本好き=良い子、本を読む=良い行いという呪い

どうも~千夏です。
今回は親や先生、本などに書かれていて違和感をもったことを書きます。



本が好きになってくれて子育て5割成功したとか、
本が好きだから言葉いっぱい知ってて偉いねとか、本を正しく読めば稼げるとか
そんな言葉たちです。


その言葉が間違ってるのかどうか自分には分かりません。

でもその言葉を見聞きすると心の中の自分が素直に喜べなかったり、ムッとしたり、
首を傾げたりするのです。

興味があるものがたまたま読書だっただけなのに。
ほめられるためにやってないのに。
稼ぐためだけに本を読むのだろうか。

そんなふうに思えてならないのです。


どうしても本を読むことを良しとする風潮はあるし、子どもがスマホより本に興味を示していたら褒めたくなる気持ちもあるかもしれません。
社会人が勉強するためのツールとして手に取ることもあるとは思います。



自分は「本好きだからおとなしい」と読書によるイメージで判断されることに違和感を持ってきました。
ですが、本を読んでいれば良い子だと褒められ、ゲームやマンガを好む友達の話をすれば良くない子だねと返答されるのは
イメージを決められること以上に嫌なことでした。

褒められることに違和感を持つ一因には本を読む子に育てるために親はゲームやマンガ、アニメをほとんど見せてくれなかったからでした。
自分が思うに
本好きなのは、本を読むことは悪いことではありません。
本が無かったら、自分の高校卒業までの人生はもっともっとつまらないものになっていたかも知れないし、そんなの想像するだけで鳥肌がたちます。
本を読むこと、それだけが生きがいで苦しかった時代はほとんど本しか楽しい思い出がないくらいです。
年に数百冊読むようないわゆる読書家ではないものの読書愛はそこそこある方だと思います。

いまさら本ではないものを好きになれるのか分かりません。


本の魅力から離れたいわけではありませんが、
他のものを抑えてまで本好きにするのが良いことだとは思えません。

まったく触れさせないのはかえって親に不信感を持ちます。

ゲームもスマホも本より良いかどうかは分かりません。
そういうことにされているし、「科学的」
「医学的」のように何かの専門家から見ればそういう面もあるのかもしれませんが。

本を読めと言われたことに反発してテレビばかりみてしまった時期もあり、
ゲームをやらなくても結局テレビに依存しています()


本の魅力は押し付けられて知るべきものではありません。
消去法ではなく、
娯楽や情報のひとつであってほしいのです。

自分は本が好きなのにそれを呪いと感じてしまう自分が大嫌いです。本当はそんな歪んだ価値観を持ちたくありません。

「本を読めば稼げる」とか、「本を読まないから最近の若者はダメだ」とかそういう言葉も同様です。
中には読むのが苦手な人を全否定するような言葉も少なくないと感じます。

こんなことを書いていますが
noteを通じてわかったことは、
自分が本が好きであるということですし、
あくまでも嫌なのは本を押し付ける考えであって読書そのものや読書を勧める人ではありません。
ただ読書を勧める伝え方が偏っているものは苦手です。「本を読まないでスマホをいじってばかりいるなんてもったいない」「他のことは時間のムダ」と書いてあるとちょっと押し付けすぎなのでは?と疑う自分がいます。
こんなことを書いているものの
これからもきっと自分は本について書くと思います。


今回はこれを書くと自分への印象が変わるのではと思いつつも

本音、抑えていた気持ちを文にしました。逃げるような発言になりますが、あくまでも自分の価値観です。

本を読むことを良しとする人を否定するものではありません。
繰り返しになりますが、本を読むことを悪いことだとは思っていません。


追記

本が良いと思うことは呪いだと書く。

するとそれが刷り込みであったことに気付く。

では本とスマホは同じくらいにメリットがあると考えているのかというとそれは違う。

自分は本を読めば良い子なのだという刷り込みがなされたが、ここまで極端なものも含めれば誰しもがされてきたことだと思う。

自分の趣味を心の底から良いと思えないのは、押し付けられた価値観がきっかけで始めた趣味だからだ。

物語は幼いころからの楽しみだった。

それが楽しみの一つではなく、強制された楽しみに変わってから怖くなった。

今は親からの押し付けでなくスマホより本が良いと思える。

スマホにはスマホのメリットがあるが、それ以上のものを本に感じているから読むのだ。目的が全く異なる物なのに一緒くたにしてはいけない。使い分けが必要なのだ。

たとえばスマホによって違う考えをより多く知れたし、自分の置かれた環境がいかに狭いかを知れた。自分の特性の多くをカバーできた。

字を書かないとどんどん衰えていくから書くことから逃げるなと言われてきたが字を書けば書くほど追い詰められて字が書けなくなった。

テレビを見まくるのをやめた。

テレビをみているのではなくテレビが自分を見てと取り込んでいくような感じがしたからである。

5,6時間テレビの前でぼーっとしていた小学生時代。親から受け身状態で育った自分はますます受け身の姿勢になった。

これは読書を例に考えた、刷り込みで「いい子」にさせられていた体験だ。

よく「良い子」を演じようと必死なこどもの話があるが、自分は演じなくても「良い子」になるように刷り込まれていた。


刷り込みというと言葉が悪いが、自分が書いているこの文も含め情報の多くにはすり込みがある。

どんな環境にいても疑うことを忘れたらそれは刷り込みなのだ。
親との仲は悪くはないし、

親を悪役に仕立てたいのではない。これは賢い人だから、名のある人だからとおいしい情報に飛びつきそうになる自分への戒めを込めただけの駄文だ。

長くなりましたが終わります。
ではまた~。