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【コラム】瞑想に対するハードルをギャンギャンに下げようという記事

ここ数年、色んなところでやたら「瞑想」を勧めてくるな…と思いませんか?
あのスティーブ・ジョブズもやっていただの、こんな素晴らしい効果があるだのね。
急に「今日も瞑想をして云々」つって座禅組んでる写真をSNSに載せてる有名人を見かけると、なんかこう、「あー。はい。」てなりますよね。

皆さんは、瞑想やったことあります?
てか、どんなイメージですか?

「やってみたい」「良さそう」「出来たらいいけど…」「胡散クセェな」「スピってる人のやつ」「修行か何か」「余裕がある人がやるやつ」
色んな意見があると思います。
試してみた人、今も続けてる人、よく分からなくてやめた人もいるでしょう。

私の場合は「何度も挑戦して挫折してを繰り返して、最近やっと意味が分かってきた人」て感じです。

あと、瞑想することをやたらとスゴイ事みたいにアピられると「うるせぇな」てなります。
瞑想って「ゆっくり湯船につかる」とか「シートパックする」くらいのメンテナンスだと思ってるので。


瞑想って何なの?

では、瞑想って何なのか、何が良いのか、何をするものなのかというところを、ちゃんと理論で理解できるようにお話ししていきましょう。

人の脳みそをザックリ分けると、理論や計算や言語などを担当してる左脳と、感覚とひらめきと創造性担当の右脳があります。

皆さんは、普段ずっと頭の中で「これからアレしてコレして、あの人はああだこうだで、何時までにこれして…」としゃべり続けてませんか?
本当に何にも考えてない時間がある人って、あんまりいませんよね。
常に「そういえば昔…」とか、考えても仕方ないことや既に何度も考えてきたことを引っ張り出してまで考え続けてる。

実はそれ、左脳が勝手に喋ってるんですって。

左脳は勝手に喋り続ける

現代の人間は、左脳が発達してるから人間らしく社会で生きていけてるのです。

時間を守ったり、場所を把握したり、約束をや計画を管理したり、他人と自分の境界を把握したり、言葉を喋ったりできるのは、左脳が頑張ってくれてるから。

しかし、現代人は逆に左脳ばっかり使いすぎてバグが起きている。
思考と理論と後悔と心配でがんじがらめになって、無駄に生きづらくなって
るんです。

さらに厄介なことには、左脳は自分で勝手に動いてしまう癖があるんですね。
左脳がそこまで動き続ける理由は、「左脳の発達のため」です。
良かれと思ってやってくれてるんです。

左脳は良かれと思って頑張って、右脳を押しのけてでも動き続けようとする。

左脳は、右脳を押しのけてでも動こうとする

右脳を押しのけてでも。
つまり「感じてることを無視して、理論だけで判断し続ける」ということです。

例えば、右脳が「わーい、楽しい!これ好き!もっとやろう!」と言ったとしても、「時間がないし無駄だからやらなくていい。もっと金になることを効率よくやらないと」と言って無視してしまうんです。

ずっと理論理屈にばかり集中してると、幸せを感じたり、素直に感情を表現したり、アイディアを出したり、感覚的なことや大好きで楽しいものに目を向けることが無くなってきます。
そして、そのうち「なんで自分にはオリジナリティがないんだ」「どうして幸せだと思えないんだ」「生きてる意味ってなに?」となっていくわけです。

左脳をちょっと黙らせる

瞑想の時って「雑念を手放せ」「何も考えるな」て言われますよね。
それって要するに「左脳を黙らせろ」てことなんです。

「左脳を黙らせる時間を増やして、右脳の声を聴くこともしていくといいよ」というのが瞑想です。

「何も考えないなんて無理だよ!」「どうしても考えちゃう」てみんな言うけど、そりゃ当たり前。
そういうもんだから、やる必要があるんです。

例えるなら「家は必ず汚れるから、掃除しようね」という話。
「物を汚す奴はダメ」と言ってる訳ではないんですね。

肩が凝ったらほぐそうねだし、ゴミが溜まったら捨てようねというのと同じように、「みんないつも雑念が出まくり過ぎるから、たまに止めようね」というのが瞑想です。

もっと簡単に考えて良い

ここまで書いてきた雑念云々もそうですが、私がもうひとつ大事だなと感じてるのは「一回止まって自分に意識を向ける時間をつくること」です。

皆さんは、1日の中で何回くらい「体の感覚」と「自分の気持ち」に意識を向けていますか?
明らかにどこか痛いとかツライなら、そこに注目し続けるでしょう。
でも、そこまでじゃない小さな変化は気にしてますか?

