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はしる

A5の無地のノートを開いて、筆記用具入れを雑に横に倒してペンを二、三本溢れさせて雪崩を引き起こす。お気に入りの数本に加え、同じペンでも違う太さのもの、色違いのもの、予備用まで。
あえて文字を手で書く機会はグッと減ってしまった令和の時代に筆記用具入れをパンパンにして持ち歩いている。シャーペンと黒のボールペンと替芯と色ペンと折り畳みのハサミ。
「いつでも文字をかける準備はできてるぜ!」とお調子者の私はバッグの奥底に根気強く眠らされている。

前兆もなく文字を書きたい衝動がやってくる。傾向を感じ取る間もなく、衝動は瞬間で訪れて数分で消えていく。呑気にカップラーメンを温めているあの時間のうちに、現れては消えている。その衝動を叶えてやるために、バッグの中でペンがぶつかってカタカタと音が鳴るのを我慢する。空きのある箱の中で無闇に動き回って騒音を立てるくらいなら、詰め込んで移動の自由を奪う。電車でこれだけの乗車率だったら次の各駅停車を検討したくなるぐらいに詰め込んだ筆記用具入れは、スリムさを昔のことのように懐かしんでいる。
用意周到でもあるし、無駄がない生活には程遠いでもある。心配性は開き直ってバッグは大きめだ。ファッションスナップをボーッと眺めて、小さいバッグが流行でおしゃれだと知らされても、コラムで大きめなバッグはマイナスイメージだと題で釣られそうになったとしても必要以上の持ち合わせを止めない。確固たる意思で若者でごった返す竹下通りを歩いてやってもいい。歩くこと自体に優越感に浸って青春を謳歌する若者を横目に、ミッションを達成するためだけに足早にそこを直行してもいい。

衝動は書きたくなる題材を持ち歩いてやってくることが多い。書きたくなるなにかがあるからペンを持つ。
思考の坩堝の深いところまで到達する前に記録する。深部に近づくまでの過程も同じように衝動的でアイデア的。3歩進めば忘れてしまう。

盛大に振りかぶって、罫線の間にペン先を落とす。たった0.2の差を楽しむようにコントラストをつける。礼節を弁えているアピールをしているかと違いたくなるような上品さを醸す0.3は、物騒で攻撃的で瞬間を見張る精神とは相対して柔らかい物腰で清らかに跡を残す。が、書いているうちに昂って、無意識のうちに手に力が入る。良さを打ち消し合うぐらいなら解散したほうがいい。方向性の違いは薄々勘づいてきたら表に出しておくべきだ。0.3を横に戻し、0.5を取る。心置きなく筆圧が濃ゆくなる。礼節など知らない無骨で自己主張的な勢いが並ぶ。追い風を吹かせる頭の中との親和性は高いように見える。長年0.5を愛用してきたのも腑に落ちる。

追い風に背中を任せて前のめりになる。筋トレに励んで限界まで追い込むジムの魑魅魍魎の中に突然混ぜられても遜色ないほどに、自分と向き合いながら形跡を広げる。プロテインを欲することはない代わりに糖分を欲する。

走り書きの文字を俯瞰で眺める。力んだ箇所はスカッと風通しが良くなったあのタイミングと合致する。茫漠とした見通しの悪い澱みを超え、束の間のオアシスが見えてきた。終点も中間地点かもわからない休憩可能な一点でペンを置く。

転がった文房具の数々が目的地を指し示すまで、駅のベンチから動かずに次の電車を検討している。


自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。