まろやかな雨が降る日に愛欲の話を
遠くの方での台風の訪れとともに、まろやかな雨が降った。
こんな雨に似合う曲をと、ふと雨ソングを漁っていると、人を好きになるだけ美しい、なんて優しいことなんだと、耳にそんな意味の言葉が入ってくる。
曲は背景に雨音がなっていてもおかしくないぐらい侘しいのに、太陽さんさんの下で歌うぐらいの歌詞で、ああ、こういうことだよなって、心の中で1つ頷いた。
傘の中に隠れてるから言える。
人を好きになるって優しい事じゃない。美しいことじゃない。
物語の中でよくありがちな、「見てるだけで心が柔らかくなる」だとか、「見てるだけで満足」とか、現実のものとかけ離れすぎている。
『好きになる』は、『欲』と手を繋いでいる。
好きだとか、愛してるとか言う前に、そこには”欲しい”が在る。その先には奪いたいがあるし、その向こうには占めたいがある。
ふんわりした幸せとか、見るだけでのときめきとか、そういうものの中に”欲しい”があるんじゃなくて、
”欲しい”の中に、ときめきや幸せが、ときどきキラッとまばゆく。その光が強いから、”欲しい”のどうしようもない暗さを忘れるだけだ。
でも、人を好きになるって、うんと温かいことだと思う。
好きだからこそ、そんな欲しいが勝ち過ぎて、好きな人にこそ見苦しいところを見せることがある。どんなに相手の幸せを願っていたって、嫉妬から生まれるケンカも、不安からくる心ない言葉も、切なさからくる涙も、『好きだから』の世界にはあるのだ。
本来は他では出せない部分でも、そんな醜いところでも、本当に好きだと人は受け止め、許せたりしてしまう。
ものすっごく幸せな二人の時間も、一番心の醜さが出る瞬間も
相手の心の機微を近くで感じあって、それでも一緒に居続けられること。
それが好きってことであり、好き合うということなのかもしれない。
美しいわけでもない。優しさだけでもない。でも、温かなこと。
なにかがパラっと光った気がして横目をやると、
まろやかな雨の玉が繋がって大きくなり、透明な傘のおもてを撫でていった。
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