イルカ

生まれつきの難聴者です。強迫症の治療中。現在、再就職を果たし、自分のできる範囲で仕事し…

イルカ

生まれつきの難聴者です。強迫症の治療中。現在、再就職を果たし、自分のできる範囲で仕事して、穏やかに過ごしています。社会福祉士の資格を持っています。

最近の記事

聴覚障害と精神疾患について

発症私が強迫症に完全になったのは、2012年12月の社会人3年目のクリスマスのことである。意外と早いような気がする・・ 前兆が何度かあり、ストッキングのウエストがきついと感じたり、仕事で服を選ぶのに時間がかかるようになったり。 クリスマスにちなみ、職場の忘年会があり、その前にお手洗いに行った時についにふとしたことが思い浮かんだ。 その日は生理だったのだが、2日目などで重い日だったので下着を履き終わったあとに不吉な考えが思いうかんだのだ。 「生理の血が下着を通過したかもしれない

    • 孤独を感じる年末年始

      年末年始は楽しい人もいれば楽しくない人もいる。 私は年末年始に、好きなことをして楽しく過ごせたことが少ない。 今年は最悪だった。帰る実家が無いようなものなので、夫の実家で集まったのだが、親戚で来客があったので、コミュニケーションに慣れない相手が入ったのだ。さらには子どもたち。 子どもたちも親戚で理解があまり無い人の子どもだと、辛い。 理解はしようとしてくれる。でも、いつも接していると言葉の端はしに、「やはり他人事なんだな。」と思うことがある。 例えば私は多人数のやり取りが苦手

      • 難聴者で手話も使う私が、ありのままを理解してもらうのは難しいのかな?という話

        私は自分のアイデンティティが難聴者と思っており、人工内耳と補聴器を装用しているが手話も大事にしている。手話の奥深さ(文法、CLなど・・)に惹かれている。 ただ、周囲はそのような私をありのままに認めてくれない人もいる。 私は説明が苦手なので、パワーポイントで手話通訳者向けや聴者向けに作ったことがある。 ・私からの発信は声だと発音に気を取られるので、筆談でやり取りします。 ・口話(口の形を読み取る)だと推測しながら聞くので、理解が難しいため筆談でお願いします。 ・手話は発信は苦

        • 箱根駅伝を好きになった話

          私は、小学高学年頃から結婚してからも年末年始は憂鬱でした。小さいころは遊び中心のためまだ楽しかったのだと思います。 難聴者やろう者は同じコミュニケーション手段を持たない家族や親せきがほとんどかもしれません。理由は聞こえる親のもとに生まれる割合が多いからで、親の親戚は聞こえる人になってくるからです。 箱根駅伝はお正月の風物詩になっています。結婚前は会話に参加できず、会話に参加できたとしてもぎこちない場でした。駅伝を観てみんなで盛り上がることもありましたが、集まりでは共通の場を

        聴覚障害と精神疾患について

          難聴の私が強迫症の治療を受けて思うこと

          私は、社会人3年目で強迫症を発症しました。 思い返せば発症までにも、一度失敗したら同じ失敗を恐れてしまうことは時々あったと思います。幸いなことに当時は自然と消えてなくなっていたのですが、白黒つけないと気が済まずグレーの曖昧な状態が許せなくなっていたのかもしれません。 保育園時代に、身体測定で並びトイレに行きたかったのですが、途中でトイレに行ってはいけないと思い我慢していました。恥ずかしいとかではなく、行ってはいけないと思っていました。列を乱してはいけないと思いました。子ども

          難聴の私が強迫症の治療を受けて思うこと

          人の輪の中で生きる

          私は幼少期に「良い思い出がない」と思っていたが、過去を振り返る中で唯一、学校で大きな不安が無かった時期がある。小学1~2年の途中までである。 東京のある小学校に入学した。100年続く古い小学校だった。当時の担任の先生は、特別に聴覚障害者への知識がある訳ではなかった。ただ、私を含めてクラスの全ての子を「排除しない。」という考え方の先生だった。 私については、「イルカちゃん詩集」という表紙で、私が書いた絵や詩をプリントしてクラスで配ってくれた。実は詩は、気に入っていた本を書き

