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満ち足りない満月と二度目の再会

月は、太陽が水平線のさらに奥に進行したとき、ほぼ同時に姿を現す。

月と太陽が交わることはないのに二人三脚で光源として頼られている。

2020年10月31日はブルームーン。
月に2度の満月を観測したときの二度目の満月のことを指している。
加えて今回の満月は今年で最小の満月。
ハロウィンの日に最小の満月。ブルームーン。
10月31日の満月は実に46年ぶりなんだとか。

月以外の光がない山奥で、物珍しい表情で月を眺める。三脚の上に乗せたカメラのファインダーをのぞいて、罫線が入ったレンズ越しに月を目掛けてシャッターを押す。

前面にあるはずの障害物は全て月を引き立てる背景のように見えてくる。

焦点の合わない目の前の草木は呻き声を上げている。
そうやって主役に食われ、構われることもないことがどれだけ屈辱なのかは何度も経験してきた。

所詮私は引き立て役でしかないんだ。
月はバックから照らしてくれているのに、影となって消え、編集されていく運命なのだと。

突如強い風が吹いた。
秋の香りとともに花が飛ばされていく様を引き止めることもできずに見過ごすことしかできない。雑草魂が光に照らされようと、光源に誰もが一目散に走って行ってしまう。残酷な振る舞いを繰り返すほかなかった。
変わらず月を被写体として収める。

光量を増やし、レンズの絞りを回す。撮影箇所も変えていく。ズームアップする。

光というベクトルに関しては、私の手元と(カメラとスマホ)、月だけの二点で真っ直ぐぶつかる。

寝不足を言い訳にしない時間との勝負。空気は張り詰めている。

とは言え、夜は想像しているよりも長い。休戦宣言をつげ、何度も仮眠をとる。時間をやり過ごすだけの環境での睡眠は捗らない。慣れない姿勢で首を痛めた。

AM4時。虫も鳴くのを諦めてそっぽを向いた頃、自然にそぐわない電子音で目を覚まし、もう一度自然現象にカメラを向ける。

月没が近づくにつれ、弱々しく見えてきた。

あれだけ存在感を放つ満月さえ、その位置を保つことは一度だって成功していないのだから。

威勢の良さはさっぱりなくなっていた。
眠っている間に何かあったのだろうか。まだその場に居座っていれば面白そうなのに。

今年最小の満月なのも、終わり際になんとなく伝わってきた。

「本当はこんなもんじゃない。こんなものだと侮られたら困るよ。」

言い訳だけは一丁前なのに、ことごとく水平線に近づいている。

次の日の太陽が、シフトカードを機械に入れて時間を打刻しているうちに、月の色は空の青さに似てくる。

出番を終えたことを察して、そそくさとその場を後にする。日の出に気を奪われていた束の間に月はもうそこにいなかった。

「もう少しうちにいなよ、別れが寂しいから。」
と声をかけても、遅かれ早かれ別れのタイミングはやってくる。

本当の願いを言葉に乗せながら、かなわないもどかしさや抗えない様子を月の満ち欠けに例え、婉曲させた歌を詠む時代があったのだ。

儚さと自然への抵抗の無力さは「月」が用いられた。

いつの時代であろうと、月という存在は、唯一の価値を恒常的に保有していたのだ。

自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。