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生きていた記憶

父は私が高校生の時に亡くなった。
まだ50手前で、私たち兄弟は3人とも生徒と呼ばれる歳だった。
癌だった。見つかった時にはもう転移が進んでいて、手術もできない状態だったと聞いている。
父は、また仕事に行きたいと言って、抗がん剤での治療を受けていたが、とにかく病気を見つけるのが遅すぎたのだと思う。

父がいなくなって、私は、もう父に会えないという悲しみと、母と子3人でこれからどうやって生きていけばいいのだろうという不安に押しつぶされていた。
それでもどうにか、と言うか、想像していたほどの苦労もなく、大学まで進学し、今は社会人となった。
苦労せずに済んだのは、間違いなく、生前の父と、それから母の努力のおかげだ。

父がいなくなって10年以上が経った。
15年も家族でいたわりに、父の記憶はあまりないように思う。
私が幼い頃から、父は仕事一筋の人だった。
小学生の頃、朝早く仕事に向かって夜遅く帰宅する父と平日に顔を合わせることはほとんどなかった。
その後、父は単身赴任となり、一緒に過ごすのは月に数日ほどだった。
私は、私を育ててくれたのは母だと認識していたし、今でもそう思っている。
とにかく、家庭を顧みず仕事ばかりの人だった。
思い出すと、なんとなく、寂しく思ってしまうのだ。
もっと一緒に家族としての時間を過ごして欲しかった。

最近になって、ある文章が私のところにやってきた。
父の弟、私からみて叔父が、私たち兄弟に渡してくれたその文章は、父がお世話になった大学の先生が退職にあたり書かれたものらしい。
先生と父との思い出が綴られていた。
父が学生だった頃のこと、卒業してからも機会があれば先生の研究室を訪れていたらしいこと、父の赴任先に先生が来てくださっていたこと、そして父が病気であること、もう長くないことを先生に知らせたメールのこと、最後に、父の告別式のこと。
聞いたこともない話ばかりだった。
そうやって、長年お世話になっている先生がいるということすら初耳だった。

父は、先生の心の中で生きていたのだ。
私は、父とはあまり一緒に過ごせなかったと感じているけど、その代わりに誰かが、父と一緒に過ごしていたのだ。
父はこうして、たくさんの人の心の中に、今も記憶として生きているのだ。
先生の文章には、病気が分かる直前の頃、父が、研究室に実験をしに来たと綴られていた。
父には何かやり遂げたいことがあったのかもしれない。
仕事に打ち込む人生を選んだのだろう。
それなら良かった。父の、やりたいことに情熱を注いだ姿が、こうして今も誰かの心の中に生きているなら、良かった。
私が父を思い出すとどうしても、もっと父親をして欲しかったと思ってしまう。そのことをなんとなく辛く思っていたが、それはそれでいいのだ。
父が選んだ人生に関わってくださった方の記憶に、少しでも父がいたことが、嬉しい。

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