営に携わるようになりました。アカデミーの選手はどうしても関わる大人が限られてしまいますので、たくさんの人に関わってもらい、みんなで選手を育てていこうということで、グリーンズの皆さんとU-18の選手を同じポジションで運営にあたってもらうことになりました。予想以上の成果でした。はじめはホームゲームの運営にあたることに対してあまりポジティブではなかった選手たちもグリーンズの皆さんの姿を見たり、話をしたりする中で、本当に見違えるほどの動きになりました。またグリーンズの皆さんはU-18の試合には必ずと言っていいほど応援に駆け付けてくださったり、卒業の時期には記念品を贈ってくださったり、中には卒業後も交流を続けている選手もいます。

グリーンズの皆さんとは本当に一体となってホームゲームの運営にあたってきたという実感があります。チームの調子がいい時も、どん底の時も、クラブの経営が危機的な状況にあっても、変わらず支え続けてくださったグリーンズの皆さんとは、ボランティアとスタッフという関係を超えて、同志のような感覚です。

遠く離れた宮崎のクラブでの活動にもかかわらず、気にかけてくださっており、本当にありがたいことに今回の支援を申し出てくださいました。

FC岐阜はクラブの環境もその頃と比べると格段に良くなっています。今のグリーンズの状況は詳しくわかりませんが、あの時の気持ちそのままに、さらなる活躍をされていることと思います。
私たちも良い報告ができるように頑張りたいと思います。

クラブの在り方を考えるうえで、グリーンズはいつも私の原点となっています。


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自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)