自分探しと生きづらさと【推し本紹介】

どうも~千夏です。

今回は「ナナメの夕暮れ」(若林正恭著)の話を自分語りとともにします。

このnoteを始めて半年近くが経ちました。

文章を書くことも話すことも大好きだけれど口下手で、SNSの発信もうまくない自分にnoteが続けられるのか?と思っていました。

書いているうちにひねくれた考えばかりしている自分が嫌になりました。

ひねくれているからこそいろんなことに違和感を覚えるし、

だからこそいろんなことをnoteに書けるというと

かっこよく聞こえるけれど

現実世界でこんな自分だとバレたら大抵は「めんどくさいやつ」で片づけられることが多いのが現状なんです。

(自分はめんどくさい人間なんですと断言するのはやめました。

最近アドラー心理学を学ぶうち、自分はめんどくさいやつとかかまってちゃんだとかマイナスなことを断言するのは自分に対するマイナスな刷り込みになると知ったからです。)

文章から自分の価値観が垣間見えるからこそ自分という人間が嫌になってもうやめてしまおうと時折考えている自分がいました。

小説も、啓発本も、映画も、ドラマも、この頃は考えすぎてしまって純粋な気持ちで楽しめなくなっていました。

何をしていても常に自分探しをしている自分がいて、周りから否定される苦しみとは違う種類の苦しみを持っていました。

幼い頃から考えすぎだよと言われてきた自分ですが、昔より考えるようになって最近は考えることに興奮して夜も眠れず、対面授業の頃は5時起きしていたのに対し、今は8時台に起きられれば良い方で10時台に起きています。

ご飯を食べていても何かを考えながら食べているためどこ向いてるの?と家族に聞かれることもしばしば。

深刻な悩みはないのに常に考え事や自分探しをして自分が嫌だったしなんだか苦しかったです。


積読本もたまっていく中で「ナナメの夕暮れ」はサクサク読める本だと思えました。

自意識過剰だよと言われる自分をなぐさめてもらったようなそんなかんじがしました。


読書をすることで自分の疑問を解決しようと必死な感じもすごく共感します。

マウント取りのためとか、賢い芸人目指すぞとか、読書芸人と呼ばれたいとかそういうことを考えて読書をしているわけではないということがよく伝わります。自分探しに必死だからやっているのであって、誰かの評価のために読んではいないんですよね。


自分は若林さんがMCをやっている番組をあまり見ませんし、オードリーの番組もほとんど知りません。何が言いたいかというと自分は彼らの番組もほぼ知らなくてファンではないということです。

嫌いなわけではないのですが、バラエティー番組をほとんど観ていないのであまり見る機会がないのです。

バラエティー番組もオードリーの番組も避けているのではなく、好きな番組を片っ端から録画していると見る暇がないのです。

それくらい詳しくないからこそ、真っ新な状態で若林さんの文章を読めるのです。芸人としての彼は知らないけれどエッセイストとしては素敵な方だなと思います。

ブクログというアプリで何となく文庫人気ランキングを見ていると14位と書かれていました。

自分のようにオードリーについてはあまり知らないという人でも買っているのだろうなと思いました。

自分探しをしていたという若林さんの話は自意識過剰と言われた多くの人が共感できる内容だからでしょう。

冷徹、ドライ、共感できない人だといわれてきた自分ですが「救われたな、過去の自分に贈りたい」という思いで泣きそうになりました。

本から数日離れていた自分が3日くらいで読み終わりました。

「表参道のセレブ犬とカバーにゃ要塞の野良犬」という彼の前作を読んだ時もそうだったのですが、あとがきが一番泣きそうになりました。

考えすぎてしまったり、生きる意味、存在する価値を常に気にしてしまったりする人におすすめします。

若かった頃との考え方の比較、自分(ここでいう自分は若林さんのこと)が「おじさん」になったと感じる話からこんなふうに「自分探し」をするのもまだマインドが若いからなのかな?とぼんやり考えました。

無理にポジティブに自分は若いと思うわけではないけれど、

色々考えるにはそれなりのエネルギーが要るのだと彼も書いていますし、

この本を読む前から考えることにはエネルギーが要るのだとよく思っていました。

救われると書くとおおげさかもしれないけれど、内容は特別難しかったり、重かったりということはなく割とさらさらと読めます。

ほぼ内容を語らずに書くのって難しいですね。


この本を読んでいなかったら文を書く自分を肯定できなくなっていた気がします。

気になる人はぜひ。

では今回はこんなところで。

ではまた~