そういえば10代の頃、私にはとても好きな子がいた。 人と話したり仲良くしたりコミュニケーションが苦手で、だけど天才的に音楽の才能がある子だった。憧れと恋はいつだって似ていて、その憧れがいつから恋になったのかもう覚えてはいないくらいずっと前の話だ。 その子とは本当にいろんな話をした。音楽の話もそれ以外も。私の仲の良い友達には一人もいないタイプで、一匹狼になろうとせずとも特異な才能のせいか、気がつけばよく一人でいるような子だった。私はそんな姿さえ眩しくて、きっと長らく憧れてい
言葉にすると途端に安っぽくなってしまいそうで、何度も筆が止まりそうになったけれど、それでもここに書き留めておく事で何かが届く気がするから書こうと思う。 わたしには育ててくれた人がいる。両親や祖父母の他に本当に長い間愛を与えてもらった人がいる。祖母の弟夫婦にあたるその人たちの関係を名前で呼ぶとなんだろう。叔父と叔母でいいのだろうか。全然分からないけれどあちゃママとおんじーという呼び名で、とても大好きな二人だ。あっちゃんというのは母の従姉妹でそのあっちゃんの母だから「あちゃママ
自分の人生は自分で決めた方が嬉しいとわたしは思う。小さな選択を積み重ねて、きっと今日もここに生きている。 朝ごはんに何を食べるか、電車で行くかバスに乗るか、コーヒーはホットかそれともカフェラテにするか、トレーニングのBGMは洋楽か最近お気に入りの韓国のhiphopにするか。髪は伸ばすか。メイクはどんな風にして、靴はどれを履いて。仕事が片付いたら友達とお茶をしようか、それともNetflixでハマっているドラマの続きを見ようか。毎日毎日そんなに意識はせずともわたしは色んなシーン
東京にずっと憧れがあったわたしは今年で5年目の暮らしになる今も尚、この街にときめいている。 秋田で生まれ育ち、思春期の全てをそこで過ごしたわたしはずっと夢に見ていた。すべてのエンターテイメントの出発点が東京だと思っていたからだ。幼い頃から夢が歌手である自分にとって東京は全てがある街だった。中学生の頃たくさんのオーディション雑誌を眺めながら「どうしてわたしは秋田に住んでいるのだろう」と本気で悲しくなったりした。今でこそ愛する地元だが、あの頃のわたしは田舎の生まれがどうしても嫌
2015年に「悲しみも全部、僕だった。」2016年に「あいしていたよ」そして2017年に「それでも君が好きだった」というアルバムを発売した。この頃はまだマネジメントをしてくれるスタッフさんや会社がついていなかったため、完全なる自主制作で自分の活動やバイトで貯めたお金でアルバムを制作していた。この3枚のアルバムはわたしの中では三部作という認識で作った。その意気込みの通りに翌年の2018年にリリースしたEP「nightcruising」からは誰が聞いても分かるくらいの大きな音楽的
10代の頃から20代の前半くらいまで私は今思い返せばすごく尖っていた。心がいつも怒っていたし何かが沸々と煮えたぎるような。絶対誰にも舐められたくなかったし、今思うとなんか可笑しくて可愛いけど、あの頃言葉では言い表すことの難しい感情にいつも支配されていたように思う。 私は自分のファンの方のことが事がすごく好きだ。とても素敵な人ばかりだし信頼関係というか、なんだか本当に家族みたいな優しい気持ちをくれるから好きだ。愛を言葉にするのが上手い人や行動に表すことが上手い人ばっかりで、い
ピンクの髪の毛が好きだ。遡ると多分もう3年くらいはずっとピンク色にしている。染めたては心が躍るくらいうきうきするし、時間をかけてだんだんと褪色していく経過も楽しい。ビビットなピンクから淡く薄い桃色になるまでの過程で沢山のお洒落が楽しめる。今まで自分にしっくりくる色を沢山探して来た。髪の毛の色に関しては茶髪、金髪、紫、オレンジ、赤、青、水色、グレー、白などなど絵具パレットにあるほとんどの色に一度は染めた。緑色だけは何となく私には似合わないような気がして染めたことはないけれど。
幸せなことも良かったことも努力をして頑張っていることも、そう言うのをあまり言ったり表に出さない方がいいよみたいな空気感が私はずっと苦手だ。頑張っているねと言われたら「いえいえ全然…」と謙遜し、最近順調そうだねと言われたら「そんなことはないですよ。本当はしんどくて…」みたいな返事をピンポイントで求められてる雰囲気を察した瞬間にとても寒気がする。以前の記事にも少し記したが、苦労をしていることや辛い思いを耐えていることが美徳であり美しいみたいな価値観、早く無くならないかなと長らく思
今でも忘れられないくらい気持ち悪いなあと鮮明に思い出せる体験がある。 私はシンガーソングライターという職業をしていることから、様々な表に出る職業の方とお話しをしたり飲んだりする機会がある。最近は体型管理のためにお酒をやめているが昔は散々にお酒を飲んでいた為、そのような飲み会に誘っていただくことも多かったように思う。 詳しいことは伏せておこうと思うので詳細は書かないが、以前とある方々と20名くらいでの会食のようなものがあった。ほのぼのとした会ということだけやんわり聞いていた
不愉快なので歌うのやめてもらっていいですか?みたいなニュアンスの事をたった一度だけ言われたことがある。10年歌手活動をして、一度だけ。その時は動揺して何も言い返せなかった。というか返す言葉が見つからなかったというのが正しい。しかし冷静になって今考えると、その人の要求、凄くないか?お前誰だよ、と思う。 その人は中年くらいの人だった。性別はこの話には関係がないから伏せておこうと思う。直接言われたわけではない。会ったこともない。インターネットで書いてあったのを事故というのが相応し
嘘が嫌いだ。でも、私も嘘をついた事がある。 これまでの人生で嘘をついた事があるが出来ればこれからの人生もう一度も嘘を付きたくない。小さい嘘からとんでもなく大きな嘘まで種類は様々あれど、もう一つも嘘を付きたくないと思っている。それはなぜか。答えは明確だ。嘘はつき続ける事がめちゃめちゃしんどい。嘘だから。どんなに上手くやってもボロが出てくる。それを突き通す為にまた嘘をつく。そうやってどんどん雪だるまみたいに嘘がくっついて膨らんでそうして取り返しのつかないところまであれよあれよと
私は大切にしていることがある。それは自分との約束を守るということだ。 もちろん人との約束を守ることはとても大事だ。時間を守る、ルールを守る、締め切りを守る、法律を守るなどこの他にも様々な守ることが山ほどあるけれどその中でも実は一番に難しいことが自分との約束を守ることだなと私は思う。 私には毎日必ず頑張ると決めていることがある。それは一時間の筋トレをすることだ。メニューはダンスの先生であるミホさんが私のために組んでくれた特別なもので、しっかり意識をして取り組むと大体開始10
「本当は人のことを信じたら負けだって思っているけど、事あるごとにちかさんのことは信じていたくなります。」 とても可愛いと思ってる女の子から真夜中、不意に言われた言葉だ。 自分自身凄くタイムリーに信じ切っていた人からあっさり裏切られるという実に呆気ない人間関係の幕切れを最近経験した私にとって、なんだかとても考えさせられるような言葉だった。 信じるということは一体どんなことだろう。 自分に置き換えて単純な思考で考えてみる。もう何十年も続いている親友や一緒に音楽を作っている