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幸せは求めるものではなく感じるもの

だいすけです。


子どもを連れ去れてから
当たり前を失う。

それは理不尽と向き合う日々。
人生でもっとも苦しんだと言っても過言ではない。


それでも、子どもの幸せを願うのであれば、
親が幸せでなければなければならないのだ。



思い返すと、失うばかりではなく得るものあった。


子どもとの向日葵を育てる共有から発展して、
今では家庭菜園が新たな趣味となった。



仕事に行く前にベランダに出て
8リットルの水やりをする。

プランターの数は20を超えるので、
毎朝の何かしらの変化に気づける。


発芽した。
花が咲いた。
実が着いた。


その変化に「ありがとう」と呟く。


小さな幸せを感じる朝から1日が始まる。


節約の為に外食はほぼしない。
毎日のご飯やお弁当を作ることで、
料理の腕が上がる。

そして、子どもと一緒に料理をする。



気づくと、僕はご飯だけでなく
パン、スイーツも毎週作るようになった。


「美味しい」は、
簡単に幸せを感じることができる。

僕は子ども達に食を通じた喜びを伝える。

そして、
長男も毎週末に料理をひとりでするようになる。
時に家庭菜園の野菜を使って。

最初だけかと思ったら、
長男の週末料理は1年経とうとしている。




子どもの料理を食べれるなんて
僕はどれだけ幸せものだろうか。


当たり前を失ってから得たものは
僕が思う以上に大きなものを得た。


いずれも、自死とすら向き合う日々を
必死に前を向いて進むために始めたこと。



植物を育てる。
料理をする。
子どもとの時間を過ごす。
毎週手紙のやりとりをする。


いずれもささやかな事。

当たり前を失っただけに、
このささやかさに幸せを感じる。


そう、
僕はこの年になってやっと気づけた。




幸せとは何か?



若かった時の僕は幸せのために走ってきた。
でも、幸せを求め獲得すると、
次々に新たな幸せを求めてしまう。


幸せは求めるものではなく、
自ら感じ取るものだと。


日々の生活の中に
小さな幸せはいっぱい溢れているのだから。

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最後まで読んで頂きありがとうございました。


子どもは大人より
適応能力が高いと言われます。

それは子どもは
自分が無力である事を本能で知っているから。
離婚による環境変化を
子どもは受け入れざるを得ないのです。



「パパもママも仲良く一緒に楽しく!」



と思っている子どもの思いを
大人都合により
子どもの思いを裏切ってしまっているのです。


離婚を考える時、
最優先子どもの視点に立ってどうするか?
日本も明治時代の法制度の運用から、
世界スタンダードの
共同親権での法改正へと向かっています。


離婚を考えている人は、
その事実を子どもがいずれ知った時に


「親のわがままだったな」と思われないよう
「頑張ってくれてたんだな」となる様、


大人都合より子ども最優先で考えるべきと思います。


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共同養育は離れて暮らす「子育て」 子育てなので正解はありません。多種多様です。僕の共同養育もあくまでもひとつのケースですが、共同養育を実践する上で大切な事や考え方、子どもとの接し方等について、ご相談お受けいたします。