肉体と精神の比重
こんばんは、魚亭ペン太です。
今回は割と性的な持論、デリケートなお話です。
不快に思う方もいるかと思うので、その点を留意していただいた上で読んでもらえたらと思います。
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昨今の欲求を満たしやすい世の中を省みると、
恋をするというのはなかなかに難しいのだと思う。
エッチな画像も動画も検索しようと思えば見ることができるし、そういったものを公に扱っている企業もある。
ネットを眺めていれば、誰かしらが面白そうなことをしている。
欲求に対して支払う対価が少ない。
ましてや、無料で見られるものも多い。
誰かの体験を自分のモノのように感じられる感性は強くなっているのかもしれないが、
「見ているだけでいいや」
という人が増えている気がする。
恋愛もそうで、ドラマや漫画のような恋に憧れを抱きつつも心のどこかでフィクションだからと諦めている。
かといって、目の前に似たような状況が起きたときには尻込みしてしまう。
自分のことになると途端に想像力が働くようになり、もしも失敗したらどうしようとか、お金がかかるなど考えてしまう。
「いつでも恋愛ができますよ」なんて恋愛偏差値の高い人はいいかもしれないが、そういった期間をうまく作れない日常に追われている人が殆どだ。
だというのに、交通事故に遭ってしまったように物語は始まるし、打ち切りの漫画のように唐突に終わる。
唐突に始まった恋愛に対して「こういった人がいい」よりも「自分はこうありたい」という身の丈に合わない理想を抱いている人もいる。
理想というのは誰にでもありえるが、極端に理想を掲げてそれが叶えられない場合に「私はあなたに相応しくない」などと言い出したりする。
そんな理想的な人間は存在しやしない。その不完全なところが愛されていることに気がついていない。
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本能と理性。
人によって肉体と精神の比重が違う。
精神に比重の強い人は考え込んでしまうので、綺麗事を言いたいわけではないが、性行為は手段であって、目的になってはいけないと考えている。でも、そういった激動はしっかりと持ち合わせている。
実に気難しい。
その行動に意味を求めてしまう。
性行為に積極的な人は
「何も考えずに気持ちよくなることを考えよう」
とその瞬間を楽しむ。その後は何もない。案外あっけらかんとしている。
結論は出やしないのに常に考えている人はある意味真面目だが、目の前の出来事を見る、楽しむという頭の柔らかさが足りないのではないだろうか。
この点で言えば人間は多少おバカな方がいい気がする。
美味しいご飯を食べます。