わざわざ気に留めるほどでもない自分の中の変化。
それこそ「今まで理論で無視してきたこと」そのものです。

私は瞑想を始めたての時「よし、何も考えない、呼吸、呼吸、吸って吐いて…」て必死になってました。
でも、そうやってたときは毎回「何やってたんだろう」「合ってんのか?これ」みたいな気持ちになってました。

最近気づいたんですが、多分、瞑想ってそんなに必死にやるもんじゃないんですね。
もっと簡単でいいんですよね。
シンプルに「今の自分に、しばらく意識を向けてみる」てだけでいいんじゃないかと思います。
終わった時に「なんかフワッとしたな」とか「晴れてて気持ちいいな」とか思えたらそれでいい。
そんな大層なこっちゃない。

私の瞑想のやり方

私が最近毎日やってる瞑想はこんな感じです

  1. タイマーかける

  2. 軽くストレッチ

  3. 目を瞑って深呼吸

  4. 体全体をサーッとスキャンする感じでチェック(痛くない?変じゃない?)

  5. 力が入ってるところを見つけて、抜いていく

  6. バランスが悪かったり、負担がかかってるところを見つけて(腰が反ってるな、肩が前に出てるな、など)良い感じにもどす

  7. 動かしたいパーツを動かしたいように動かす

  8. 自分の中にどんな気持ちがあるかチェック

  9. そんなこと考えてたんだ…くらいで流す(強い感情は後でメモ)

  10. 考え始めたらやめる、考えたらやめる、の繰り返し

  11. タイマーが鳴ったら、おしまい

  12. 気になったことやアイディアをメモ

以上です。

メモは後で掘り下げたり、ノートに吐き出したりします。
(吐き出しノートのやり方は別に記事にしますね)

「ずっと怯えてたから肩が凝ってたんだ」と気づいた

私は整体でよく「肩が上がっているから、肩と首が凝って、首が前に出てしまう」と言われてました。
瞑想をしていて気づいたんですが、それって子供のころに「身を守ろうとギュッとなってた」ていうところから始まってたんですよね。

私は子供時代すごく敏感で、いつも周りの言葉や態度や変化に怯えていました。
今思うと、社会不安障害とかHSPといわれるやつですね。
小さい頃の写真を見ると、大勢に囲まれてるときはだいたい眉間に皺を寄せて身を縮めています。

私が無意識にずっと肩に力を入れてるのは、この時から始まっていたんです。
知らない間に、ずっと何十年もギュっと肩をすぼめて、身を縮めた防御の姿勢をとってたんです。

それに気づいて「もう身を守らなくていいよ、今までよく頑張ったね」という気持ちになりました。
それから「肩の力を抜け」じゃなく「頑張らなくていいよ、大丈夫、もういいよ」と思うことでちゃんと芯から力が抜けるようになりました。

「防御をやめよう」と思って力を抜くと、急に数10年ぶりで頭が軽くなりました。
頭が楽になったら、スッと集中できるようになって、気持ちが楽になりました。
「あ、みんなこんな感じで生きてたんだ…」と思いましたね。

そりゃあ、敵に襲われるんじゃないかと緊張してる時は、何かに集中したりできませんよね。
集中してる間に襲われて死んじゃうもん。

私にはマッサージじゃなくて、防御しなくていいんだって体と頭に伝えることが必要だったんですね。

体が勝手にやってることにも理由がある

多分、私の例以外でも人それぞれに癖があって、「その癖があった方がいい理由」があるんじゃないかと思います。
人生のどこかで「そうすることにした」ていう切っ掛けがあるんじゃないかな。
それに気付くのは、自分の体と気持ちに注意を向ける時間を作ることでしかできないと思う。

「あ、自分て本当はこんなこと考えてたんだ」て気づくのは、心にも体にもいいこと。
そうやって自分をメンテナンスしたり、理解することが、自分を大事にするということだと思います。

とりあえず気軽にやってみて

いかがでしょう。
ちょっと瞑想を試してみようかな、と思ってもらえたら嬉しいな。

そんなに難しくないし、たった5分でいいので、試しに1日に一回だけ自分に意識を向けてみてください。
すごい肩凝ってるね!とか、なんかイライラしてる?とかに気付けるだけOK。
気付いてあげるだけでいいんだと思う。

またこういう無料のコラムをちょくちょく書いていきますね。
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ではまた。

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