今日は自分で決める

自分の人生は自分で決めた方が嬉しいとわたしは思う。小さな選択を積み重ねて、きっと今日もここに生きている。

朝ごはんに何を食べるか、電車で行くかバスに乗るか、コーヒーはホットかそれともカフェラテにするか、トレーニングのBGMは洋楽か最近お気に入りの韓国のhiphopにするか。髪は伸ばすか。メイクはどんな風にして、靴はどれを履いて。仕事が片付いたら友達とお茶をしようか、それともNetflixでハマっているドラマの続きを見ようか。毎日毎日そんなに意識はせずともわたしは色んなシーンで自然と直感的に様々な選択をしているのだ。繰り返し同じ選択をする時もあれば、はたまたある日突然全く違う新鮮な選択をする時もある。その選択によって人生は思わぬ方向へと進んでいくのではないかと最近ふと思ったのだ。

近所に暮らす仲の良い友人と久しぶりに先日会った。マスクをしながらではあったが、がらんと空いた夜の街を一時間だけ二人で散歩をしながらこんな話をした。

「音楽をやっていなかったら絶対東京には住んでいなかったし、ここにも居なかったし、出会ってなかっただろうね。」

友人のその言葉がストンとわたしの心に着地した。まさにその通りだなと思った。少しだけ今というものに感動した。もしかしてものすごい確率をくぐり抜けた今なのではないか。そうしてそれから二人で選ばなかった人生の方の話をした。選ばなかった夢、選ばなかった恋人、選ばなかった学校、選ばなかった会社。選ばなかった方の道を選んでいたらこんな感じの今だったかなー、なんて話して笑った。今の生活や暮らしをするわたしではない自分をなんとなくぼんやり想像しながら歩いた。輪郭ははっきりしなかったけれど心で小さく「今がいいな」と思った。

小さな選択の積み重ねが今のわたしを作ったのだと感じることなど今までなかったけれど、友達とそんな話をした夜は改めてそうなのだということを感じた。今知り合ってる仲良しの友達も一緒に音楽をしているチームのメンバーもわたしの活動を支えてくれている人たちも応援してくれる人たちも。これまでの日々での小さな選択のたった一つが違えばきっと会えなかったのだと思うとハッとする。同時に今の周りにいる人たちのことをとてもありがたく、愛おしく思う。そしてこの道にたどり着く選択を続けてきた自分に大きな花丸をつけてあげたい。めっちゃナイスな選択してきたね、わたし。今確実にそう思えることが嬉しい。

人間関係だけじゃない。生まれてきた音楽たちも、様々な選択を掻い潜ってきた謂わば選抜メンバーだ。わたしの曲にはノンフィクションのドラマがある。しゃかいもinvasorも新曲のGO TO地獄も実際にこの目で見てこの心で感じたものが音楽という表現を通して世に放たれる。つまりとんでもない怒りや憤り、悲しみなどの負のパワーを与えてくれた存在に出会えたこともものすごいラッキーでハッピーな奇跡なのだ。全部の曲がそのような地獄のパワーで書いた楽曲ではないにせよ、その時のわたしの音楽という表現に対して向かうエネルギーは恐ろしい。自分でも人ごとのように思ってしまうくらい想像を絶するエネルギーなのだ。笑える。何かを作って表現をする道を選んだ事もこれまた大正解だったのではないか。すごく生きている感じがするのだ。

こんな風にたくさんの選択をしての今日に辿り着いたわたしは、今思うことがある。自分の選択は間違っても正解でもどちらでも良いのだ。それは結果論で先ほど気がついたように、ナイスな選択だったのかそれともナンセンスだったのかは今よりずっと先の未来を生きるわたしにしか分からない。正解なんてものは遠くまで歩いてきて振り返ったときに初めて分かるものなのではないかと思う。つまり今のわたしには何かを選んだり挑戦するときにこれが正解か間違いかなんてことは考えなくても良いということだ。今まで通りに直感で、たまには頭を悩ませて、遠い未来の答え合わせをぼんやりと楽しみに今日を選んでいきたいと思っている。

そしてその選択を誰かに話して共有することも、誰にも話さず人知れずトライすることも、そっと音楽に込めることも、全てはわたしが決めるのだ。


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