          人の輪の中で生きる

          珈琲を入れる手が震えて

          私は大好きな人と話すことは好きだし、ワイワイやるのは嫌いではない。 だけど、それも時々緊張する場に変わる時がある。 先日は就労移行支援事業所で、体調が万全な状態でなく、近日に前職場での人間関係を思い出すような出来事があり、それは再就職前に分かったのは良いことなのだけど、自分の心の置きどころか分からなくて落ち着こうと思い、珈琲を入れようとしたら震えが止まらないのである。 止まってくれ、という気持ちがあっても思い通りにいかない辛さ。 なんとか珈琲粉を紙コップに入れて、ケト

          珈琲を入れる手が震えて

          再就職に向けての活動について

          私は昨年12月から就労移行支援事業所に通所しはじめた。思うことは、聴覚障害って意外にも理解されにくいのかなと。 ただ、これは私の場合の困りごとなので、一つの例として捉えてもらえたらと思います。 私が就労移行支援事業所に通所したいと思った理由は?まず就労移行支援事業所に通所したいと思った理由を振り返ってみる。 私は、前職場でちょうど10年間勤務したけども、次第に職場で緊張するようになってしまった。強迫神経症という症状が出てからも、石の上にも三年ということばを信じて、勤務し続け

          再就職に向けての活動について

          複数人でのワイワイに馴染めない理由~難聴の私から見た世界

          コミュニケーション方法に筆談も手話がない状態。さらに、一部マスクしている人がいた。手話ができる人は2人いるが、酔っ払っているのと子どもと遊んでいたので意味なし! 先日、夫の実家に行った時にこのような展開になり、家に帰ったあと我慢ならなくなりやるせない思いを夫にぶつけたところ、 夫「そんな実家もよくしてくれているのにさ・・」というコメントにさらに、ドッカーンとなった。 だが、はじめて他人に怒りをぶちまけられたと思う。夫でないと「仕方ないよね~あはは。」ですますところだ

          複数人でのワイワイに馴染めない理由~難聴の私から見た世界

          子ども時代の自分の辛抱強さに学ぶ〜雪が降ると思い出すあのころ〜

          雪が降ると、シンシンとした風景が見られるので寒いけど綺麗で好きだ。 私は昨年12月に大雪のニュースを見て、ふと思い出した。 小学生の時、朝礼で校長先生の話があった日の授業で、「校長先生の話を聞いて思ったことを書いて、校長先生にお手紙として渡そう。(たぶんそんな感じ)」ということになった。 白い紙が配られて、皆が一斉に書く中、私は突然焦った。 難聴の私は、遠くの校庭の台で、マイク越しに、喋っている先生の声が聞こえなかったのだ。 仮に運良く聞こえたとしても「おはようございま

          子ども時代の自分の辛抱強さに学ぶ〜雪が降ると思い出すあのころ〜

          樋口直美さん「私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活」を読んで~静かに希望への道のりを歩む~

          この本にたどり着くまで仕事していた時に縁があり、心の病院に通うことになった。仕事を辞めてストレスフリーになった今、抗うつ薬が嫌になり服薬を本日、お医者さんに連絡して中断することになった。私の場合、軽い不安障害なことと副作用なのかまだ分からないけど、しばしば腹痛があるので中断してみた。 薬の効果より、美味しいものや大好きなお酒がずっときちんと食べ飲みできない辛さが勝ってしまっている。横須賀ネイビーバーガーやポテトのようにジャンクなものをがっつり食べたい。 薬だけに頼らないで、

          樋口直美さん「私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活」を読んで~静かに希望への道のりを歩む~

          母の闘病中に何もしていない私とそれからのこと

          私が中1の時に、母が約3年半のスキルス胃がんとの闘病生活を経て亡くなった。振り返り、大事なことについて考えてみる。 自分自身のことで精いっぱいで母が死ぬまで、母と向き合うことができなかったこと私が小学校4年生になるころに母のスキルス胃がんが見つかった。スキルス胃がんというのは、胃の壁を硬く厚くさせながら広がっていくもので未分化胃がんというものだ。 分化した胃がんは塊で発見しやすいそうなのだが、未分化は細胞が未熟な状態であるため、じわじわと広がっていくので発見しにくいという恐

          母の闘病中に何もしていない私とそれからのこと