すきーま。
スキーマ schema
外界の情報に対してそれを一般化して認識するための知識の集まり。過去の経験に基づいて作られた心理的な枠組みや認知的な構えの総称。
自分のことが分からなすぎるから、人として何かが欠落している気がするから、心理学が勉強したくなった。まずは初歩的な、単語レベルの部分から広く浅く知りたかった。
「スキーマ」という言葉でハッとさせられていた。
例えば、行ったことがないレストランに入っても、着席して、メニューを決めて、注文する、、、と言った一連の流れは当然のようにこなせてしまう。今頃何の疑問も抱かないだろう。
つまり、勉強した気ではなくても、当然のようにできてしまうことらしい。経験を繰り返して学習してしまった、ということだ。
ゾッとしてしまった。
自分の知的好奇心の旺盛さとそれなりの読書量、知識欲とは少し矛盾が生じるが、知りすぎることへの恐怖心を持っている。
言われずとも、全ての事象を理解し、自己理解を済ませるなんて、人生を賭けたとしても到底成し遂げられない。どうせ分からないことだらけで終わる。
そうはわかっていても、多くのことを知りすぎたらどうなってしまうのかと、勉強のゾーンに入ってる最中に突然思い浮かんでしまったりするのだ。
何がそんなに不安にさせているのか。
それは知識面ではなく、興味や探究心が失われていくことへの不安を抱いているのかもしれないというのが、今の段階での答えである。
自分一人の創造性なんてたかが知れているが、やはり波があって、次から次へと挑戦したい、知りたいことが出てくる場合もあれば、一つ終えたら次につながらずに、棒立ちになる瞬間もある。
私はきっと、この何もしていない自分が怖くて仕方がないんだ。
時間を持て余した自分が現実に存在してしまったら、健やかな心を蝕む暗闇に襲われて、創造どころではなくて抜け殻のような毎日に移り変わってしまう。
勉強したい!って意気込んで始めたことが、ひと段落したらどうしよう、もっと深く勉強したくなれたらいいけど、嫌な分野だったら次はどうしよう。
つい終わった後のことを考えては、落ち着きをなくしてしまう。
いつもそばにいてくれるのは、家族でも友達でもなく、なんとなくの不安だ。
ずっとあったコンプレックスの不安とか、若干克服したかなと思ったら、また種類の違う友達を連れてきてくれる。
でも、それはあまり調子に乗らないように、とマイナスを一身に背負った私が不安の役を演じてくれている気がした。
無敵感で全力疾走したら、取り返しのないところまで踏み入ってしまうかもしれない。
そうはならないようにと、給水を渡すかのように、不安を渡してきて、バテないように速度を調整してくれている。
選手として走る私と、それをサポートする私がいる。
マラソンに見えるけれど、二人三脚でここまでやってきた。
また一緒に暗い道を走ろうね、一緒に怖いって言って、走る方向変えてもいいから、一緒に足を揃えてゴールテープを切ろうね。
ランナーの私は、次なる目標を指差して、また一歩進み始めた。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。