弱い部分を愛したい

私の人生、これまでずーっとコンプレックスの塊だったな。
でも、きっかけさえあればそのコンプレックスを受容したり愛したりすることができる。
そして、いままさにそれが出来始めている...!

もともと、外見も内見も自信がなくて、嫌なことがある度に「なんでいっつもこうなんだろうか」って辛くなって、壁に頭を打ちつけて何でも上手にできない不器用な自分がすごく嫌だった。特に自分から何かを発信する状態の時は、大体どの瞬間も緊張してて、自信がないから何をするにも怖かった。とにかくずっと生きづらかった。(そしてその状態だったからこそ、私はHSPでアダルトチルドレンだと自認している)
「その状態から脱したい、変わりたい」そういう想いも、時には自分自身の成長に向けた原動力にもなってたけど、
今の自分を受容することができないことが苦しくて、楽しさとか幸福感は一切なかった。
(幸福感はたまにはあるが、どれも瞬間的なものが多く、継続的なものはほぼない)

でも、なぜこれまでの私はここまで自分に自信を持てなかったんだろうか?

もちろん性格や育った環境も影響してると思う。
ただ、根本は捉え方とその捉え方の癖づけが足りなかったことだと思った。(2024/6/3時点)

これまでの自分は、容姿もマインドも性格も、
可愛くて美人で、明るくてポジティブで元気に周りを笑わせられて、もの怖じしない性格が完全体だと思い込んでたことが大きい。

でも、蔦屋書店で見つけたおおきゆきのさんの宇宙の引き寄せの本を読んでみて、
「私は生まれながらに完全」であり、
良いところも悪いところも全て含めて今のこの状態が完璧なんだ。神様は不器用な要素も計算して完全体を作り込んでいるんだ、という考え方に出会った。

その本を読んで、考え方が変わって、
不器用だからこそ、私は愛おしいんだ。
生まれながらの天才(ハリーポッター)には共感できてなかったよね?
生まれながら何でも卒なくこなせて大人びてたら応援したいと思わないよね?

人に対しては何でもできる人じゃなくて、
ちょっと不器用な要素も求めてるくせに、
何で自分は何でもできる人になろうとしてるの?

不器用だけど、不器用なりに一生懸命に頑張ってるから可愛いし、愛おしいし、応援したくなるんだと思うし、
それは私が1番分かってるじゃないかって思った。

だから、私もこのままで良いんだ。

そして、自分の良いところばっかりではなく、
弱いところも愛おしいって思って、「まあ、いっか」「むしろここが良いんだぜ」って、ユーモアに受容ができたら人生幸せじゃないか。

小さな事だけど、
そう言う考え方があることを知ると、
不器用すぎるって責めてた自分が信じられないくらい、
不器用な部分が多くて愛すべき存在として受け入れられてきてて、これまでよりも胸を張れてる気がする。

大切なのは、他人に受容してもらうことではなく、自分で自分を受け入れることなのダ。

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