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夢しか載せてなかったあの本#noteでジャンプ

どんな雑誌よりも大きく、でも表紙がペラペラに曲がりやすい感じ。中の紙はざらっとして、木が紙になった匂いがして。でもその1ページ1ページには夢が載っている。だからあんなに分厚いんだ。

手に取らなくなった今でも覚えている。

14歳で中国の上海に渡ったあの頃、週刊少年ジャンプの中に必死に日本を探し、日本語を貪るように読んでいたことを。

クラスの中では、貴重な日本の漫画はみんなの娯楽の中心だった。日本人学校に通い、周りはみんな日本の友達だったが、学校を一歩出てしまえば全部中国語の世界。街の人も、飛び込んでくる文字も、なんなら擬音も擬態も全てが中国語に聞こえてくるかのような世界。

「10代の頃、上海に住んでいました」というと必ず羨ましがられる。確かに貴重な経験だったと思うし、私を連れて行った親にも感謝している。だけども、未成年だったが故にそこに選択肢はない。どんなに海外が怖くとも、日本の友達や慣れ親しんだ環境から離れたくはなくとも、そこに留まるなんて許されなかった。周りからは良い経験になるわねーという羨望にも似た目線を向けられながら、いつ帰ってこられるかもわからない外国という鉄格子の中にガッチャンと固く入れられる感覚だ。

だからこそ、日本の漫画、ドラマ、音楽、あらゆるものを日本にいる時以上に渇望した。その時の上海では、アニメやドラマのDVDやCDは海賊版のものがたくさん出回っていたので割と困ることはなかった。だが、書物に関しては入手できる場所がほとんどなかったし、できても倍以上の値段がするために容易には買えない。そのため、漫画や書物が読みたい場合は、親の会社を通して入手してもらえる数少ない友達のお世話になるしかなかった。

だからこそ、ジャンプをクラス中に回してくれる数少ない子はヒーローみたいだった。みんなで先生の目を盗んで読み漁るからいつも表紙が曲がったり、切れてしまっている時もある。

特にその頃のジャンプは名作が目白押しだったのだ。ゴムのように手が伸びるあの子を筆頭に、筆で書いたようなシックな絵と多彩なキャラで死神の世界を描く物語りがあり、誰もが大好きな明るい忍者の彼はいつも私たちに忍法の術をかけてくれた。更にページをめくれば、名前を書いた人間が必ず死ぬノートが現れ、それをめぐって世紀の心理戦が繰り広げられているし、かと思えば、銀髪のお侍が最高に下品になった江戸の世界で最高に面白いことばかりをやっている。末尾には眉毛の繋がったお巡りさんがホンワカした日常で大切なことを説いてくれた。

信じられないぐらい、夢しかない世界がそこにあった。あんなにドキドキしてページをめくり、冒険がしたくてたまらなくなり、続きが気になりすぎて眠れなくなった本はないかもしれない。

海外生活のフラストレーションでおかしくなっている子は何人もいたように思うし、エネルギー有り余る若い人が集まる場所だからこその問題も多かったが、みんなでジャンプを開いていたあの時を思い出すと、みんなただの子供で目がいっぱいキラキラしていた。あんな一瞬が脳裏に残っているのは嬉しいことだ。

ありがとうジャンプ。あの時、夢に満ちた日本の一部を見せてくれて。確実にあのクラス内のみんながその世界に救われていたと思う。



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