聴覚障害と精神疾患について
発症
私が強迫症に完全になったのは、2012年12月の社会人3年目のクリスマスのことである。意外と早いような気がする・・
前兆が何度かあり、ストッキングのウエストがきついと感じたり、仕事で服を選ぶのに時間がかかるようになったり。
クリスマスにちなみ、職場の忘年会があり、その前にお手洗いに行った時についにふとしたことが思い浮かんだ。
その日は生理だったのだが、2日目などで重い日だったので下着を履き終わったあとに不吉な考えが思いうかんだのだ。
「生理の血が下着を通過したかもしれない。」と。その翌日から、ズボンが汚れているような気がしてたまらなくなった。
私が頑張らないといけない
新卒として入った市役所で、業務上のコミュニケーションがうまく取れなかった。障害者採用として入ったが、配慮について入社面接でぼかしたのが原因か。
配属になった部署で、仕事の基本のキがないため注意されたのは、私も未熟だと思う。たとえば、1日に「この業務をやるように。」と教わったが時間がかかることと正確にこなしたいため、「この業務のここまでやったら、明日に回そう。」と勝手に判断してしまった。
そのため、ある時に先輩から「1日で終わらせるように。できないはずはない。」と言われてしまった。
今、振り返ると私は業務の塩梅が分からなかったので全力でやろうとしてしまったのだ。業務に慣れるためには報連相もかかせないと思う。
「このお仕事をここまでやったのですが、○○に時間がかかり今日中に終わりそうにありませんが・・」と相談を早めにすれば良かったのだ。
なぜ、私がそのような仕事の姿勢を身に着けることができなかったのか?小さいころから報連相の習慣がなかったことと、お仕事の経験が市役所がはじめてだったからだ。そしてさらに、聴覚障害で情報が入らず、コミュニケーションも口話のみだった。
アルバイト経験はあるが、言われたことを黙々こなす作業しかしたことがなかった。
「なぜできないの?」と先輩職員に言われて、とても落ち込んだのと悔しかったので私は間違った方向に頑張ることになってしまった。
仕事ができないのは「私の努力が足りないから。頑張ればできるようになるはず。」と。それで、「業務に集中できるようにならないと。」と自分を追い詰めた結果、色々の仕事に関わる身なりのことが気になるようになってしまった。
振り返ると
随分時間が経ってからの投稿になるが、振り返ると当時は障害者への合理的配慮についても定められていなかった時代だった。
ただ私自身も聞こえないことがこんなに職場で不便だと思わなかった。職場ではいかにコミュニケーションが大事だったのだ。
また私は発言が口頭だとうまくできない。代替手段で「書いていいよ。」と言ってくれることも自分から申し出ることもできなかった。
そして、報連相については上司も上司でそのような環境を作ってくれなかった。雑談も分からないししにくい。
不便だし、仕事に支障が出るけど、そういうものだと思っていた。「どうしたら良いか、説明したい。」という気持ちも出なかった。自分の能力を最大限に活かすための努力ができなかった。
それでも私は必死だった。当時は地獄だった。次第に私は朝ギリギリに出社して、職場には味方がいないような状況だった。辞めることは頭に無かったのはすごいと思う。私は自分の思いを話したりすることもなく、外ではおとなしく過ごしていた。保育園、小学校、中学校、高校生、集団の場で私が楽しく過ごした思い出が少ない。
大学は自由である程度、お話できる人が周囲にいた。社会人になったらその場は無くなってしまっただけなのだ。今まで私は辞める、逃げることはしてこなかった。「これが駄目ならあれがあるさ。」と方向転換することができなかった。両親から言われたことは「もっと、頑張りなさい。」で「どこができないのかな?」という言葉は無かった。私はそういう意味で両親が嫌いだ。だから根本的に信用していない。親と会うと、言葉は交わすけど相談はできないと思う。信用していないというより、嫌いというより、親として頼りにできない。親というより目の前にいる大人という気持ちだ。
振り返ると私は市役所時代をほとんど、重い気分で過ごしていたかもしれない。
辞めて良かった。今も新しい職場で嫌なこともあるし、理解は十分とは言えないけど、自分の希望は持てている。「頑張らないといけない。」と思うことはもちろんあるけど、「私一人で抱え込む必要はない。」「理解してもらえなくても、私の努力不足ではない。」「仕事が全てではない。」と思えるようになった。
現在の強迫症状について
とりあえず、今後少しずつ頭の中を文に書き留められたらと思う。
現在も強迫症は続いている。ただ2022年10月から専門医にかかるようになった。そのおかげで、今まで2回通院した病院ではコミュニケーションが苦痛だった精神科通院から治療がしっかりできる病院への通院に変わった。
コミュニケーションに十分に配慮してくれる病院がなんと少ないことか、強迫症と聴覚障害と過去の生い立ちをごちゃごちゃにされて辛かった。
私は強迫症の症状を治したかった。他のことは特に求めていなかったにも関わらずそこにアプローチしてくる主治医やカウンセラーが嫌だった。
そして、コミュニケーションに配慮してくれる病院も少ない。元々そこは割り切っていたが、精神科ではそのコミュニケーションが安心して取れないと、苦痛なのだ。そもそも手話通訳を自分で依頼するのも大変な状態なのだ。これ以上、頑張れない。
今は3週間~1か月に1度のペースで通院している。その間に、課題をこなし毎日記録する。
たとえば
・トイレに言ってベルトを自然に締める
・立ってベルトを締める。
・トイレに1度行ってまた行かない。
などである。毎日、◎~×で振り返る。そして一番できたことを1行程度記録する。
私が文章を書く上で困るのは、何かを始める時に意識してしまい自分の状態が100%でないと作業を始められないことである。
例えば、先ほどは今生理中なので、ナプキンに血がついているから席に戻ったらナプキンの血が気になってしまう。過大化してしまい、なんか血が下着についてそう、という「なんか。」が頭にとらわれてしまうともう1度トイレに行ってしまうのだ。
ベルトを何度も気にしてしまったので、もう1度トイレに行かないとスッキリしない、とか。「この文章を書く時は100%でなくてもいい。」となんとか自分で意識してはじめた。いつか意識しないで自然にできるように戻りたい。
とりあえず長くなってしまったのでここで終わりにします。
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