「じゃあ鈴木亜美には何ができるの?」を自分に置き換えた話
「せっかく関西に来たのだから、食べきらなきゃ帰れないですよね。」
つい先日テレビの中でそう言って、鈴木亜美さんが度が過ぎるたくさんの唐辛子が乗ったチャーハンを口に運んでいました。
あ、鈴木亜美って私と同じ年齢だったんだ。
ふとテロップの年齢を見て思います。
彼女は顔を真っ赤にして涙を流しながら、カプサイシン(辛味成分)の原液も、調味料として使われているその赤いチャーハンを食べていました。
辛みは味覚の一種ではなく、痛み・刺激と聞いたことがあります。
口の中も胃もきっと燃えるように熱く痛みもあるだろうと思います。
私はできないなぁ。
見ているだけで眉間にしわが寄ります。
私の中の彼女は「激辛女王」タレントではなく、笑顔がキラキラとして短い髪が印象的な歌手のイメージ。
思い返せば彼女のヒット曲「BE TOGETHER」は友人とカラオケに行けば、誰かが必ず歌っていた、青春の1曲です。
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日経xwomanの記事の中で、
鈴木亜美「私はもう消える」30歳目前に痛感…子どもが運をくれた:日経xwoman(この記事は2023年9月2日 10:22まで無料で読めます)
「じゃあ鈴木亜美は何ができるの?」と考えたときに、得意だと言い切れるものは見つからない。
という一説に「今まさに!思うところ!」と共感しました。
私も考えます。「私に何ができるのか」「私だからできることは?」
「そんなものはそもそもあるのか?」とも思います。
また鈴木亜美さんは「子どもが運を運んでくれたんです」と。
私もその通りでした。
社会に出て目の前にあたふたしつつも何とかやってきました。
そのうちに妻となり、母となり、役割は少しずつ増えていきました。
私は決して器用ではありません。
周りに頼ることも苦手で、うまくできないのに何でも自分でやろうとしてしまいます。
でも、日々追われる子育て。
一人では叶わないことを痛感しました。
両家の両親、地域の方、保育園の先生方、学校の先生、学童の先生、会社のメンバー(子連れ出勤も経験させてもらいました)の協力のおかげで元気に育っています。
ありがたいことに子どもを通して、人とのコミュニケーションの幅・量が一気に広がりました。
その娘たちも、大きくなり上の子は中学生になりました。
自分のことは大抵自分でできるようになり、小さな頃は家族全員で過ごすことの多かった休みの日も、部活、習い事、塾と彼女たちそれぞれの時間が増えます。
そうなると、いよいよ私のこれからをどうしていこうかという壁。
臨床・社会学者のレビソンは著書「ライフサイクルの心理学」の中で、トラジション(過渡期)について40歳前後は「人生半ばの過渡期」として、最も重要な時期だとしています。
そして、自分らしさの模索・葛藤を通じて、真の自己との折り合いをつける段階だとしています。
「私には何ができるのか」
仕事は短時間勤務からフルタイムに戻し、社内のビジネスモデルコンペにもチャレンジ。
そのコンペをきっかけに、京都ではたらく女性にこれまでの選択・生き方をインタビューさせていただき、noteに記事を掲載することを始めました。
「京都ではたらくわたしのライフストーリー」(23年時点noteにて無料)
※今後は少しずつ形を変化させていく予定です。
当たり前だけど、十人いれば十通りの生き方と選択。
その力強さとたくましさ、迷いながらも決断する力、その人らしさを感じられて、お話を伺うことが興味深くとても面白いと感じます。
「聞いて聞いて!」と子どもたちが毎日言います。
元来人は「話を聞いてほしい生き物ではないかな。」
と思ったことがあることを、今書きながら思い出しました。
私も育児休業中などは、大人と話す機会も少なかった為、何でもいい。
誰かに話を聞いて欲しいと思っていました。
人は言葉にして自分を自覚するものなのかなと思います。
インタビューさせていただいた方からは、「人に話ができるようなものではないと思っていた為、改めてとても良い機会になった。」
「振り返ってみて、あの時の苦労も悪いものではなかったんだなと思った。」
など、嬉しい反応をいただいています。
「私だからできることか」とい言われればもっと長けている方がいるのことは間違いないですが「いい魅力的なサイトだね。」「自分の選択肢と可能性が広がった」そういってもらえるよう、半歩ずつ取り組んでいきたいと今は考えています。
同じ年齢41歳、鈴木亜美さんは、「鈴木亜美といえば◯◯」という替えがきかない活躍の幅をどんどん増やしているとのこと。
「佐藤知佳といえば●●」というものを時間をかけて作っていこうと思います。
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