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【創作論】小説を書く上で、一番大切な力は何?

 どうも、筑前助広です。
 私のデビュー作「谷中の用心棒萩尾大楽~阿芙蓉抜け荷始末~」の発売も迫ってまいりました。

 藤沢や池波が作り上げた時代小説の保守本流に、ドン・ウィンズロウやジェイムズ・エルロイのハードでアーバンな闇の世界を掛け合わせた、言わば僕のモットーである「時代小説にこだわり、時代小説にとらわれず」を具現化したような暗黒小説になっていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、今回は僕が職場で物書きである事をカミングアウトした時の話。
 その席で僕は、「小説を書く上で、一番大切な力は何?」と、質問されたんですよね。その時の答えについて、少し書きたいと思います。

 小説を書く上で、一番大切な力。
 文章力や忍耐力。色々ございますが、僕はズバリーー

「人生を想像する力」

 と、答えました。

 人生を想像する力とは何ぞ?
 例えば、町中で画像のような空き家を見た事はありませんか? 売りに出されている空き家ではなく、廃屋の空き家。

 こうした廃屋を見て、皆様は何を思いますか? 汚い? 怖い?
 僕は違います。そして、それこそ僕の作家としての原動力になったと確信しています。僕はこういう廃屋を目にする度に、

〔かつてこの家にあった慎ましい家庭、そしてそれが一人欠け二人欠けと廃屋になった経緯〕

 を、想像してしまうのです。

 一階平屋建ての家。この家には、夫婦と二人の子供が住んでいた。夫は郵便局職員。妻は園芸が好きだった。子供が成人して都会に就職すると、夫婦は再び二人暮らしになる。会話は少ないが、ゆっくりとした穏やかな日々。しかし妻に癌が見つかり、治療の甲斐なく病死。
 独りになった夫は「面倒見るから、都会においで」という子供の誘いを断って、かつて〔笑いと幸福に満ちていた〕この家で、思い出にしがみつくかのように暮らすようになった。
 しかし、日々身体の自由は利かなくなる。食事はコンビニの弁当中心になり、妻が精魂込めて整えていた花壇は荒れ放題。家の中も、埃とゴミで散乱する有様。
 そんなある日、連絡がない事に不安を覚えた子供の通報で、町の民生委員が訪ねると、夫は半白骨の状態で死んでいた。

 ま、半白骨はネタとして、こうして廃屋になった経緯を、想像するんです。エモーショナルに。リリシズム溢れる感じに。
 僕の作品の多くは、遠い昔日への憧憬、もう二度と戻れないあの日への悔恨がテーマなものが多いのも、こうした影響かもしれません。

 他にも、マンションに灯る無数の光りを眺めながら、そこにある家庭を想像したり、夕暮れ間際、遠くの山の稜線に目をやって、そこで見える景色、そこで暮す人の生活を想像したり。

 僕は普段から人生を想像し、物語の発想力を鍛えています。

 と、言ったら
「変わった人だなぁ(笑)」
 などと笑われましたけどね。

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