見出し画像

ジャムおばさん坊主の歌

昨日に引き続き、ある季刊誌に寄稿した過去のエッセイをお届け!
その第1弾はコチラ↓


第2弾 ジャムおばさん坊主の歌

 
私が初めて曲を作ったのは23歳の時でした。

その頃の私は仕事が終わると真っすぐ家に帰り、一人で曲を作って歌うという、何とも地味な生活を送っていました。

それは趣味というより、自分の中のバランスを保つために必要な「作業」のような感覚でした。

大学卒業後に就職した会社で挫折し体調も崩して退職し、その後再就職したのですが、自分が思い描いていた姿とはかけ離れている現実に思い悩んでいた時期で、心の中に渦巻いていた様々な感情を言葉とメロディに乗せて歌うと、何だか少しスッキリできたのだと思います。

完全に自己満足の世界でしたが、次第にその拙い歌を誰かに聞いてもらいたくなり、小さなライヴハウスで歌うようになりました。

ある時、初めて私の曲を聞いてくれた見ず知らずの方が
「私も同じような気持ちになったことがあります。すごく共感できました!」
と、声をかけてくれたことがありました。
ネクラな感じの曲も歌っていたので、そんなことを言ってもらえたことが衝撃でした。そして、今でも忘れることができない、嬉しい経験でした。

自分ではいわゆる「ラヴソング」だったり、日常のことを歌にしているつもりでしたが、親しい友人からは、

「ちみょうの歌は、内容がやっぱりお経みたいやね」

と言われたこともありました。

当時は寺から離れることしか頭になかったので、褒め言葉としてかけてくれた言葉なのに、なんだか反発を覚える私でしたが、今では「そうかもしれない」と素直に思えます。

どんなに反発していても、私の根底には仏教があったから、あの頃もどうにか立っていられたのかもしれません。

そして結婚後、夫が脱サラし、私の故郷で手作りジャム専門店を起業できたおかげで、寺の仕事だけでは生活が成り立たなくなっていた、過疎地の寺(実家)に帰ることができました。

それからは、お経や親鸞聖人のお言葉を私なりの言葉にし、親しみやすい曲にして歌う活動を始めました。

すると「島のジャムおばさんで、歌も歌う変わったお坊さんがいるらしい」と、いろんな所からお声をかけていただけるようになりました。

しかも、私が出向くだけでなく、寺と店を訪れてくださる団体も増え、予想外の展開を見せています。

自分に自信が持てず、迷ってばかりの自分が嫌いでした。

でも、だからこそ伝えられることがあるかもしれない。

私と同じように、またはそれ以上に、

生き辛さや苦しみを抱えながら、この時代を生きている人たちの心に、ダイレクトにちゃんと伝わるみ教えを、

歌を通して伝え続けたい。

今はそう願っています。
 
           平成28年6月1日発行「季刊せいてん第115号」より


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?